ワイルドハント
日は暮れ、星空が見え始めていた。
森とテノエマ村のちょうど間にある平原に、馬と馬車の一団があった。
身なりは商人風が多く、所々に冒険者風の姿のモノも見受けられる。
一見すると商隊のように見えるが、こんな僻地に訪れるには規模が多すぎた。
人数は、ザッと二〇〇といった所だろう。
服装は雑多だが、整然と並ぶ姿が非常に様になっていた。
仮に盗賊団が彼らを見た場合、勘のいいモノならば逃げるだろう。
欲望に負けて襲ったならば、確実に全滅したはずだ。
彼らは、公爵配下の騎士団であった。
しかも精鋭部隊だ。
つい数時間前まで、彼らはバラバラに行動し、付近の村を訪れたり、周辺を適当に巡っていたが、招集の狼煙を確認し、ここに集ったのであった。
目的は一つ、森の中にあるダンジョンで起こっている騒ぎの鎮圧であった。
実際に起こっている事は、確認していない。
しかし、事件は起こっているのだ。
「全員揃ったか」
隊をまとめる男、オーネストは部下に問うた。
頭にターバンを巻いた偉丈夫だ。
歳は三〇を超えたばかり、地位を考えると相当に若い。
しかしそれでも、不満を唱える者はいない。
それだけ、彼は実力があるのだ。
オーネストと互角に戦える者など、この公爵領、いや王国全土を見渡しても、そうはいないだろう。
……いや、騎士団内にもう一人、いるにはいたが、残念ながら数年前に問題を起こして去っている。
それはともかく、オーネスト率いる精鋭騎士の部隊は今、この地に集っていた。
この時間だというのに、天幕も張られていない。
理由は単純、休まないからだ。
今これから、作戦は動くから、天幕は必要ないのである。
用意されているのは篝火だけだ。
「はい。しかし一体何があったのですか。予定では明日だったはずでは……?」
部下の問いに、オーネストはターバンをほどいた。
短く刈り上げた金髪が、その下から現れる。
「その予定が狂った。既に、『先発隊』がダンジョンに入ったらしい」
「え!?」
「何があったのかまでは不明だ。ただ、状況が既に動いているのは間違いない。となると、作戦が連動している以上、我々も動かざるを得ないのだ」
「確かに……」
オーネストは、馬車に顔を向けた。
「整備部隊、準備は出来ているか?」
「手入れは全て済んでいます。いつでもいけますよ」
一見、行商人の馬車に見えるが、その半分は中のほとんどが武器と防具を積んでいる。
ここで、正規の甲冑に皆、身を包むのだ。
「補給部隊」
「同じく」
こちらは、普通に食糧や医療品を積んでいた。
作戦が動くまでは、実際にある程度、各地の村で商売も行っていた。
しかし本来は、軍の作戦で使用する物資である。
オーネストは手を叩いた。
「よし、では十分で甲冑を装着。森の中にあるダンジョンに向けて進軍する。事前に伝えた通り、治安維持を名目とする」
オーネストの命令に、配下の騎士達は一斉に動き出した。
列を作って、順番に整備部隊が用意する甲冑を受け取り、着替えていく。
「ふぅ……」
ため息が漏れそうになり、オーネストは慌てて口元を押さえた。
自分の表情が硬い事を自覚する。
元々、この作戦自体、気に入らないのだ。
ダンジョンに集まるモンスターを駆逐する、というのならまあ、まだ分かる。
それは、この地を守る者としての責務である。
しかしこの命令は……実に、気にくわない。
自分の先祖も、かつて同じようにダンジョンを攻略したと昔、家にあった記録で読んだ事がある。
その先祖は、晩年までその一件を後悔しているようだったが、子孫も同じ事をしているのである。
さて、今の自分を見て、どんな気分になるだろうな、と考えてしまう。
……そんな思考を巡らせながらも、オーネストもしっかりと、聖騎士の甲冑を身につけていた。
習慣というのは恐ろしいモノだ。
部下達も順に並びはじめ……おや?
その一人が足を止め、夜空を見上げていた。
「おい、どうした。気を抜くな」
「いえ、そうじゃないんです。あれは……」
「む?」
オーネストも、部下の視線を追った。
小さな点が、次第に大きくなってくる。
月も出、星も多く瞬いているとは言え、夜なのだ。
そのシルエットがなんなのか……オーネストが見極めるよりも前に、遠眼鏡を使っていた偵察班が、声を上げた。
「グ、グリフォン……!?」
「何だと!? 弓兵、構え!!」
オーネストの指示は早かった。
この付近のモンスターはそれほど強くはないはずだ。
鷲の頭と翼に獅子の胴体を持つモンスター、グリフォンの目撃例など、聞いた事がなかった。
向こうはこちらに気付いていないのか、そのまま通り過ぎようとしている。
まだ、矢を放つには距離がある……と考えていると、 別の部下が鋭い声を放った。
「隊長、ゴブリンの群れがこちらに向かってきます!!」
「気付かれたのか!?」
「違います! 方角が逆です! 森から出てきたのではなく、森に向かっています!! いえ、ゴブリンだけではありません! コボルト、オーク、オーガ、トロール……」
何と言う事だ。
モンスターの集団が、まったく見当違いの方向から、しかも大量に押しかけてきている。
しかも、異常はまだ続いていた。
別の騎士もまた、悲鳴を上げていた。
オーネストも、大地が揺れているのを感じていた。
「あ、あっちからはバジリスクが!? な……ト、トレント……セントール……巨人族っ!?」
月を背に、異形の集団がこちらへと迫ってくる。
不意に、月が明るさを増した。
眩さに目を細め、オーネストは月に視線を集中した。
見えたのは後光を放つ人の姿……その背には、複数枚の羽が生えていた。
「あっ……ああ……天使が……!?」
「な、何が、何が起こっているというのだ……!?」
モンスターは数だけならばとっくに、騎士団を上回っていた。
聞いていない。
こんな、モンスターの群れが出現するなんて、全くの予想外だ。
今すぐに攻撃を命じるべきか。
だが……オーネストは、それを堪える。
それは、勘だ。
まったく、殺気がないのだ。
連中は騎士団を見ていない……!!
路傍の石のように、どうでもいいのだ。
彼らの目的はただ、森の中――おそらくは、オーネスト達が目指す場所と同じ、ダンジョンだ。
「た、隊長……」
「今度は何だ……?」
「……ドラゴン、です」
この世界の最強種の出現に、オーネストは卒倒しそうになるのを堪えるのが、精一杯だった。
洞窟の前に広がる、広場の中央。
音楽隊のゴブリンやコボルト達に囲まれたアルテミスは、少しずつ近づいてくる気配に、一端笛を休めた。
「――アルテミス版、『百鬼夜行』。本家は従姉妹なのですけれどね」
ワイルドハント。
伝承に伝わる、漁師と猟犬と馬の群れの大移動。
アルテミスの従姉妹である、ヘカテーはその一団の首領なのだ。
もっとも、アルテミスは別に今回、特別な術を使った訳ではない。
単に、各地のモンスターに、伝えただけだ。
新しい住居が出来、祭を開くので、是非と……招待をしただけに過ぎない。
「すごい数ごぶー」
「わふっ、おいでませー」
ゴブリンやコボルト達も大はしゃぎだ。
「我ながら結構な数のお客様を呼んでしまいましたけれど、歓迎はちゃんとお願いしますよ、バステト」