幽霊事件(下)
まあ、相手が強いからと言って、あっさり負けてやるほど、ウノは諦めのよい男ではない。
それに、シュテルンがバステトと連絡を取れさえすれば、多少状況は変わってくれるだろう。
つまりはまあ、勝てなくてもいい。
負けなければ、いいのである。
それだけでも、ウノとしては気が楽だった。
「それじゃま、粘りますか――オルトロス・システム!!」
まずは、並列思考により、戦闘効率を引き上げる。
思考の一つは攻撃、もう一つは防御に割り当て、ウノは透明なヒトガタ目掛けて、駆け出した。
「シッ!!」
ウノの十手とヒトガタの『剣』、両者の突きが交錯する。
ウノは身を翻しつつ、十手の先端で相手の顔に当たる部分を突いた。
硬い感触が、ウノの手に伝わってくる。
通常の物理攻撃ならば、ゴーストには無効化されただろうが、ウノは妖精種だ。精神体へのダメージもそれなりに通る。
『……っ!?』
ヒトガタが、ごくわずかに怯み、ウノから距離を取った。
手応えから察するに、おそらく相手は『兜』をかぶっている。
ダメージはほぼなかったようだが、ウノが得られたモノは大きかった。
相手は動揺する。すなわち、感情がある存在だ。
そしてちゃんと、ウノの攻撃は通る。
武器と装備、戦い方から察するに、重装系の戦士と見て間違いは無い。
最後に……。
「スピードならこっちが上のようだな!! これなら――」
手数で押す。
ウノはさらに攻勢を強める。
もちろんヒトガタも『剣』で攻めてくるし、一度でも当たれば軽装のウノはタダでは済まないだろう。
そこは、二つある思考の一つが必要最小限の動きで完全に回避に専念しているので、問題ない。
そして攻める場所は、喉、肩、肘の裏、膝の裏、腱。
すなわち、硬い相手への攻めのセオリーであり、ハイタンがいればリユセに手本にしようとするだろう。
だが、しかし。
「ぐっ!?」
突然、相手が硬くなった。
いや……相手の左側に板のようなモノ……構えているのは、もしや『盾』か?
一瞬強ばったウノの胴体目掛けて、『剣』が振るわれる。
「って、盾まで持ってたのかよ!?」
大急ぎで後ろに飛び跳ね、ヒトガタの攻撃範囲から逃れる。
そしてヒトガタは、さあどうする? とでも言いたげに、ウノに迫って重圧を掛けてくる。
「いや、それが本来のスタイルか。分かるよ、様になってる……とはいえ、こっちはどうするかね」
『盾』を構えられた以上、正面からの攻撃は、相当に難易度が上がったといっていい。
ぶっちゃけスピードと手数で押すウノとの相性は、最悪だろう。
……そうなると、まず真っ先に考えられるのは奇襲なのだが。
「当然、そんな事、向こうも思いついてるよな……っ!!」
だからこそ、ウノは普通に正面から突撃した。
一瞬、虚を突かれた風なヒトガタであったが、敵がそう来るのならばと不動の構えを取る。
盾で受け、怯んだところに武器を振るう。
シンプルだが、盾を持つ戦士の、鉄板といってもいい。
このままいけば、ウノは『剣』の餌食になるだろう。
が、もちろん素直にそれを受けるつもりはない。
ウノは駆けながら、左の中指に嵌めていた指輪に言霊を叩き込んだ。
「灯火!!」
指先ほどの小さな火が、ヒトガタの眼前に出現する。
『っ!?』
「幽霊だろうと、火を怖がるのは本能なのかねっ!!」
ほんのわずかな動揺、ウノにとってはそれで充分だった。
この、弱点がどこにあるのかも曖昧な相手を一撃で倒す術は、実はある。
ただし、ぶっつけ本番だ。
ウノは数時間前の、バステトとの会話を思い出していた。
「では、ウノっちの師匠であるウチキが、必殺技を授けるにゃ!!」
バステトがそんな事を言い出したのは、ウノが洞窟前で朝の炊き出しを行っている最中の事だった。
ゴブリン達は皆、マ・ジェフとハイタンに稽古をつけてもらっているので、一番手が空いているのがウノだったというのもある。
朝食は単純な、煮込み鍋だ。
「……弟子になった憶えはないんだけど。あ、火はもうちょっと強めで頼む」
「はいはい……って、料理の手を休めるにゃ! 真面目な話なのにゃ」
そう言いながらも、しっかり鍋の下の火力は調整するバステトである。
朝食は旨い方がいいに決まっているので、この辺りどうしても真剣にならざるを得ない。
「そう思うんなら、もうちょっと空気読まないか? 何でそんな必殺技云々の話を、飯作ってる最中にしようとすんの?」
ウノは、鍋の底が焦げないように大きな匙で掻き混ぜる。
「ふっ……決まってるにゃ。ご飯食べてる途中に忘れそうだったからにゃ」
朝から、いつも通り全開のバステトであった。
「ちなみに、ウノっち、ウチキが魔術の師匠である事、ガチで忘れてるのにゃ」
「あ」
一瞬、ウノのシチューを掻き混ぜる手が、止まった。
「まったく失礼しちゃうのにゃー」
「あと、神がこんな事を言い出したのは、おそらくあっちの訓練を見て、羨ましくなったからだと思います」
「あ、てるんバラしちゃ駄目なのにゃ!?」
皿の水をついばんでいたシュテルンの的確な指摘に、バステトが慌て始める。
大体そんな所だろうなーとは思っていたので、ウノも突っ込まない。
「よし、出来た。それで、必殺技って? 修行とか、するのか?」
「にゃあ。必要ないにゃ。それこそ、今からでも使えるにゃ?」
コテン、と首を傾けるバステトに、ウノとシュテルンはコケそうになった。
「ちょ、それ本当に必殺技か!?」
「あまりに、手軽すぎます」
「にゃー、というか魔術習得の過程を応用するのにゃ。つまり修行自体、もう済んでるのにゃ。要は魔力の操り方を、攻撃に転化させるだけなのにゃ」
「何か、そこまでぶっちゃけられると、必殺技っていうモノのありがたみがすごく薄れてくるんだけど……」
「にゃあ……自分でもそんな気はしてきたにゃ。でもまあ、憶えておいて損はないにゃ。やり方はだにゃあ……」
……つまり、重要なのは『魔力の渦』だ。
本来なら、触媒に属性や起動のキーを刻み込むのに使用するそれを、敵に向かって放つ。
バステトは、過剰な渦で深皿の水を思いっきり散らした。
またウサギの足を作る際には、やり過ぎると触媒が壊れると注意もされた。
そして、この『魔力の渦』は物質に浸透させる事も出来るとも。
なので、『灯火』で生み出したわずかな隙を使って、全力で『魔力の渦』を体内で生成する。
まず足に二つ――片足ずつに、分けた思考で練り上げる。
そしてそれを腰で合わせ、大きな一つのうねりを作り出す。
うねりは上半身を伝い、右腕を奔り、掌へと集中される――!!
掌が『盾』に触れた。
「魔力掌!!」
バステト命名の技を叫び、そこでウノは『魔力の渦』を解き放った。
衝撃と共に、透明なヒトガタが吹き飛び、白い霧が左右に割れる。
地面には、ウノを中心に巨大な螺旋の円が描かれていた。
ヒトガタの気配は……最早、ない。
「はぁ……勝負は俺の勝ちって事でいいよな」
大きく息を吐き、ウノはその場にへたり込んだ。
ウノも無傷ではない。
ギリギリで回避したとはいえ、軽い切り傷はかなりあるのだ。
シュテルンが迎えに来るまで、ウノは大人しく体力回復に努める事にしたのだった……。
なお、マジック・ハンドだと腕が伸びそうだからという事情で没になりました。
あと一応、必殺技関係の伏線、自分的には無事回収。