可変ギミック
ユリンの前にいたのは、無茶苦茶に暴れる雄牛のモンスター、カッパーオックスだった。
目は充血し、口からはしきりに涎を垂らしながら、身体を手当たり次第に近くの木にぶつけている。
殺気だった咆哮を上げる口からは、酒臭い息が吐き出される。
「ぶるああぁぁぁ!!」
細い木が、彼の体当たり一つで薙ぎ倒された。
が、ユリンはまったく動じない。
腰の後ろの剣にも手を掛けず、暢気にカッパーオックスを眺めていた。
「これはこれは、見事な荒れ様。一応聞いてみるが、大人しくするつもりはありませんかな。家主様達にはああいったモノの、無益な殺生は避ける主義でしてな」
人の言葉で語りかけてはみたモノの、ドランクマタンゴの胞子の効果で酒乱状態にあるカッパーオックスは、当然ながら聞く耳を持たない。
「ぶるうぅぅっ!!」
その視線が、ユリンを捉えた途端、一気に突っ込んできた。
まるで分かっていたかのように、ユリンはカッパーオックスの突進を回避した。
ほぼ真後ろにいたウノは、大慌てでゴブリン達とラファルを両脇の茂みに突っ込んだ。
自身は、頭上の木の枝を掴んで事なきを得た。
「これは失礼、家主殿」
「いや、気にしないでくれ、ユリン。せっかくだから、このまま見物させてもらう」
「承知」
ウノは木の枝を掴んだ手に力を込めて自分を持ち上げ、木の枝に腰掛けた。
その眼下では、カッパーオックスが反転し、再びユリンと相対する所だった。
その戦意はまるで衰えていない。
「ふむ、駄目で元々の説得だったが、残念無念。こうなると、家主様達の腹の糧となってもらうしかありませんな」
グッと腰を落とすユリン。
まさか、とウノは思った。
カッパーオックスと、普通にぶつかり合う気か?
そのカッパーオックスは、今度こそ必殺の体当たりをかまそうと、後ろ足を何度も蹴り上げていた。
「ぶるっ!!」
「それに、今の自分の力を試したいというのも、本音でしての」
カッパーオックスが猛スピードでユリンに突撃する。
そしてウノの危惧は当たっていた。
「ごぶ……おぉ、こしをおとしてのたっくる……!!」
茂みから顔を覗かせたアクダルが、目を見開く。
迎え撃つように、ユリンもカッパーオックスに向かって駆け出したのだ。
そして、次の瞬間には激突していた。
ユリンは吹き飛ばされ――ず、踵を地にめり込ませながら、カッパーオックスを受け止めていた。
「うむ、よき力だな」
深く息を吐き、ユリンはカッパーオックスの太い首に腕を回す。
そして。
「ふう……っ!!」
一息にカッパーオックスを持ち上げた。
カッパーオックスは大きく弧を描き、そのまま背中から大地に叩きつけられた。
普通なら、衝撃で首の骨が折れていただろう。
「ぶあ……っ!?」
しかし、カッパーオックスは慌てて起き上がると、ユリンから距離を取った。
とはいえ、ダメージはあるのだろう、足がガクガクと震えていた。
それでも逃げる気はないようだ。
むしろ戦意は、さらに高まったように見える。
「では、お互い準備運動は済んだと言う事で。そっちも酔いが覚めたようですな」
ユリンも再びカッパーオックスに向かい合うと、下ろした右手から長く細い何かが出現した。
ウノは目を凝らして、それをよく確認した。
その細い何かは、先端が鋭く尖っていた。
「腕から剣……いや、あれは骨か!!」
「ぶるううっ!!」
カッパーオックスが、再度突撃する。
ユリンの身体がゆらりと揺らいだかと思うと、次の瞬間には斬撃が奔り、彼女の姿はカッパーオックスの後ろにあった。
わずかに遅れて、カッパーオックスの胴体から鮮血が吹き出した。
「がぁっ!?」
短い悲鳴を上げて、カッパーオックスは倒れた。
完全に、絶命していた。
「ご、ごぶ……はやい……」
アクダルと同じように、茂みから顔だけ出していたリユセが感心する。
ただ、終わったはずのユリンが、何故か少々焦っていた。
「む、これは少々まずい。家主殿、ゴブリン達を下げていただきたい」
理由はすぐに分かった。
ウノ達の周囲の森が、騒々しくなり、あちこちからモンスターが出現する。
攻撃するついでに装備や道具も盗んでいくグリードバット、音も無く飛びかかってくるシノビムササビ、眠気を誘う眼力を持つサイミンオウルなどの夜行性のモンスターから、ドヴェルクモグラや森ネズミ、ケマリウサギといった雑魚モンスターまで様々だ。
「ウチの連中は、そこまで弱くはないよ。ゼリュ、皆、ちゃんと装備は調えてるな。自分の身ぐらい、自分で守れ」
「ごぶ……おまえら、ぼすのいったとおり。しなないていどに、たたかえ」
「わかったごぶ」
「……ごぶ」
ユリンの戦いを見て、刺激を受けたアクダルとリユセの戦意は高い。
当然、二匹ともゼリューンヌィと同じく、しっかりと武器も防具も装備していた。
「がんばるのです!!」
仔狼のラファルも、いつも通り元気いっぱいだ。
「ご、ごぶぅ……!?」
慌てているのは、ヴェール一匹だけだった。
――にゃあー、ヴェールもウチキやグリューネと一緒に留守番してればよかったのにゃあ。
バステトの神託が飛ぶが、今更であった。
そしてヴェールが右往左往している間も、モンスターの数はさらに増えていく。
「さっきのカッパーオックスが暴れたせいで、寝ていたはずの周辺モンスターが刺激されたんだな。まあ……予定外の、稼ぎ時だと思え!!」
ウノが腰の後ろに差した十手を引き抜く。
すると、上空からシュテルンが舞い降りてきた。
「主様」
「ああ、シュテルンも頼む」
「心得ました」
そして、乱戦が始まった。
中心にいるのは、今晩の主役であるユリンだ。
「ふむ」
背中から蝙蝠の羽を生やしたユリンは、浮き上がるように真上に跳躍する。
鹿のモンスター、バロンディアの体当たりを回避したかと思うと、自然落下してその首筋を骨剣で切断した。
地面に着地し、振り向きもせずに、尾てい骨辺りから生えた尾の先端を、背後から奇襲してきたサイミンオウルに鋭く突き刺す。
短く風を切る音が何度も響いたかと思うと、ユリンがかざした左腕に何本もの長い針が突き刺さっていた。
鋭い毛を持つネズミ型モンスター、サンガクアラシの毛針攻撃だ。
「危ないではないか」
ユリンが軽く腕を振るうと、刺さったはずの針はあっさりと地面に落ちた。
血が流れる様子もなく、よく見ると彼女の左腕にはトカゲの鱗が出現していた。
休む間もなく次のモンスターが襲いかかってくるが、ユリンはまったく苦にせず、迎え撃つ。
そのまま、視線をゼリューンヌィに向けた。
「ゼリューンヌィと言ったかな。後ろにも、気を配るといい」
「ごぶ……!?」
乱戦では、正面から襲ってくる敵だけではない。
前後左右、上や下からも襲撃はあるのだ。
そして正にゼリューンヌィの背後から、牙をむいたグリードバットが飛び掛かろうとしていた。
しかしその攻撃は、彼には届かない。
ユリンの骨剣を持った腕が長く伸び、グリードバットの顔を鋭く貫いたからだ。
「ごぶ……やりにもなるのか。すごい……」
ゼリューンヌィが呆気にとられる。
が、すぐにそれどころではないと思いだし、自身も槍でモンスターを屠っていく。
その周囲では、アクダルやリユセも奮闘している。
ちなみにヴェールは石や木の枝を投げ回って必死に逃げ回っていたが、ある意味、囮としては役に立っていた。
そうこうする内に、やがてモンスターの襲撃も鎮まった。
ウノも一息ついて、ようやく周囲を見渡す余裕が出来た。
ユリンはいつの間にか、背中の翼や手から生えた骨剣も仕舞い、戦う前の姿に戻っていた。
「大したモンだ……というか、予想以上だ。変形するのか」
「そのようですな。私もまだ、全て理解している訳ではないのですがね。おそらく塚に捧げられた供物の素材が、特性として発現しているのでしょう。この表面に出ている牛の角や、サソリの尾ですな。しかし本当にゴッチャで、蝙蝠の羽や大トカゲの皮なども混じっていたようでして」
それが翼や、腕の盾の役割を果たしたらしい。
ただ、それがちょっと、ウノには引っかかった。
なので、大の字に倒れて荒い息を吐いている、ヴェールを見下ろした。
「……なあ、ヴェール。俺確か、ユリンが人の身体を持ちたいんじゃないかなって話で、素材を集めるよう頼んだよな? 何で、角だの尻尾だのが生えるんだ?」
「ぜは……ご、ごぶ……っ!? おれだけじゃない、ごぶ……か、かみさまもおもしろがったごぶ……」
――あーーーーーっ!? ヴェールそれ言っちゃ駄目にゃーーーーー!?
ウノは、シュテルン、ゼリューンヌィと目配せをした。
どちらも分かっていると、頷いていた。
「……神様とヴェールの明日の三食は、おかず抜きだな」
「そんな、せっしょうごぶー!?」
――にゃあー!?
一柱と一匹の悲鳴が響く。
「自業自得です」
シュテルンは、冷たく言い放った。
――で、でもヴェールと一緒に、青い牙とかも探したのにゃ。頑張ったのにゃ。
「そ、そ、そうごぶ……おじひがほしいごぶ」
バステトが言う青い牙というのは、使い魔としての契約が可能になる、素材の事なのだろう。ウノが使い魔契約の波動を放つと、なるほど確かにユリンと繋がる感覚があった。
「契約は、可能のようですな」
「……分かった。おかず抜きはなかった事にしよう。ただし、今晩の風呂の準備は二人でやる事」
――た、助かったにゃあ。
「ごぶー……」
なお、『バストの洞窟』における風呂とは、大きな瓶を使った一人用のそれだ。
鉄枠で底を持ち上げ、火で熱するタイプである。
これの準備は、それはそれでつらいのだが、少なくとも一日おかず抜きよりはマシな作業だった。
「ちなみに、人の姿にもなれますぞ?」
その言葉通り、ユリンは角や尻尾も引っ込めた。
尖っていた耳も丸くなり、確かにそうしていると、普通の人間の女性のようだ。
ただ、体格のせいか、オフの日の女冒険者という風情でもある。
「それが、本来の姿?」
「生前の姿という意味ではそうですね。ですが今の地は、こちらです。人間体でも構いませんが、自然体という意味ではこの方が楽ですな」
再び、ユリンは角と尻尾を生やした。
耳も尖る。
「じゃあ、そっちにしとこう。あと近い内に村に行く予定があるんだけど、ユリンはどうする? 数百年ぶりの人の世界というのも、悪くはないと思うけど」
「左様ですな。荷物持ちの役には立てるかと思いますよ。この通り――」
ユリンの下半身が蠢いたかと思うと、長く後ろに伸び、足がもう一対増えた。
「――半人半馬形態にもなれますので」
どうやらゲンツキホースか何かの素材も、バステト達は捧げてしまったらしい。
「……なんでもありかよ」
「何でもは、無理だと思いますが。ともあれ、私の力は、ご覧頂けましたかな?」
「文句なしだ。ゴブリン達の教導も、よろしく頼む」
こうして、『バストの洞窟』に新たなメンバーがまた一人、加わったのだった。
休みなので、ささやかながらいつもよりちょっとだけ長め。