中庭
外周を回り終えたウノとシュテルンは、『西』にある地下通路を歩いていた。
行き先は、もちろんこの先にある中庭である。
かつては毒水で水没していた、この通路。
以前の通路はずいぶんと湿り、足下もネチャリネチャリと粘りのある土がまとわりついたモノだが、火の精霊や火蜥蜴が乾かし、さらに石で補強したそこは、歩くたびに硬い音を立てている。
「……結局のところ、ここが通れなかったのは、俺のせいだったという」
「それは、知らなかったのだからしょうがないのでは? それに数百年ですから、毒と言うよりも普通に水が腐っていたのではないでしょうか」
三〇〇年前の騎士団侵攻時に、ウノとバステトは中庭に魔石を隠した。
それを、騎士達に奪われないよう、通路を水で沈め、さらに毒を注いだのはウノである。
そして時は流れ、初めてここを訪れたウノは、奇妙な水没する通路が気になった。
この先に何があるのか、と。
……そも、そこを塞いだのは、未来の自分自身であるとも知らずに。
「そもそも、知ってても言わなかった方もいますし」
ついばみの刑でしょうかね、と、ボソリと少し後ろを歩くシュテルンが呟く。
すると、慌ててバステトが姿を現した。
「にゃあ。時間の流れに矛盾が生じるから、言わなかったのにゃ。それに、言っても信じなかったにゃ?」
「主様」
バステトの言い分に、ウノは肩を竦めた。
「まあ、それはそうかもしれないな」
「ということですから、しょうがありませんね」
基本的に、ウノの意向には全面的に賛成する、シュテルンであった。
「にゃー。今回は物理的なお仕置きとかなくて、よかったにゃ」
「クチバシでの攻撃が出来ないのが、この姿の唯一の不満ですね」
ただし、足は残っている。
その威力、強鬼ですら一撃である。
「け、蹴りも駄目なのにゃ?」
ビクビクと、バステトは後ずさっていた。
そして一行は、緑の広がる中庭に出た。
「ふぁ……やっぱり、外はいいな。何より安全な外ってのがいい」
「にゃー」
すり鉢状になった中庭は、手前がまばらに花の生えた草原で、中央には草木の神タネ・マフタの化身でもある大樹が成っている。
今も、アルラウネのイーリスが世話をしているようだ。
その奥は愛の神イシュタルが管理する牧場となっており、黒山羊や雄牛が草を食んでいる。
楕円状に土の通路が出来ており、一周が八〇〇メルトと軽く走るのにはちょうどいい造りとなっていた。
また、斜面となっている場所は段々畑になっていて、食の神であるセンテオトルがゴブリン達と新しい畑を耕している。
ウノの周囲にはやや高めの木が生えていて、数メルト先に四阿が存在している。
いや、他に……何やら人がうずくまって、何かを掘っているようだった。
「そこで何を……ああ、新しく入ってきた人ですね」
誰何したシュテルンが、言葉を切った。
声に気付いて振り返ったのは、痩せた神経質そうな青年だった。
このダンジョンを襲撃した強鬼の一体だった、『芸術家』パルム・ラドーニである。
先刻あった二人と同じく、やはり薬の副作用で顔色は若干悪いが、まあ歩ける程度には健康なのだろう。
ちなみに彼がここを襲撃するに到った経緯はウノ達も聞いており、いわゆる痴情のもつれという事もあって、女性からは若干敬遠されている。
なので、シュテルンも少々警戒気味だ。
「これは家主さんと奥さんと神ではないですか」
「全てを許します」
シュテルンは、あっさり警戒を解いた。
「こらぁっ!? ……っていうかまだ奥さんじゃねえよ」
「まだという時点で、時間の問題でしょうね。ああ、ちなみに僕は絵の具の材料を集めていました。いや、ここは自然素材の宝庫ですね」
パルムは、看板や案内図を作ったりといった、デザイン関係の仕事を任せてある。
上司がバステトという、ある意味不安を覚える配置だが、今のところは特に問題なく回っている。
「お世辞を言ったって、何も出ないぞ」
「……わざとじゃないんですよ。癖でして。ただまあ、本音の部分もありますが」
さすが、元は支援者の庇護を受けていただけに、口が達者だ。
それはさておき、とパルムは立ち上がる。
「散歩ですか?」
「そ。最初の頃と、何となく比較したくなってな」
「最初の頃?」
「この辺は、本当に何にもなかったんだよ。なーんにも」
ウノは、正面に広がる緑の光景を指差した。
シュテルンも、ウノに同意する。
「ほぼ、完全な荒野でした」
「それはまた、想像出来ませんね」
「画家なんだから、それぐらいはイメージしてくれよ」
ウノのツッコミに、パルムは額を叩いた。
「これはしたり。……ふと思いついたのですが、二つの絵を重ねて、角度を変えて見え方が異なる絵画というのは、どうでしょうか? その、荒野と今のこの中庭を同時に見られるという趣向です」
「面白いアイデアだけど、出来るのか?」
はは、とパルムは笑った。
「思いつきですので、実現が可能かどうかとなると」
「出来るのにゃあ」
「知っているのかライデン?」
「主様、何故ライデン」
シュテルンに突っ込まれたが、これはしょうがないのだ。
「……いや、こういう時はそう返すもんだって、この猫神様が」
「にゃあにゃあ、いわゆるお約束なのにゃ」
そもそも、ライデンというのが何なのかも、ウノにはよく分からない。
ちなみに、テラーだかテルーだか、そんな名前でも代用が可能だったような気もする。
にゃあにゃあと、バステトはまだ喋っていた。
「レンチキュラーレンズといって技術的には可能にゃけど、作るのは大変にゃ。用は二つの絵画を交互に貼り合わせるのにゃ。でもまあ、試してみるのも一興なのにゃ。頑張るのにゃ」
ポン、とバステトはパルムの腰を叩いた。
「僕が作るんですか!?」
「言い出しっぺなのにゃ。応用すれば飛び出る絵画とかも作れるにゃ。面白いと思わないかにゃ?」
「そ、それは確かに……」
パルムも興味が湧いてきたらしい。
むふん、とバステトは平らな胸を張る。
「ささやかながら、芸術神の一面もあるのにゃ」
「珍しく、神様っぽいところを見た気がする」
「ええ」
「し、失礼なのにゃ!?」
でも実際、滅多に見ないので、しょうがないのである。
「そもそも、さっきから出たり消えたりしているのは、一体なんなのですか」
シュテルンの呆れたような目にも、バステトは悪びれない。
「にゃ、猫は気まぐれなのにゃ。あちこちうろついているのにゃ」
「面倒なので、ついてくるのか来ないのか、どちらかにして下さい」
「相変わらずの一刀両断ぶりなのにゃ。にゃあ、ではでは一緒についていくのにゃ」
「え……」
「そこでやな顔されると、こっちの立つ瀬がないのにゃ!?」
シュテルンとしては、出たり消えたりされるのも鬱陶しいが、自分達の散歩に第三者がついてくるのも微妙……というところなのだろう。
ともあれ、バステトも同行者に加わったのだった。
なお、ライデンはカタカナなのでセーフ(かどうかは微妙な所)。