因縁
時間は少々遡る。
ウノ達がテノエマ村を訪れる、二時間ほど前の事だ。
ここは、テノエマ村に二つしかない食堂兼酒場。
まだ日が昇りきる前のこの時間、村の大人のほとんどは働きに出、子供もその手伝いをしている。
にも関わらず、この酒場にはいい年をこいた大人が五人、しかもまだ昼にもなっていないのに酒を飲んでいた。
酒場の主人もこれまで何度も説教したが、彼らはまったく変わらず、主人も諦めた。
ただし、ツケは溜まる一方で、いい加減彼らが出入禁止になる日も近い。
そんなろくでなしの中心にいる、垂れ目で腕と上半身に炎の入れ墨を入れた男の名をハッスといい、現村長の三男坊だ。
長男が家を継ぎ、次男がその補佐、三男から以降は大体家から出されるのが、この世界の常識である。
ハッスも村を出て、先日までは城下町の歓楽街で、合法と非合法の狭間のような事をやってきた組織の世話になって生きていた。
しかし、件の貧民街取り壊しの一件で、解き放たれた犯罪者や亜人達が徒党を組み、非合法組織が濫立、その煽りを受けて、ハッスの属していた組織は潰されてしまった。
そうして、村に出戻った彼は、無職というのも体裁が悪いという村長の指示で、自警団の団長を務める事となったのだった。
この場にいる他の者達も皆、職がない三男坊や四男坊であった。
しかもテノエマ村は基本的に平和であり、犯罪とは無縁の生活を送っていた。
つまり、彼らは自警団という名はあれど仕事がない、チンピラ集団だった。
大体は、パトロールと称して、村の中をうろつくだけなので、大体、村人達からの評判も悪かったりする。
彼らの給金は村長が出しているのだが、つまり村の金だ。
白い目で見られるのも、無理もない話だった。
そして、この酒場で交わされる話し合いもまた、碌でもない内容だった。
「おい、お前ら。そろそろマ・ジェフの言ってた、獣人の野郎が来るぞ。分かっているな」
ハッスの呼びかけに、周りの四人は一斉に頷いた。
「ああ」
数日前、村長は村人を広場に集め、話をした。
冒険者のマ・ジェフとハイタンが、大量の素材を乗せた馬型モンスターを連れて、森から戻ってきた。
二人は凶悪なモンスターに襲われたモノの、森の中にある洞窟に住んでいるという獣人達に助けられたのだという。
素材は、その獣人から手に入れた……が、それはマ・ジェフらが技術や情報と対価で手に入れたモノであり、譲ってもらった訳ではない。
彼らは近い内に、この村に素材を売りに来る……が、害をなす存在ではないので安心して欲しい。
受け入れろとは言わない。
流れの冒険者程度に扱ってくれればいい。
ただまあ……ゴブリンとかも連れてくるから、皆、心構えだけはしておいてくれ。
他にも色々言っていたが、大体はそんな話であった。
冗談ではない、とハッスは抗議した。
村に、モンスターを入れるなど正気の沙汰ではない。
だが、父親である村長は頑固だった。
森の素材は、貧しいこの村を潤す品々だ。
彼らを村に入れなければ、それらは手に入らないのだという。
ふざけるなと思う。
ハッスが以前属していた組織は、亜人のならず者達が寄せ集まって出来た非合法集団に潰されたのだ。
彼奴らと馴れ合うなど、冗談ではない。
素材が欲しい? なら奪えばいいだけの話だ。
「この村に、臭い奴はいらねえからな。絶対に追い出してやる」
「だがよ、アイツラ強いぜ? 俺達で追い出せるのか?」
取り巻きの一人が、不安そうに酒を啜った。
ハッスは彼の意見を、笑って一蹴した。
「ハッ、分かってねえな。力ずくでやる必要はねえんだよ。周りを味方につけりゃいいのさ」
「っていうと、どういう事だよハッス?」
「いいか、やる事は単純だ。俺がそいつを挑発する。それで相手が怒って攻撃してくれば、しめたもんだ。獣人は危険な存在だって、村の連中だって理解するだろ」
「そんなに、上手くいくかぁ? 挑発に乗らなかったらどうするんだよ」
「問題ねえ。そいつに少しでも知性があるなら、この村で、村の住人である俺達に手ぇ出せば、その時点で負けって事ぐらい分かるはずさ。つまり、こっちは一方的に攻める事が出来るんだよ」
「おお……」
「もちろん、こっちだって手を出さねえ。奴が我慢出来なくなるまで、罵るだけさ。臭ぇとか汚ぇとか。考える必要すらねえ。洞窟に住んでる連中だ。臭くて汚ぇに決まってる」
「はは、そりゃ違いねえ」
「後は、素材をたんまり積んだ荷物を置いて、出て行ってもらうって寸法よ。しかもその荷物は、まだ冒険者ギルドを通してねえ。村の連中は、冒険者ギルドから素材を買う必要すらねえんだ。素材を振る舞ってやる俺達の株は上がる。どうよ」
「な、なるほど……悪くねえ」
「いや、でもそれお前、獣人の攻撃食らうんじゃね?」
それ、超ヤバくね? と別の男が疑問を抱いた。
はぁ……とハッスはため息をついた。
「あのな、馬鹿正直に食らう必要はねーんだよ。やられたって騒ぐだけでも充分なんだから」
「ああ、それもそうか。ちょっと押されでもしたら、しめたもんってか」
ほとんどの男は納得していたが、渋い顔を崩していない男が一人残っていた。
「でもよう、俺達の儲けがねえのはちょっとな……村人にはタダじゃなくて、格安で売るってのはどうだ?」
「分かってねえな。形あるモノだけが、儲けじゃねえ。俺達は村の連中から人望を手に入れられるじゃねえか。日がなブラブラしてるとか言われなくてすむし……何より、女にもモテるぞ?」
最後の一言が、決め手だった。
ハッスの呼びかけに、男達も一斉に頷いた。
「……よし、やろうぜ」
……そして、現在に到る。
垂れ目の男に指摘され、ウノは自分の臭いを嗅いだ。
「臭いつってもなあ。一応これでも、ちゃんと風呂には入っているんだ。服も洗濯している。トイレだって清潔だ。そんなに、臭う事はないと思うんだけどな」
ざわ……と、何故か垂れ目の男の後ろにいた連中が、ざわめいた。
その中の一人が尋ねてきた。
「風呂、あるのか?」
「ああ」
別の男も、困惑していた。
「洗濯?」
「洗剤や石鹸は自作してる。そこのゲンツキホースに積んでるよ」
違う男も、おそるおそる口を開いた。
「ト、トイレ?」
「何、垂れ流しの生活送ってると思われてたのか、俺達? 女性もいるんだぞ?」
何だかおかしな連中だなあ、というのがウノの感想であった。
垂れ目の男はギロリと後ろの連中を睨むと、ウノと再び向き合った。
「チッ、そんな事はどうでもいいんだ。獣臭ぇんだよ、獣人は。後ゴブリン臭ぇ」
「……ご、ごぶ……」
男に睨まれ、リユセが怯む。
そのリユセの頭を、ユリンがポンポンと手を置いた。
「男児は、軽々しく泣いてはならんよ。雑魚の言葉など、聞き流せばよろしい」
「ああ? 誰が雑魚だコラ!?」
ウノを睨んでいた男が激怒した。
「とりあえず家主様、さっさと冒険者ギルドとやらに行きましょう。私は腹が減ってしょうがありませぬ」
「無視するんじゃねえよ化物!!」
耳元で怒鳴られ、ウノもうんざりしてきた。
本当に一体何なのか、こいつらは。
そういえば城下町で暮らしていた頃、ウノは衛兵の仕事を手伝っていた事があるが、夜の繁華街や歓楽街にいたチンピラの因縁の付け方が、こんな感じだった。
そして、彼らに関わっていい事など、一つもないというのも、経験上理解していた。
「まあ、確かにこんな所で無駄に時間を使ってる場合じゃないな。そもそもアンタら、何なの? チンピラ?」
「誰がチンピラだコラ!! 俺達はテノエマ村自警団だ!!」
「……え」
さすがにこれはちょっと、予想外だった。
ウノは改めて、彼らの姿を見た。
着崩した衣服、昼間から漂う酒精の香り、顔つきだって悪いし、リーダー格の男など入れ墨まで入れている。
「自警団……そのナリで? 言っちゃ何だけど、いい大人……だよな? 成人、してる、よな?」
手には、農作業で出来るタコもないし、土汚れも見当たらない。
職人にしてはガタイが貧相だし、石粉も木粉も付着していない。
……ウノは、ちょっと悩んで、彼らがどういう状態にあるのか、口にしてみた。
「働いてないのか?」
「上等だコラあ!!」
垂れ目の男が激怒し、拳を振るった。
が、毎日モンスターの相手をしているウノが、こんな緩いパンチを食らうはずがない。首を傾け、苦もなく回避した。
「よけるんじゃねえ!!」
次の蹴りも、身体を半身にしてよけた。
「いや、避けるよ。当たったら痛いじゃん」
「このっ」
男は闇雲に拳を振り回すが、ウノは完全にその動きを見切っていた。
大雑把すぎて、攻撃が完全に予測出来るのだ。
ユリンとの稽古どころではない、アクダルやリユセとの組手の方が、ずっと己を高められる。
「遅いな。……なあ、アンタら本当に自警団なのか? これじゃケマリウサギ一匹狩れないぞ?」
「だから、避けるんじゃ、ねえ……!!」
何十回目だろうか、男の振るった拳が空振り、ヨロヨロとその場に跪いた。
ウノは一度も、手を出していない。
一方的に男が攻撃し、空回っているだけだった。
そうなると次の展開は……。
「はぁ……はぁ……おい、何してやがる!! お前らも手伝え!!」
男が、後ろの取り巻き達に叫ぶ。
ま、そうなるよなあ、とウノは内心ため息をついた。
彼らは今は困惑しているが、もしも敵対するのなら……しょうがない、その時は全力で逃げよう。
とウノが決心した時だった。
パンパンと手を叩く音がし、いつの間にかすぐ近くにマ・ジェフが立っていた。
「はい、そこまでなー。よー、来たなあ、ウノっち。思ったよりも、早かったじゃないの」
「ああ、マ・ジェフ。たまには外食も味わいたくてさ」
「飯食えるところなんて、この村じゃ二つしかないぞ。一つは冒険者ギルド、もう一つは農夫や職人向けの大衆食堂だ。味はギルドの方がいいが、値段は少し高目だなあ。大衆食堂の方は、安くて量は多いのが売りだな」
「いい情報だ」
「ですな」
肯定するユリンに、マ・ジェフのテンションが一段階上がった。
「おおっ、美人さん新顔じゃねーの。ウノっち、どこで引っかけてきたのさ」
「素性を話すとアンタがパニックになると思うから、後でな。ところでコイツら、何? 自警団って言ってるけど、それマジか?」
「あー……うん、マジで。詫びは後でするから、ウノっちは先に冒険者ギルド行っててくれる? その素材の量は、鑑定に相当掛かるだろうからさ」
「分かった。じゃ、後始末よろしく。みんな、行こう」
馬のモンスターと化物達を引き連れて、獣人が去って行く。
「ま、待ちやがれ……!!」
ハッスは立ち上がって彼らを追おうとしたが、マ・ジェフがその前に立ちはだかった。
「アイツらは待たないし、後始末はオレが任されたんだよ、ハッちゃん。困った事をしてくれるなあ」
「テメエも、獣人の味方をするのかよ!!」
「そりゃするだろ、オレの命の恩人だぜ? 後ね、それ抜きにしても、正直何やってんのお前ら馬鹿じゃねーのとしか言い様がないよ。喧嘩売って、アイツら追い出して、その後どうする気だったんだ?」
「は!? どうするも何も……」
ハッスの言葉を、マ・ジェフが制した。
「そう、二度と来ないようになる。つまり、森の素材が手に入るのは、アイツらが仮に置き去りにしたとしても、今回限り。以後、余所の村に行くようになるだろうな」
マ・ジェフの両手が、ポンとハッスの両肩に置かれた。
軽いように見えて、その力は恐ろしく強い。
マ・ジェフは目だけ笑っていない笑顔で、ハッスを見つめてきた。
「それは、この村としては大変困る事じゃないのかなあ? お前さん、自分の軽率な行動がどんなデメリットをもたらそうとしてたのか、理解出来てる? 出来てないよなあ。出来てたらやらないもんな、普通」
ググッと、肩に掛けられる圧力がさらに増してきた。
「ア、アイツが舐めた態度を取って……」
「いやいやいや、そりゃあ通らないぜ、ハッちゃん。村の人間も遠巻きにみんな見てたんだ。先に手を出したのはお前さんで、アイツは一度も手を出していない」
「……!?」
それは、ハッスの当初考えていた、計画のまんま裏返し。
やろうと考えていた事を、そのまま相手にされていたのだ。
呆然とするハッスに、さらにマ・ジェフは追い打ちを掛けた。
「んー、相手を挑発して先に手を出させる。非を相手に向ける。大体考えてた事ぐらい分かるけどさ、一つ単純な落とし穴があったよな。それ、相手も出来るんだって事」
マ・ジェフはこの村で、一番高い建物を指差した。
村の皆が祈りを捧げるそれ、教会だ。
そして、ハッスと立ち尽くしている取り巻き達を、笑顔のまま見回す。
「さあ、みんな行こうか。神父様のとってもありがたく長い説教と、その後奉仕活動が待ってるぜ。村長の御沙汰は別口だ」
区切る部分がなく、いつもの倍の量でお届けしました。
この頭の悪い人は、また後に登場します。