老農夫、農耕魔術に触れる
中庭の斜面に、テノエマ村の老農夫、ナリーとその友人二人は訪れていた。
今は土の調子を確認し、一休みといった具合だ。
ナリーらと、ゴブリンシャーマンとか言う種族のモンスター、グリューネはそれぞれ、大きめの石に腰掛け、茶を飲んで一服している。
そして、グリューネの被る猪骨の仮面にちょこんと乗っかったリスは、何と神であるという。
神の名はセンテオトル、この世界での呼び名はセントートルというのだそうだ。
本当か嘘かは確かめる必要はなかった。
……この洞窟ダンジョンの下層には、ナリー達の崇める神、カムフィスが大トカゲの姿で実在するのだ。危うく心臓麻痺で死ぬところであった。
そんなサプライズ体験をしたので、異境の神がいた所で今更なのだった。
「それにしても、驚いたのう。回復魔術にこんな使い方があったとは……土の栄養が一気に増えよったわ」
ナリーは平らに整地された斜面を撫でた。
最低限の段々畑の下地は出来た、という感じである。
とはいえ、出来ているのはグルリと中庭を囲む斜面のほんの一角に過ぎず、まだまだ先は長いのであった。
ただ、ここの土の養分が豊かなのは分かる。
理由は単純、ゴブリンシャーマンのグリューネとかいう娘が、土壌に回復魔術を掛けたからだ。
荒れていた土は体力を取り戻し、結果農作物を育てるのには申し分のない土地となったのである。
「せんとーとる様、博識。すごい」
「ほめられると照れます! えっと、グリューネちゃん、コボルトの中にデバフ系……ええと、つまり敵の攻撃力や防御力を下げる魔術を使える子が、いるんだっけ?」
「ごぶごぶっ。力を強くする子もいる。神殿のおせわをする子達の中にいる」
グリューネは基本上層で暮らしているが、時々、中層にある神殿の世話をする者達のグループにも出入りしているという。
その中には、聖職者だったり魔術師がいるのだ。
「だったら、その子達も今度ここに呼んであげて」
「どうするのじゃ?」
ナリーは、センテオトルの提案に興味を持った。
回復魔術で土を回復させる神だ。
ならば、他にも変わった知識を持っているのかもしれない。
「防御力を下げる魔術を、地面に使うんだよ。そうしたら、地面が柔らかくなるんだよ」
地面の防御力を下げれば、スコップや鍬の通りがよくなる。
ナリーはそう説明した。
「……つまり、畑を耕しやすくなるという訳か!?」
ナリーは友人の老農夫二人と顔を見合わせた。
彼らも驚いている。
「そんな方法、聞いた事がないぞ!?」
「んだ」
「ボクのオリジナルじゃないから、ほめられるとちょっと複雑だなあ。それ以前に段々畑を作りやすくなるってのもあるんだよ。で、力を強く出来る子は……」
モコモコと、ナリー達の背後の土が盛り上がる気配を感じた。
振り返ると、そこには大きめの猫ほどもあるモグラ型モンスターのドヴェルクモグラ、小さな丸い目と大きな口、綱ぐらいの太さとながらの胴体を有するロープワームというモンスターが数匹、顔を覗かせていた。
最初はナリー達も驚いたが、このダンジョンのマスターであるウノの使い魔らしく大人しかったので、次第に慣れる事が出来た。
彼らの仕事は、ここの土を耕す事だ。
普段から土中に住んでいるだけに、その力は一般の農夫数人分の力になってくれる。
「力仕事をするこの子達――ドヴェルクモグラの『シャベル』やロープワームの『ワタリ』――を助けられるでしょ? 魔術は、戦闘にだけ使うモノじゃあないんだよ」
村の農夫であるナリー達に、魔術なんてモノは殆ど縁はない。
それでも、センテオトルの知識が、農業の助けとなることぐらいは、ナリーにも分かった。
「カムフィス様とは違うが、お主も拝みたくなるのう」
「ウチの村でも、魔術が使えればよいのじゃが」
「んだんだ、便利そうじゃもんなあ」
ナリー達は、グリューネの仮面の上に乗ったリスに、祈りを捧げた。
「他のみんなも、別に拝んでくれてもいいんだよっ! カムちゃんだって怒らないよ。嘘だと思うなら、本人に聞けばいいよ」
この場合の本人とは、創造神カムフィス……カミムスビを指している。
「……それが出来てしまうんじゃもんなあ、ここ」
「プレスト神父が通う訳じゃて、のう」
「んだんだ。神のお言葉を直に聞けるなんて、贅沢すぎるべ」
さて、ナリー達の仕事はここで農業のノウハウを、モンスター達に教える事だった。
今日、ここを訪れたのはその前段階、この斜面で作物は出来るかどうかの確認だったが、その点については文句なしである。
センテオトル曰く、ここではトウモロコシと葡萄を育てるのだという。
ナリーとしては、年単位の仕事となるだろうなという思いがある。
作物を育てるのには、長い時間が必要なのだ。
そんなナリーの考えを見透かすように、センテオトルと目が合った。
リスなのに、小さく笑ったように見えた。
「グリューネちゃんグリューネちゃん、アレは用意してあるかな?」
「ごぶ、ある……ります。これ」
グリューネが岩の後ろから持ち出してきたのは、やや大きめの壺だった。
彼女自身が小柄だった事もあるが、大体一抱えほどはあり、壺の表面は冷たい銀色の光沢を放っていた。
壺にはしっかりと、留め金付きの蓋がつけられていた。
「金属製の壺か。珍しいのう」
「割れるとまずいからね、万が一転んでも大丈夫な造りになってるんだよ。ちなみに中身がこれ」
グリューネが、んしょんしょと留め金を外し、蓋を開く。
そこにあったのは、サラサラとした砂……ではなく。
「……この臭いは、灰か? 畑に撒くのかのう?」
畑に栄養素として灰を撒く、というやり方は、ナリーも知っていた。
ただ、それにしては妙に仰々しい。
金属製の壺に入れるほどのモノではないのではなかろうか。
「それはそれで正解だけど、これは『魔法の灰』なんだよ」
楽しそうに、センテオトルは太い尻尾を揺らした。
なお、センテオトルのいう「オリジナルではない」というのは、こういう変則的な魔術の使い方が得意な戦闘司祭や、幼い勇者の保護者をしている一兵士が存在するためです。