中層――バックヤード
外周をグルリと歩み、『西』から『南』下すると、一気に人気が減る。
元々朝なので、人の通り自体少ないのだが、ダンジョンの『南』半分のほとんどは中層の裏手に当たる。
関係者以外立ち入り禁止区域という事もあるが、その中でも出入りする人間が限られているのだ。
別に制限が設けられている訳ではない。
単純に、用事のある人間が少ない為である。
この区域には、倉庫、会議室、『図書館』、『孤児院』、などが存在している。
一応『南』半分という意味では、ウノとシュテルンの『自宅』もこちらに該当しているが、ここに戻るのはもう少し後となるだろう。
『南』の大部屋。
ここは煉瓦を積んで、部屋の大半を外周通路と区切っている。
扉などはなく、中央の五メルト程は煉瓦を積んでいない出入り自由となっている。
その奥はまた煉瓦で区切って、幾つもの小さな部屋を形成していた。
そんな大部屋の区切りの手前で、最近新しく入ってきた鹿獣人のディロスが大きな欠伸をしていた。
「ふああぁぁ……」
夜更かしでもしていたのだろう、ずいぶんと眠たそうだ。
「デカい欠伸だなあ」
「ん、ああ、大家か。……うん、少々頑張りすぎた。だが、その甲斐あって、来年度の予算はバッチリ組むことが出来たぞ」
平服だが、いい生地を使っている。
……まあ、ウノもシュテルンも、彼の正体は既に知っているが、触れることはない。
さすがに知識は大したモノで、外から来た人々が神に捧げる供物やお布施、『中央』大部屋の商店街や下層の温泉の売り上げなどの経理関連は、彼が参入したことで一気にシステムが構築された。
ただ、ウノとしては、ちょっと負担を掛けすぎてやしないかと、心配にもなる。
「そりゃ有り難いけど、睡眠はちゃんと取っておいた方がいいぞ。うっかり車道に出て馬に撥ねられたとか、洒落にならない」
一応罰と言えば罰なのだが、無理をして倒れられても困るのである。
「うん、まあ、気をつけよう。しかし仕事をしていると、割と楽しいのだ」
最初の頃こそ、モンスター達と同じ生活に相当に神経を張っていたが、その限界を突破してしまったのかある種吹っ切ったようで、今では特にその事を気にしている様子はない。
「……寝不足の原因は、その角にもあるのでは? 普通のベッドでは眠れないのではないですか?」
シュテルンの問いに、ふ、とディロスは不敵な笑みを浮かべた。
「それも、解決した。ベッドのマットを一段高くしたのだ。枕より上を深くする事により、角で頭がつっかえることもなくなった。ただ、寝返りは打てないが」
妙な工夫に知恵を張り巡らせるなあ、とウノは思った。
でも睡眠はある意味死活問題だし、必死にもなるか。
なんて考えていると、ディロスの後ろから、同じような大あくびをしながら近づいてくる人影があった。
「ふあ~あ……」
「って二人目もいるのか」
「んん? あー……大家殿。これは、見苦しい姿をご覧に入れたかな」
「こういう場所だし、別に気にしなくてもいいけどな」
身を正し、一礼するのは骨のように痩せた青年だ。
目の下には隈があり顔も青白いため、さながら幽鬼のようだが、別にアンデッドの類ではない。
名前をファクル・グロリアといい、このダンジョンを襲撃した強鬼の一体でもあった男だ。
この不健康そうな顔と体つきは、薬が抜けて人間に戻った副作用である。
元騎士でもあるペガル・パテアルと同じく、罰としてここで、働かされているのだ。
一応、休憩と三度の食事と昼寝の時間は与えられているが、基本無給である。
もっとも、今のところ、それほど不満があるようには見えない。
「さっき、ディロスにも言ったけど、馬には気をつけるように」
「大丈夫だ。それは一回、経験してる」
「してるのかよ!?」
「幸い、通りすがりの神様が投げ飛ばしてくれたから、助かった」
不満がない大きな要因は、ファクルが通う道場だろう。
中層『北東』の中部屋を利用した、武神アスラの格闘道場には、ファクル以外にも多くのダンジョン関係者が通い、日々汗を流している。
そこで、性根を叩き直されたようだ。
貧弱な肉体なりに動かしていると、割と悩みなどは解消されてしまうのだという。
また、ファクルは知識もかなりあり、ディロスの補佐的な役割も担っていた。
それにしても……。
「……アスラ、すごいな。馬投げるのかよ」
「主様も出来るのでは?」
「出来るとは思うけど、普通はやんないんだよ」
大体、投げられた馬の方も痛いだろ、とウノはシュテルンに反論した。
そこに、三人目が現れた。
「あら、マスター。図書館をご利用ですか?」
熊耳の幼女、アルテミスだ。
『図書館』とはいっても、単にウノの私物や行商人から買った書物を集めた場所なのだが、最近になって妙に充実してきた節のある部屋だ。
読み書きの出来るウノはよく出入りをしている……が、今は入るつもりはない。
「いや、単なる散歩。もしくは見回り。あそこにいると、あっという間に時間潰れるからなあ」
「本はどうしても、読むのに時間が掛かりますからね」
「個人的にはもうちょっと、面白いのがあると嬉しいんだけどな。ほら、法律関係とか、学術書とかが多くて、物語とか子供向けはほとんどないだろ」
「言われてみればそうですね」
「そういうのがあれば、『孤児院』でも本に興味を示すんじゃないかな。……という名目で、俺が読みたいだけなんだけど」
「考えてみます」
アルテミスは、スッとディロスに視線を向けた。
「そこで、ディロスを何故、見るのか」
「ふふふ」
アルテミスが微笑む。
まあ、最近になって、書物が充実してきた原因なのだから、しょうがないといえばないのだが。
別に買った訳ではなく、彼の実家にある書物を取り寄せているだけなので、懐的にはほとんど負担はない……らしい。
ただ、それでも神の力は感じちゃっているようで、ディロスは腹に手を当てていた。
「……プ、プレッシャーが、胃に……いや、それぐらいの要望は、どうという事もないのだが……」
「し、しっかり、こうしゃ……いや、ディロスさん」
鹿獣人ディロスの苦労は、当分絶えなさそうであった。