幽霊事件(上)
マ・ジェフ達が洞窟を去り、その日の午後。
ウノは緩やかに飛ぶシュテルンの先導で、森の中を歩いていた。
木々の間から漏れる日差しはほどほどにあり、気温も暖かい。
実に散歩日和と言えるが、ここは弱いとは言えモンスターが出現する森なので、そこまで暢気なシチュエーションではないだろう。
「……それで、何で昼間に夜光草の群生地を目指してるんだ、シュテルン」
「ゴーストならば、夜に出ます。ならば今ならば、偵察し放題です」
シュテルンは少し得意げだ。
本人的には、ナイスなアイデアだったのだろう。
「シュテルン……」
「は、何でしょうか主様」
ウノの呼びかけに、シュテルンは手近な枝に留まり、振り返った。
「ダンジョンだと、昼夜問わず出るよな、ゴースト」
「はっ!?」
ウノ達が住むダンジョンには別に棲んではいないが、ゴースト系のモンスターは実際、昼も夜も構わず出現する。
昼間にゴーストは出ない。
それも、誤りではない。
が、ゴブリン達やマ・ジェフを襲ったゴーストが今出る可能性は、『皆無』ではないのだ。一応は『ある』のだ。
何より、シュテルンの目論見には、大きな穴がある。
「……しかも、対象が不在の状況で偵察に出て、どうするんだ」
出たら出たで大問題だし、いなければただの夜光草の群生地である。
要するに、そういう目的ならば、一回戻ってしっかり準備するべきだろうという話であった。
「これは不覚!!」
「うーん、意気込みは認めるけど、変な方向に空回りしてるなあ」
「も、申し訳ございませんでした、主様。かくなる上は、腹を切って……」
「切腹!? どこで覚えたの、そんな台詞!?」
「え、城下町で主様の上司だった衛兵からですが」
ウノに、武器の十手を授けた男である。
「あのおっさんーーーーーっ!!」
ウノの絶叫が森に木霊し、小動物系のモンスターが慌てて逃げ去った。
ウノは首を振り、気を取り直す事にした。
ここでの生活は自給自足である以上、森の探索はウノの日課になっている。
「まあ、ゴースト関連以外にも、やる事は沢山あるからな。まずは今日の飯を調達しようか」
「そうですね、主様……あの、主様? 少々視界が白く……」
なるほど、言われてみれば、確かにわずかながら視界が曇っている。
煙、ではない。
微かな水気もあり、どうやらこれは霧のようだ。
「でも、こんな急に……」
別に昼間に霧が出る事はおかしな事ではないが、さっきまで空は晴れていた。
山は近いが、ここはそれほど高地ではないし、そもそもこの辺りで霧なんて出た事なんてない。
ウノ達が戸惑っている内にも、どんどん白い霧は厚みを増し、数メルト先の視界すら危うくなってきていた。
おまけにこの湿気のせいで、ウノの武器の一つである鼻も利きにくくなっている。
「シュテルン!!」
「はい!!」
阿吽の呼吸で、シュテルンが飛び立った。
一気に高度を取ったシュテルンと、ウノは視界を共有する……が、その映像も時折、砂嵐のようになり、普段の鮮明さがない。
それでも、この以上は理解出来た。
「主様、周囲一帯に霧が立ちこめています!! この周辺……だけです!!」
そう、白い霧はウノ達を中心に数十メルトのみ。
シュテルンの頭上には、普段通りに太陽が照っており、森の他の部分はいつも通りなのだ。
「おいおいおい、こりゃどう考えても異常事態だ――ぞっと!!」
シュテルンと視界を共有したまま、ウノは身を翻した。
一瞬前までウノがいた場所を、風が薙ぐ。
否、それはブロードソードの一撃だ。ただし、見えない、が付く。
そして改めて相対した相手は、さながら水か何かで出来た人形だ。
向こう側――と言ってもやはり霧だが――が、透けて見える。
「主様……!!」
シュテルンは、ウノを助けるべきか、バステトを呼ぶべきか迷っているようだ。
普段なら迷いなくシュテルンは、ウノを助けようとするだろう。
しかし、シュテルンに霊的存在へ攻撃する術はない。
バステトは――本来ならこういう時真っ先に干渉するはずなのに、それもない。
「おい、神様。聞こえて……ないな、こりゃ」
こちらから呼びかけても、反応は返ってこない。
「どうやら、神託も届かないようだ。――行け、シュテルン。それが最善だ」
「分かりました。どうかご無事で」
決断すると、シュテルンは早い。
あっという間に、洞窟の方へと飛び去っていった。
そして、透明なヒトガタ……ゴーストは、ウノに様子見する時間すら与えてはくれなかった。
風を切る音を轟かせながら、リーチのある攻撃を続けざまに放ってくる。
ウノは何とか回避出来ているが、そのたびに木の幹や地面を大きく抉っていた。
その間合いと威力、やはり幅広の剣を武器にしていると見て間違いない。
「なるほどなるほど、実に厄介だ。よくまあ、ゴブリン達も逃げ出せたもんだよ……!!」
何故今、ここに現れたのかは、ウノには分からない。
まあ、取り逃がしたマ・ジェフ達を待ち伏せていたとか、そんなところかもしれない。
が、今はそんな事はどうでもいい。
第一なのは、そんな疑問よりも、自分の命である。
相手は一旦止まったかと思うと、ズッとすり足で一気に距離を詰めてくる。
そして無拍子での斬撃がウノの眼前に迫る。
ウノは身を沈めて足払いを仕掛けようとするが、直後にギロチンのように透明な刃が頭上から降ってきたので、慌てて地面に転がった。
しかし相手の攻撃は終わらず、地面を掘るように二度、三度とウノが直前までいた場所を抉っていった。
ウノは必死になって、何とか距離を取るのが精一杯だ。
反撃どころではない。
離れた所で、透明なヒトガタは再び『剣』を構え直す。
「はぁ……はぁ……ちょ、コイツ、ヤバい」
相手の攻めは、朝方にハイタンがリユセに話していた『無駄のない動き』そのモノだ。
そしてマ・ジェフも言っていた。
「いやいや、種族の話じゃないんだよ。正規の訓練を受けた動きというか、アレはオレ達冒険者みたいな野良の身のこなしじゃなかったね。それも相当使える。この公爵領でいえば、騎士隊長のオーネスト級だね」
「相当どころじゃねえよメチャクチャ強いよ、これ……つーかヴェールに奴は、後で個人的に折檻だな」
ノーモーションでの攻撃は、格ゲーでいう所の随時キャンセルみたいなもんと思って下さい。
つまり、人間技じゃないです。
あと作中語られるおっさんが出る予定は、特に要望でも出ない限りありません。