『貴族』の事情
『貴族』の本名はファクル・グロリアという。
正確には貴族ではない。
妾、つまり貴族の愛人の息子である。
階級は伯爵だが、当然、ファクルはこの爵位を継ぐ事は出来ない。
代わりに、物心がついた時から執事の教育を受けていた。
成績的には、平凡と有能の間ぐらいだっただろう。
これで仕える主がよければ、ファクルも真っ当な人生を送れたかもしれない。
けれど、ファクルの主人となった同じ歳の少年は最悪だった。
一言で言えば、選民思想で凝り固まった暴君である。
この主の父親は、ファクルの実父でもある。
同じ歳の生まれという事はつまり、ファクルの母と主の母は、ほぼ同時期にこの領主と関係を持ったという事になる。
ある程度、そうした知識を持つようになったファクルの感想は、「この親にして、この子ありだな。どちらもろくでなしだ」であった。
さらに言えば、ファクルは妾の子である。
領主の正妻は敵視するし、その息子である主が見下すのも当然と言えた。
気にくわない事があればファクルを殴り、自分の手を汚したくない時はファクルに命じ、面倒くさい仕事は全てファクルに丸投げをしていた。
主にとって、ファクルは気に入らないが、便利な手駒扱いだった。
その結果、主はまったくといっていいほど勉強が出来なかった。
しかも飽食を繰り返してきたので、身体は父親そっくりな不健康な肥満となり、当然運動能力も低い。
それでも、ここの領主の長男である。
伯爵家では、ある程度の年齢を迎えると領地運営の勉強として、各地を赴くのが慣例となっていた。
最初は村、次に街、そして都市の長の補佐を務めるのだ。
駆け足でも、数年は掛かる修行である。
ファクルの主の最初の赴任地は、領地の端にある小さな村だった。
当然のように、ファクルもついていく事となった。
村での主な仕事は、村民の訴えを聞く事、そしてそれを適切にこなす事だった。
九割は、村長に口頭で報告する、もしくは書面を作成するだけという、無能な主であろうとやり方を教わったのならば、難なくこなせる仕事……のはずだった。
出来なかった。
そもそも、このような僻地に飛ばされたのかと、主は不満だった。
勉強だからとファクルが言っても、ふてくされるだけである。
挙げ句、癇癪を起こして手近なモノを投げつけてくる。
次に村人のつまらない訴えを聞くだけなどという仕事が、自分に相応しいとは思えないのだという。
具体的にどんな仕事が相応しいのかと聞けば、父上のように、というのが彼の言い分だが、その父親がどんな仕事をしているのかはおそらく分かっていなかっただろうと、ファクルは思う。
そして、村民の訴えは大抵下らないモノであり、やはりこれも主はファクルに全て任せた。
次の街でも、さらにその次の大きな都市でも、それは変わらなかった。
なので、主が伯爵家を継ぐ事はなかった。
伯爵は主とファクルの関係を考えれば分かる通り、他にも子供がいたのである。
その子は側室の子であり、そういう意味ではファクルと同じなのだが、母親は貴族だったので、跡を継ぐ事が出来た。
ファクルの主は激怒した。
見る目がない父親と、跡を継ぐ少年と、全てを報告していたファクルと、世の中の全てに対してだ。
ファクルは仕事として報告していただけで、別に悪意を持ってはいなかった。
後継者の少年は特別有能な訳ではないが、ファクルの主と比較をすれば大抵の人間は、マシであろう。
父親に似ず、貴族の常識レベルではあるが普通の感性と性格を持っていたし、太ってもいなかった。
……しばらくして、ファクルは投獄された。
罪状は、殺人未遂。
何が何だか分からない内に牢屋に入れられたが、館主から聞いた話ではつまり、後継者となる少年を暗殺しようとした罪に問われているのだという。
ファクルの主と母親が、遠くの古城に幽閉されるという話も聞けて、それなりに頭も回るファクルとしては、大体の事情は理解出来た。
要するに、正妻とその息子が強硬手段に出、しかし彼らを犯罪者にする訳にはいかず、領主は罪を被る生け贄としてファクルを差し出したという事なのだろう。
怒りよりも空しさが勝った。
まったく、自分の人生は何だったのかと。
母親は既に病で亡くなり、天涯孤独の身だ。
自分はおそらくこのまま処刑されるのだろうが、もしも叶うのならばこれからは自由に生きたい。
そんな未練を抱いていたファクルの前に、司教の使いが現れ、今回の話を持ち出されたのだ。
任務遂行の暁には、望みを可能な範囲で叶えてくれるという。
ならば、ファクルの望みは決まっていた。
「グアッ!!」
横合いから襲いかかってきたゴブリンを、無造作に爪で払う。
「ごぶっ!?」
左目に傷のあるゴブリンは、胸に三本の爪痕を作り、壁に叩きつけられる。
ドクドクと溢れる大量の血は、どう見ても致命傷だ。
さらに襲いかかってくるゴブリン達も、強鬼のスペックを持つファクルの敵ではない。
ファクルの進んだ通路は血にまみれ、ゴブリン達が何匹も倒れ伏していた。
実に、簡単な仕事だった。
ダンジョンに潜り、騒ぎを起こす。
実際、依頼の意味通りならば、既に達成していると言ってもいい。
いつの間にかはぐれてしまった他の三人も、上手くやっているだろうか。
本当に短い期間だったが、まあ、奴らの事は嫌いではない。
……もっとも、長い付き合いになれば、話は変わるかもしれないが。
そして、どれぐらい時間が経っただろうか。
ダンジョンの中では時間の経過が分かりづらく、十数分だったか数時間だったか、その当たりはいまいち調子が狂ってしまう。
やがて、通路の前が開け、ファクルは大きな広間に出た。
ダンジョンでいう所の、大部屋という奴だ。
そして待ち構えるのは、大剣や金槌を持った鬼達。
後ろには、やはり武装したオークや弓を構えるコボルト、ゴブリン達が控えていた。
加えて、何故か小さな牛もいた。
その牛が、口を開いた。
「怖れる事はないぞ、我が信徒達。汝らの活躍は、この鬼神、アスランがしかと目に焼き付けてくれる」
「オオオオオォォォォォ!!」
最前線に立つオーガ達が吠えた。
あまりの声量に、後ろのコボルトやゴブリン達がビクッと後ずさる。
オークはさすがにそこまでではないが、耳を押さえている者もいた。
「クハアァァ……!!」
ファクルも気炎を上げる。
上等だ。
深層では後れを取ったが、この身体なら問題はない。
全員、相手をしてやろう。
……ところで、後ろに控えているゴブリンの中に、左目に傷があるのがいるのは……どういう事だ?
『貴族』が人間だった時チンピラっぽい喋りなのは、こちらが地です。