前日譚01:住む場所がありません
話は前日にさかのぼる。
この日、ウノはエンベル王国コバルディア公爵領城下町オーシンにいた。
普段の商業地区は、行商人や露天商、また買い物客で賑わっているがここ数日は少々様相が異なる。
賑わってはいるが、どこか焦りと困惑の空気が漂っていた。
道行く人々も、どこか不安そうに世間話を交わしている。
そんな商業地区の一角にある不動産屋。
そこで、ウノは馴染みであるグランド氏と応接テーブルを挟んで、向かい合っていた。
「何とかなりませんか」
「うーん、ないねぇ……ウノちゃんの頼みだから何とかしたいのは山々なんだけど、どこも塞がってるよ」
ウノは頭を下げるが、むしろグランド氏の方が開いたファイルを前に申し訳なさそうにしていた。
褐色の雪だるまに丸太の手足をつけたような、初老の男である。
ファイルの内容は契約対象の物件の数々で、ほぼ全てが契約済みとなっていた。
「全部ですか」
「うん、全部。何しろ、貧民街丸々潰されちゃったでしょ? ウノちゃんが支払える家賃レベルのアパート借家一軒家、パーフェクトに全滅。というか、まだ決まってない所にも浮浪者達が無断で住み着いちゃってる問題で、不動産ギルドは領主に陳情するかどうかって騒ぎになっちゃってるし」
グランド氏も疲労しているのか、笑みを浮かべる目の下に隈ができていた。
「それは……お気の毒です」
「いーのいーの、それはこっちの話だから」
目下、この城下町オーシンを賑わせているのは、数日前に行われた貧民街の取り潰しの一件であった。
議会での決定から実行まで、たった一日。
貧民街を根城とする複数の犯罪組織の壊滅、違法な商売の摘発、衛生環境の改善等が理由に挙げられ、議会に徴発された土木職人達があばら屋をハンマーで破壊して周り、騎士団が住人達を追い立てた。
ここに住まざるを得なかった人達にとっては、たまったモノではなかった。
ウノも貧民街を住処としていたが、元々少なかった荷物だけを手にそこを出て行くしかなかった。
そして今は、相棒であるシュテルンと共に新しく住める場所を探しているのだった。
なお、シュテルンは、脱走癖のある事で知られているグランド氏の飼い犬アースの散歩を務めている。
冒険者ギルドを仲介とし、何度かアースの捜索を担当したのが、ウノとグランド氏の縁であった。
ただ、縁はあると言っても現実は厳しい。
ない物件を増やすような魔法など、グランド氏は使えないのであった。
「問題は、ウノちゃんの方でしょ。そんな事情で紹介出来る場所がまったくないのよ」
「くあぁ……マジですか」
「うん、マジで。……ただ、ここだけの話になるけど、ウチじゃ駄目だけどもしかしたら、何とかなる物件があるかも知れない。ほとんど駄目元だけど、聞いてみる?」
「そりゃもちろん。このままだと最悪野宿ですし」
「うん、でも今のご時世、それも危ないのは分かってるよね? 治安がすごく悪くなってる」
「理解してます」
貧民街は完全に更地にされ、現在は新たな開発が始まっている。
貴族達向けの遊興地区になるのだという。
そして、行き場を失った元貧民街の住人達は、このオーシン中に散らばってしまった。
その結果、空き巣や強盗といった犯罪が一気に増加し、城下町の空気は今、かなりの緊張状態にあるのだった。
元々あまり評判のよくなかった領主コバルディア公爵は、さらにその人望を失っていた。
まあ、そんな不人気公爵の話はどうでもいいが、この状況で野宿など、襲って下さいと言っているようなものだ。
「オーケー。じゃあその物件の話だけど、持ってるのは冒険者ギルドでね」
「あそこが?」
「そ、ウノちゃんの勤め先。意外だったでしょう。でもね、結構色々持ってるのよ」
この世界において、人間は生物の頂点ではない。
その立ち位置にいるのは、火山を住処にするドラゴンであったり、高地に住む巨人族だ。
そうでなくても、この世界にはモンスターが跋扈し、人類は常に脅威に晒されている。
そうした外敵に立ち向かい、未知の地を踏破する者達を冒険者と呼ぶ。
人は弱い。
凶暴なモンスターと戦って命を落とすモノは数知れず、古代王朝の遺跡を探索すれば罠に掛かり、嵐や津波のような天災にも抗えない。
けれど、単独では困難な状況も群れでならば突破出来る。
情報の共有、仲間を得る場所の提供、モンスター被害に悩む一般人との橋渡しの請負。
そうした需要から生まれたのが、冒険者ギルドだった。
冒険者ギルドの仕事は、ただモンスターを討伐するだけに留まらない。
ウノの場合は、城下町の中での仕事をメインとしている。
聴覚嗅覚に優れる犬獣人であるウノと、空から町を俯瞰出来るシュテルンと感覚を共有が可能な特性『動物使い』は、ペット迷子の捜索にはうってつけだ。
また、特性の主である『契約』を使うまでもなく、『動物使い』は動物との意思伝達が常人よりも容易であり、ペットの散歩代行や躾も請け負っていた。
事件があれば、衛兵の仕事を手伝ったりもする。腰の後ろに差した十手は、異国の血の入った衛兵から、古くなったモノを譲ってもらった。
郊外の畑では害獣駆除の仕事もあるし、野生のモンスターを相手にしたこともかなりある。
滅多にないが、そうした仕事がない時には、動物を使った大道芸で稼いでいた。
何より、人間の中には獣人を蔑むモノも多いが、冒険者ギルドにはそれが少ない。
実力を重んじるからだ。
もちろんそれだってゼロではないが、仕事の面接以前に種族が獣人というだけで断られるという事がないのだから、御の字だろう。
そもそもここを治める領主が、異種族を嫌う傾向があって生き難い。
ウノがこの地を離れなかったのは、ここがウノにとっての生まれ故郷だったからだ。
まあ、そうは言っても住処は必要であり、ウノは冒険者ギルドを訪れた。
カウンター席でウノを応対したのは、年齢は彼とさして変わらない、十七、八歳ぐらい、知った仲である受付嬢ピエタだ。
「……グランドさんからこっちで物件を扱ってるって話を聞いて、伺ったんですけど」
「グランドさんの紹介状まで……ウノさんなら、お世話になってますから、なくても大丈夫でしたのに」
「え、そうなの?」
「はい。ですが、あった方が上への話は通しやすくなると思います。ありがとうございます」
「いえいえ」
ピエタは蜂蜜色の髪を掻き分けながら微笑み、紹介状を脇に置いた。
そして、カウンターの下から分厚いファイルを引っ張り出した。
「……それで、ここが持っている物件っていうのは?」
「そうですね……端的に言えば、ダンジョンです」