VSトラップスパイダー
そして、ウノは本気で走り出した。
その分周囲のモンスターへの警戒力が落ちるが、そんなモノは後回しだ。
頑張るリユセには気の毒だが、ウノが本気で速度を上げるとゴブリンの足ではまずついてこれない。
「ところで余計とは何でしょうか、主様」
「ヴェール以外にも、何かいるって事だ」
多分、野犬か何かだろう。
茂みを掻き分けると、ウノ達の目の前に細い糸が迫ってきた。
「っ!?」
慌てて足を踏ん張り、それを見た。
糸は一本ではなく、幾筋も連なり模様を作っていた――立体的に張り巡らされた、巨大な蜘蛛の巣だ。
森の開けた場所に縦横無尽に張り巡らされたそれのほぼ中央に、ヴェールの姿があった。
「ごぶぅ!!」
「きゃうん!!」
ジタバタともがくヴェールのすぐ横に、子犬、いや、あれは仔狼か。
そして、その向こうには完全に白い糸の塊と化した大きな何か……おそらく、ヴェールが追っていたバロンディアだろう。
ピクリとも動かないし、あれはもう手遅れのようだ。
「こいつは……厄介だ。……リユセ、暴れるな。迂闊に触れると、お前まで捕まるぞ」
仲間を助けようと手足をジタバタさせるリユセの胴体を、締め上げる。
大人しくなったリユセを地面に下ろすと、リュックからカンテラと火打ち石を取り出し、素早くカンテラに火を点す。
「シュテルン、飛べ」
「え?」
考えるより先に、シュテルンはウノの命令に従った。
ガチリ。
直後、ウノは軽く前転して、頭上から迫った人サイズの巨大蜘蛛、トラップスパイダーの噛み付きによる奇襲を回避した。
「ごぶっ!?」
「主様!?」
ウノは片手でランタンを掴むと、それをリユセに投げる。
同時に、腰の後ろから十手を引き抜いて、トラップスパイダーの追撃を牽制した。
突き出された十手の先端に、躍り掛かろうとした巨大蜘蛛はスッと後退した。
だが、あくまで回避のための後退だ。
その証拠にウノの鼻は、巨大蜘蛛の攻撃的の臭いがより強まってきているのを感じ取っていた。
「リユセ、蜘蛛の巣は任せる。リュックから油を取り出して、剣に塗れ。火で蜘蛛の糸を焼いて、ヴェールの所まで行くんだ」
「ご、ごぶ……!」
相手が後退した分、ウノは高速の連撃と共に巨大蜘蛛へと踏み込んでいく。
「『バーン』!!」
「っ!?」
十手を振るいながら、もう一方の手で『ピストル』を放つ。
だが、蜘蛛の危険察知の方がわずかに早く、回避されてしまう。
見えない弾丸は、遠くの木の枝をへし折った。
ただし、不可視の飛び道具の存在は大きい。
これで向こうは迂闊に攻めてこれなくなっただろう。
蜘蛛は糸を駆使して木々を跳ぶように移動するが、ウノもまたその脚力を活かして追撃の手を休めない。
これに反撃せんと、巨大蜘蛛が幾つも糸を吐き出し始めた。
枝から枝へと渡り、太い木の幹を盾にして、ウノはその糸を避けては、受け流すを繰り返す。
その合間合間に『ピストル』を放って、攻めも休めない。
森の高みで、擬似的な空中戦が繰り広げられていく。
そして空中戦と言えば――
「まずは一撃!」
「っ!?」
ウノに意識が集中した所で、後方から飛来したシュテルンのクチバシ攻撃がトラップスパイダーを傷つける。
「ヴェール、お前も火打ち石を持ってたはずだろう! そっちでも焼くんだ!」
「ごぶっ!!」
木の上で高速の攻防を続けながら、ウノは眼下の蜘蛛の巣の中心にいるヴェールにも命じた。
「シュテルン、もっと時間を稼ぐぞ。糸には特に注意しろ」
「了解しました」
……ウノは、自分の視野がいつもより広い事を、不思議に思った。
迫ってくる眼前の大蜘蛛との近接戦闘と、ゴブリン達の脱出作戦の両方を、同じレベルで意識出来ている。
普通なら、どちらかが疎かになるはずなのに……。
「そうか、これが神様の言っていた『力』か」
――そうにゃー。
『オルトロス・システム』のオルトロスは、双頭の犬を指すのにゃ。
並列思考で同時に二つの作業をこなす事が出来る、つまり行動が二倍になるにゃ。
「おお、御利益大したモンだ。これなら何とかなるか」
リユセは炎で赤く染まった剣を振り回し、ヴェールへと近づいていく。
ただ、足下もトラップスパイダーの粘糸が広がっており、歩けないほどではないにしても、その進みは遅い。
一方、巨大蜘蛛に捕らわれていたヴェールも、何とか火打ち石で糸に火を点け……。
「ごぶっ、ごばっ、ごぶぅっ!?」
ついでに自分も焼かれてもがいていた。
何をやっているのやら。
ウノは木の枝を渡り歩きながら、トラップスパイダーの噛み付きと糸に応戦する。
十手を振るいながら、空いているもう片方の手で腰に下げていた水袋を外すと、袋ごとヴェールに投げつけた。
「シュテルン!」
「はい!」
シュテルンが軌道を変え、弧を描いて水袋を追った。
ヴェールの頭上に袋が届いた所で、袋の尻をシュテルンのクチバシがキャッチした。
中身の水が降りかかり、燃えていたヴェールの火を鎮火する事に成功する。
「ご、ごぶ……?」
お陰でヴェールは焼死せずに済んだようだ。
そして、トラップスパイダーとの戦いも、決着がつきそうだった。
「『確保』!!」
「っ!!」
ウノの叫びと共に、トラップスパイダーは前の二脚を光の輪で封じられた。
その一瞬の隙を見逃さず、ウノの放った十手の先端がその胴体を深く突く。
手応えは充分あり、巨大蜘蛛は森の深くの方へと下がり始めた。
まだこちらの様子を見ているが、しばらく攻撃はしてこない。
「悪いな、お前の食い扶持を奪っちまって。だけど、あのゴブリンはウチのモンなんだ。返してもらう。すまないけど、別の獲物を獲ってくれ」
木の枝の上から地上を見下ろすと、リユセがようやくヴェールと合流出来たようだ。
ヘロヘロのヴェールが、リユセにもたれかかった。
「……ごぶ」
世話焼かせやがって、みたいな響きの唸り声を上げてから、リユセはこちらに小さな手を振った。
「……ごぶぅ」
「よし、目的達成。全員全力で逃げろ!!」
「ごぶっ!!」
ヴェールはリユセから離れると、深層の出口へと一目散に駆け出した。
「って逃げ足は本当に速いよな、お前!?」
「……ご、ごぶぅ」
さすがに、リユセも呆気にとられていた。
その後頭部を、シュテルンが軽くつつく。
「行きますよ、リユセ。トラップスパイダーが様子を伺っている、今の内です」
「……ごぶ」