二つの出発(下)
「使命……?」
目を瞬かせるハッスに、シュトライト司教は大仰に両手を広げた。
「そう、君には成さねばならない事があるはずだ」
ハッスはしばし考え、それを口にした。
「奴らに、一泡吹かせる事……?」
「奴らというのは以前聞いた、森のダンジョンの住人達かな。……だけど、それは成さねばならない事じゃあないね。君が成したい事だ」
シュトライトは、残念そうに首を振った。
図星を指摘されても、ハッスは以前のようには怒らない。
相手は聖職者だし、彼の言わんとしていることを理解出来るほどには、教育も受けたのだ。
「復讐からは、何も生まれないよ。君は何故、彼らに復讐をしたいのかね?」
「奴らは……侵略者だ。俺達の生活を脅かす。やっと手に入れた暮らしを奴らは荒らし、俺は牢獄送り。こんな馬鹿な話があるか」
「重要なのはそこだ。彼らが力を増し、人の生活を脅かす。君は意識を変えなければならない。君の動機はあくまで、君個人のモノだ。だが、その『人』というのが人類全てを指すとなれば……君は復讐者ではない。人類の救済者となるのだよ」
「救済者……」
ハッスの中で、カチリと何かが当てはまった……ような気がした。
したい事と、しなければならない事。
その違いが今、分かったのかもしれない。
行動自体は一緒だが、どちらが尊いかはハッスにも理解出来る。
そしてそれを行うモノが、何と呼ばれるかも。
ハッスの意を汲んだかのように、シュトライトも力強く頷く。
「そう、英雄だよ。君は今、そうなれるかどうかの分岐点にいる。君を不当に扱った者達も、きっと君を見直すだろう。自分達の見る目のなさを悔い、詫びを入れる事だろう。君のお父上もきっとそう思うはずだよ」
「親父が……」
思い出す。
亜人達の味方をし、息子を見捨てたあの親父が、俺に詫びを入れてくる……?
それは想像しただけで、とても心地が良い事だった。
わずかな夢想を終えると、目の前ではシュトライトが表情を引き締めていた。
「君にやってもらいたい事がある。これは、危険な任務だ。最悪、命を落とす可能性もある」
「任務……?」
「そうだ、あの森のダンジョンから魔物達や亜人達を一掃し、村を守る。ひいてはこの国を救う事にも繋がる任務だ。どうする?」
そんなモノ、問われるまでもなかった。
英雄になる機会。
逃せるはずなど、ない。
「……やるに、決まっているだろう」
ハッスが断言すると、シュトライト司教は手を組み、カムフィスの指印を作った。
「そうか、ありがとう。私の手に入れた情報では、あのダンジョンには神がいると聞いている。あのダンジョンは『邪教神殿の洞窟』と呼ばれ、かつて邪教徒達が騎士団に滅ぼされた過去があってね。おそらく……彼らは既に、その邪神の復活に成功している」
ぶるり、とハッスの背筋が震えた。
「邪神を……俺に退治しろというのか」
それは比喩でも何でもなく、本当に英雄の、勇者の務めではないか。
「もちろん、そうしてくれるならば一番だ。しかも、邪神は複数いるらしい。……そして、何より許しがたいのは奴ら、蜥蜴もどきをカムフィスと崇めていると聞く。絶対に許せん」
神を語る時、シュトライトの目は据わり、拳を震わせていた。
だが、ハッスの視線に気付くと、表情を改めた。
「君一人だけでは、さすがにこの任務は辛い。何人かと、行動を共にしてもらうし、魔物達に対抗する為の準備もしてある。そして、時間をおいて用意してある騎士団も動く。だから安心して欲しい。君の味方はちゃんといるんだ」
「そうか……だが、俺が全部、片付けてしまっても構わないのだろう?」
課せられた使命は過酷であり、一人で行うのはやはり辛い。
だが、この程度をやれなくて何が英雄か。
そんなハッスを、シュトライトは頼もしげに微笑んでいた。
「素晴らしい覇気だ。やはり私の見る目に狂いはなかった。大丈夫、君の行いはカムフィス様がきっと見ていてくれているだろう。任務は必ず成功する。……もし駄目だったとしても、その尊い行いは、君を天界へと誘うだろう」
「やめてくれよ、縁起でもない」
再び印を組むシュトライトに、ハッスは手を振った。
「はは、そうだね。とにかくよろしく頼む」
「いつから動く? 俺は今からでも構わないぜ」
休養は充分に取れた。
毎日の鍛錬のお陰で、もういつでも動く事が出来るようになっていた。
「そうか、ならば早速動くとしよう。――これを」
シュトライトは、懐から一本の試験管を取り出した。
中には、虹色をした液体が入っている。
それを、ハッスの手に置く。
「これは?」
「魔物達に立ち向かう為の、『神の秘薬』だ。飲めば、普段の数倍の力を発揮出来るようになる。だが、危険な薬でもある。大切に取り扱ってもらいたい」
「危険? 何を今更」
ハッスは不敵に笑いながら、試験管を手の中で弄んだ。
「これ以上、奴らが偽の神を広めるのを許してはならない。これは聖戦だ。頼むぞ、勇者」
「……ああ、任せろ」
ハッスとの面談を終えたシュトライトは、長い廊下を進み、やがて警備の立つ大きな部屋の扉を開いた。
そこは、この屋敷の主の執務室であり、書類と向き合っていた彼――コバルディア公爵――は顔を上げた。
金の髪を後ろに撫で付けた、細身の男だ。
一見青年のようだが、よく見ると皺もそれなりにあり、年齢は四〇を越える。
「先生、どうでしたか?」
執務机の前には応接用のテーブルセットがあり、シュトライト司教は柔らかなソファに腰を下ろした。
「どうやら上手くいきそうだよ。騎士団の方はどうかね」
「各地を巡回している騎士隊が、森の手前に集う手筈になっています。数にして二〇〇といった所でしょうか。これ以上となると、ダンジョン内での動きの妨げとなってしまいます」
戦は、場合によっては数が多ければ良いというモノではない。
ダンジョンのような狭い空間では、万の軍勢を用意したところで有効には活かす事が出来ないのだ。
うむ、とシュトライトも頷く。
「充分だろう。ただ、先行する彼らは無事ではすまない。カムフィス様、どうか彼らの尊き魂に安らぎを……」
彼ら――すなわち、ハッスや同じような境遇にありながらシュトライトが手を回して教育を施した、騒乱の呼び水となる実働部隊達。
全員、意気込みは充分だが、計画では事の起こりはモンスター達の巣のど真ん中だ。
現実的に考えて、全方位が敵の状況で、彼らがそう長く持つとは思えなかった。
そして、持ったとしても、決して助からない。
表だって騎士団を動かすには、どうしても大義名分が必要となる。
そう、例えばモンスターが暴れて、人々を襲っているというような……。
傷つけられる民を思うと、シュトライトの胸も痛む。
けれど、モンスターの巣に喜んで詣でるような愚民でもあり……ならば、騒ぎに巻き込まれるのもまた自業自得。
ハッス達も含め、多くの犠牲が出るだろうが、魔物を滅ぼす為だ。
きっと、創造神カムフィスも許してくれるだろう。
「事は動き出した。何よりも我らが神を騙った奴らを、断じて許してはならない」
「はい。領主としても、亜人共を跋扈させる訳にはいきません。私の土地に勝手に村を作るだと? 冗談ではありません」
教え子であるコバルディア公爵も、表情は厳しい。
彼も熱烈なカムフィス教の信奉者であり、もう何十年もシュトライトの教えを受けている。
その一方で、領主として冷徹な打算も、彼の中には組み込まれていた。
巷では、貧民街の撤去は失策だという声も出ているが、それは違う。
あれで明らかになったのは、心貧しきモノや亜人達はやはり、危険であるという事ではないか。
今はまだ落ち着いていないが、いずれ鎮まる。
人間が、安心して暮らせる都が作られつつあるのだ。
「ただ先生、前にも言った通り……」
「分かっている。ダンジョンの破壊は最小限に留めよう。情報では豊かな畑に家畜、湯も出ると聞いているからね。そのような場所は、人間が利用するモノだ。なり損ない達が使ってよいモノではない」
「はい。必ず、奴らをこの地から追い出しましょう」
二人は、頷き合う。
そして最後の確認を、シュトライトは行う。
「その、森の手前に騎士達が集まるのは、予定通りでよいのだね? 潜入する彼らと連動する必要があるから、これは重要な事だ」
「ええ、おおよそ、三日後といった所でしょうね」
『神様のお話』と、対になるお話でした。