中層下層へのご案内(下)
「あのモンスターは、さっき見なかったな」
「ああ、あれはマルモチから分裂した、気体タイプの不定形モンスターなんだ。湿気を食べる事に特化してる。これも、まだまだ数が足りなくてね」
ウノ達は、ミストと呼んでいる。
気体かジェル状か以外は、ほぼスライムとの違いはない。
ある程度、湿気を吸い込んで大きくなったら、スライムと融合するか、外に出て拡散するかのどちらかをしてくれている。
「私が飛んでいると、あの子達に時々ぶつかります」
「そこはお互い、気をつけないとな」
もっとも、シュテルンとぶつかったところで、特にダメージを受けている様子はない。
軽く広がり、やがてまた元の大きさぐらいに戻って、漂うだけだ。
「……鳥が飛ぶにも、そこそこ充分ってのもすごい環境だよな」
シュテルン曰く、全力を出すには少々手狭だが、普通に飛ぶ分には問題ないスペースなのだという。
上層からの隠し扉以外は各所に扉がある訳でもなし、移動に限ればここでは、シュテルンの方が圧倒的に早い。
「いっそ、馬も入れればいい。移動が楽になるだろう」
ボソリとハイタンが呟いたのは、おそらく皮肉だったのだろう。
けれど、ウノはそれをそのまま受け取った。
「そうか、ゲンツキホースならここまで入れられるし、それはいいアイデアかも」
実際、ここまで入れる事は、何ら問題ないのだ。
洞窟という事で馬を入れるという考えがなかったが、中層全体の移動を考えれば、馬を使うのが最も効率的だろう。
居心地的にはどうかは、ゲンツキホースのカーブに聞いてみるべきだろう。
「個人的には余った空間が勿体ないなあ。ここ一つで、テノエマ村の住人全部収容出来そうだし……そうだ! いっそここに村を作るってのはどうだ?」
マ・ジェフのアイデアには、ウノは首を振る。
それを考えた事だって、一度ではない。
しかし、そのたびに没にしてきたのだ。
「住人がいなくちゃ、村にはならないだろ。誰が住むのさ」
「むむ、そう言われると……そっかあ。モンスターと共同生活みたいなもんだしなあ」
「たまに来る分ならいいが、一緒に住むとなると話は別になるだろう。何より店も何もないし、周辺はそれほど強くないとはいえモンスターがたむろしている。その提案は、気が早い」
没の理由は、大体ハイタンが言ってくれた。
それに獣道しかないから、まず商人が来ない。流通が発生しないのだ。
加えて、もしも仮に人を入れるとしても、そのためのルールの制定が必要だ。
例えるならウノが大家で、住む人間は店子なのだから。
そういう意味では、バステトの相談も必要となる。
まとめると、色々と面倒くさすぎて、今のところは考えられないのだった。
「上手くいかないもんだねえ。ただ、トラップの名残を色んなモノの収納場所に利用するのはいいと思うね。通行の邪魔にならない」
そんな話をしながら、ウノ達は下層に向かう事にした。
マ・ジェフ達が中層に下りた時の反応は絶句だったが、下層でも似たような感じだった。
唖然呆然。
広大なドーム状空間には、おそらく様々な色のミストと合体したのであろうウィル・オー・ウィスプや光の精霊が漂い、ある種幻想的な風景となっていた。
そしてやはり、主役は中央の祭壇であり、ダンジョンの力が増してきているせいか、微かながら自ら輝いていた。
「こりゃあ……金が取れるレベルじゃね?」
「悪くない。ただし、邪神の祭壇だが」
小さく口笛を吹くマ・ジェフと、腕を組んで唸るハイタン。
「にゃあ、別にウチキは邪神じゃにゃいし、他の神だって祀れるのにゃ」
「は?」
ここの主であるバステトの説明に、マ・ジェフの目が点になる。
そうだろうなあ、とウノも思う。
そんな神殿、少なくともこの国には存在しない。
「この神殿は比喩表現抜きに器が広いのにゃ。他の神を祀っても、問題ないのにゃ。それを邪道と見なすかどうかは人間の勝手なのにゃ」
「現に、ゴブリンの神であるセントートルも一緒に祀ってるし」
司祭役を担っているのは、グリューネだ。
まあ、これはゴブリンシャーマンだから、当然だろう。
そして最も敬虔な信者なのは、ゼリューンヌィであり、毎日欠かさずここで祈りを捧げているのだ。
「マジで!? っていうかゴブリンに神っているの!?」
「ゴブリンシャーマンがいるんだから、祀る神だっているだろ」
「それは……俺達は考えた事もなかった」
ハイタンが、眉間に皺を寄せる。
そして、うむと頷いた。
「だが、考えてみれば、それは道理だ」
「民俗学者でもない限り、普通そこまで考えが及ばないにゃあ。ただ、あの子が顕現するにはまだまだ、力が足りないにゃ」
「増えちゃうんだ、神様……」
マ・ジェフが恐れおののく。
うん、まあそういうリアクション取るよなー、とウノは力なく笑ってしまう。
一方、ハイタンは別のモノが気になっているようだ。
その視線は、ドームの天井に向けられていた。
「あの、天井の切れ目は何だ?」
「明かり取りにゃ。まあ、他にも色々利用方法はあるのにゃけど、今は使えないのにゃ」
「何でさ。せっかくあるのに。あれ開けば、ここの空気もよくなるんじゃないの?」
マ・ジェフが首を傾げる。
中層よりは比較的澄んでいるとはいえ、やはりここもダンジョン。
空気の流れは今一つ、停滞している感がある。
ただ、使えないのには、れっきとした理由があった。
「真上が湖になってて、開くとすごい勢いで水が降ってくるのにゃ」
「何でそんな所に明かり取りを造ったのさ!?」
ドーム全体に響くほどの盛大な、ツッコミであった。
まったくその通り、何故造った。
と、ウノも以前、バステトから説明を受けた時にまったく同じツッコミをしたのだが、理由も聞いていた。
「神様が言うには、造った当時は普通に開く仕組みだったらしい。ただ、地震やら川の氾濫やら色々な影響で、長年の間に真上に湖が出来たんだそうだ」
たかだが三〇〇年、されど三〇〇年であった。
そういう事も、ある。
「ま、気にしなきゃ開けるけどにゃあ。皆ずぶ濡れになる準備はおっけーにゃ?」
「いや、やめろ!?」
全員で、バステトの暴挙を止める事となった。
全員で上層に戻り、マ・ジェフらの意見をまとめる事となった。
「とりあえず……まあ、すごかった。ただ、このダンジョンに危険がないって事は、冒険者ギルドに報告しとこう。信用されなかったら再調査に誰か来るかもしれないけど、同じようにやっときゃ多分、有害無害以前に顎が外れると思う。えーと、それと、オーシンの冒険者ギルドにも伝えて欲しいんだっけか?」
「そうそう、向こうのギルド管理のそれを買ったからさ。問題ないって伝えといた方がいいと思ってね。リフォーム、大変だけど」
「了解了解。それじゃ明日は約束通り、ゴブリン達の戦闘レクチャーだな。本当に短時間になるけど、出来る限り仕込んでやろう」
「ああ、よろしく頼む」
そんな感じで、この日は終了したのだった。