ユリン
ユリンは、コホンと小さく咳払いをした。
「私はさる高貴な方に仕えておりました。役割は、世話係兼護衛ですな。この洞窟の前身……つまり、家主様が住む前の事は、存じておりますかな?」
この場合は、邪教徒達の集会場というのは、誤りだろう。
ウノはバステトを見た。
「人間と異種族達のコミュニティだったって解釈で、いいのか?」
「左様。我が君も豚人の一体と恋仲となり、この地で仲を深めておりました」
「……オークとは、何ともまた」
豚人はその名が示す通り、豚によく似た人型モンスターだ。
力は人を大きく凌駕する一方、動きはそれほど早くはない。
だが、数で押す戦法を得意とし、ちゃんと武器も使う。
特にその精力と繁殖力はとても強く、どんな種族の雌とでも子供を作る事が出来るのだ。
そんな個性を持っているため、美しい姫騎士が主役の演劇では鉄板の敵役だったり、醜男の代名詞でもある。
ユリンの言う、高貴な方とオークという組み合わせは、ちょっと、いや、かなり、そうした演劇を連想してしまう。
「マニアックですね」
「人間相手に懸想する鷹が、何か言ってるのにゃあ」
シュテルンが、止まり木から羽ばたいた。
その鉤爪がバステトを襲う。
「襲いますよ?」
「もう襲ってるにゃあ!?」
一羽と一柱のじゃれ合いを見て、何か言いたげにユリンがウノを見る。
ウノは、問題ないと肩を竦めて見せた。
いつもの事だし。
「ふむ……我が君の連れ合いとなったあの者の記憶もほとんど残ってはおりませんが、知性も高く、よいモノノフであった憶えがあります。ただ、ここでの生活は長くありませんでした。この地を治めていた領主が、騎士団を出しましてな。それは激しい戦いでした」
「そこは、憶えているんだ」
「朧気ながら。最後の戦でしたしな。まあ、我が君とその連れ合いは無事に逃しましたから、私としては満足しています。最後まで、戦りたい放題させてもらいましたぞ。剣に槍に斧、盾に鎧、幾つも潰しましたし、人間当たり所次第では、矢や槍など何本か刺さっても意外に動けるモノですな」
不敵な笑みを浮かべるユリンは、さながらまだ戦場のまっただ中にいるかのようだった。
そして、そんな彼女に憧れを抱くゴブリンが一匹。
「……か、かっこういいごぶ」
子供のように目を輝かせる、リユセである。
そんな彼の頭に、ゼリューンヌィの手が置かれた。
「ごぶ……おれたちがまねしたら、たぶんしぬごぶ」
ゴブリンは弱い。
それは、体力的にもいえる事であり、ユリンの真似をするよりも、相手の攻撃を防御するなり回避するなりの訓練を積んだ方が、生き残る確率はずっと高い。
いやまあ、ユリンが別に防御も回避も捨てた、攻撃一辺倒の戦いぶりを示したという訳でもないだろうが。
……何にしろ、敵から何度も攻撃を食らい、それでも戦い続けたユリンだったが、人間であった以上、限界はあっただろう。
「そして、力尽きてあの塚のあった場所で斃れたって訳か」
「左様。騎士団の団長が私の働きを評価し、ささやかな塚を作ってくれたのです。……まさか、あのような扱いをされるとは思いませんでしたが」
糸目がさらに細められ、その眼光がヴェールを射竦めた。
先端が槍のようになった尻尾も、獲物を狙うようにゆらりと揺れている。
「ご、ごぶっ!? すまないごぶ」
「くくく……冗談故、安心するがよい」
何度も土下座をするヴェールを、ユリンは笑って許した。
ただその笑みは、何だか蛇が獲物を狙うかのようなそれだった。
素なのかわざとなのか分からないが、なのでヴェールはビビりっぱなしだった。
「歴戦の戦士か。時にユリンさん」
「呼び捨てで結構ですぞ、家主殿」
「肉体を得た訳だけど、どこか行く場所とかあるかな?」
「くくく、家主殿も意地が悪い。私に肉体を与えたのは、そちらにも目論見があるからでは?」
「ふふふ、分かるか」
「勿論ですとも」
妙に腹に一物ある風な会話に、周囲の皆はどん引きであった。
「……悪徳商人と悪代官の会話だにゃあ」
なんていうバステトの感想もウノの耳には届いていたが、残念ながらウノは悪徳商人と悪代官の会話なんて聞いた事がなかった。
ただ、何となく碌でもない例えなのは、分かる。
それはともかく、ユリンとの交渉に集中だ。
「それで、私にして欲しい事を聞かせてもらいましょうか」
「何、大した事じゃない。主な仕事はこの洞窟の夜の番と、ゴブリン達の戦闘の教導係だ。森を探索して食べ物やその他素材を探すのは、仕事と言うよりそうしないと皆飢え死にするから、義務みたいなもんだな」
「なるほど、私にはうってつけの仕事ですね。肉体を傍に置いて幽体で見張れば、居眠りはしなくて済む」
「やってくれると助かるかな。対価として、この洞窟に住む権利が生じる。今は皆、上層をメインの生活の場にしているけど、中層も大分、居心地がよくなってきている。そこの一室を与えたいと思っているんだ」
「ならば、是非もない。私も肉体を得た故、生活する環境は必要ですからな」
どうやら、交渉は成立しそうだ。
これで、ゴブリン達の見張り番のローテーションも、楽になる。
昼間はともかく、夜はどうしても眠くなるし、生活が不規則になってしまうのが、悩みどころだったのだ。
ひとまずまとまったかな……と思った時だった。
「ごぶ……っ!!」
ドスドスとやや慌てた足取りで、ウノ達に変わって外の見張りを受け持っていたアクダルが、洞窟に飛び込んできた。
その雰囲気で、ウノは何があったのか察した。
「アクダル、魔物か」
「ごぶ、たぶん……かっぱーおっくす。はぐれの」
「何でこんな時間に、牛が暴れてるんだよ……いや、あー……この臭いは、ドランクマタンゴ。食い過ぎて、酔っ払ったのか」
牛形のモンスター、カッパーオックスの雄叫びと木々をへし折りながら暴れる音は、洞窟まで響いていた。
それにウノが鼻を嗅ぐと、おそらく偵察していたアクダルについたのだろう、微かながらドランクマタンゴの胞子の臭いがあった。この胞子には酩酊効果があり……つまり、暴れているカッパーオックスは酒乱状態になっているのだ。
この洞窟に住むようになってからは、よくある問題の一つだ。
さっさと追い払うか……と思っていたら、ウノに先んじる形で、ユリンが己の服装を正していた。
「では、よい機会ですな。私に門番が務まるか、ここで示してみましょう」
「武器はいいのか? それほどいいモノはないけど、大抵の武器はあるぞ」
「そうですな……生前ならば、長剣と盾と言いたい所ですが、この身体の具合も見てみたいので、不要とさせて頂きましょう。では……」
特に気負う様子も見せず、ふらりとユリンは洞窟を出て行こうとする。
もちろんウノ達も、何もせず見送るという選択はない。
「追うぞ。シュテルンは先に行ってもいい」
「分かりました」
バサリ……と羽音を立てて、シュテルンが夜の空へと飛んでいった。
ウノはシュテルンが小さくなっていくのを確認してから、ユリンの背を追った。