宴の前
オレンジ色の空を、鳥達が慌てて羽ばたいていく。
原因は分かりきっている。
バステトにも伝わってくる、この威圧。
何せ空気が物理的に震えているのだ、分からない方がどうかしている。
そしてその発信源は言うまでもない、仔狼ラファルが報告してくれた、ハッスという若者達だろう。
何らかの薬を飲み、強鬼へと成り果ててしまったらしい。
全部で四人……いや、もう四体と呼ぶべきか。
その姿はまだ見えないが……どんどんと血の臭いが濃くなってきている。
おそらくは、深層のモンスターを殺して回っているのだろう。
今も、洞窟の前に住んでいた人々は、避難を続けている。
そんな中、バステトは入り口の側に佇んでいた。
「なるほどにゃあ……」
「何が、なるほどなのですか、バステト」
バステトに並んで立っていた、幼女神アルテミスが尋ねてきた。
「これが、騎士団が踏み込む大義名分なのにゃ。化物が人を襲う。人を守る騎士団が奴らを討伐し、賞賛される。さらに、やはりモンスターは危険だという風潮も生じる。ついでに一緒に住んでる亜人どもも危険だーなのにゃ」
「反吐が出ますね」
バステトの分析に、アルテミスは顔をしかめていた。
「アルチーにしてはお下品なのにゃ」
すると転移してきたのか、アルテミスとは反対側にイシュタルも出現していた。
「でも、待って。この計画には一つ穴があるわ。あの強鬼は、元人間なんでしょ? 一緒に討伐されちゃうんじゃない?」
「大きく二つ考えられるのにゃ。ハッスとかいうチンピラ自身は、化物になる力なんて持ってなかったのにゃ。という事は、その力を与えた奴がいるのにゃ」
まず、そいつの狙いが前述の通り騎士団の侵攻だとして、別働隊であるハッス達の扱いはどうなのか。
単なる捨て駒であるならば、ハッスは騎士団に討たれる。
おそらく騎士団が、そもそも強鬼であるという事を知らない可能性も高い。
もう一つはハッス達には解毒薬も与えており、頃合いを見計らって彼らはそれを飲む。
……ただ、そもそも、ハッス達が飲んだという薬の効果を知っていたかどうかも怪しい。
村を訪れたウノを――厳密には違うのだが――獣人と言うだけで、臭いと蔑むような人間が、己をモンスターに変えるような薬を飲むだろうか。
そうしなければ、こちらに太刀打ち出来ないと割り切る事も出来るが、薬を与えた人物から教えられていなかったとも考えられる。
まあ、それはどちらでもいいが……何にしても、薬の力は強力で、想像だが副作用も相当なモノだろう。
「ちなみにウチキは、前者の捨て駒説を推すのにゃ。正直それが一番後腐れがないのにゃ。なお、こういうのを立場のえらい人達は『尊い犠牲』って呼ぶのにゃ。絶対自分の身内にはやらせない崇高なお仕事なのにゃ」
「すごい毒が出ていますよ、バステト」
歯をむき出して笑うバステトに、苦笑いを返すアルテミス。
一方イシュタルはうんざりしながら、頭を振っていた。
「あー、ヤダヤダ。それで、対策は?」
「まずは前倒しになるけど、祭を始めるのにゃ」
バステトの珍答に、ガクッと二柱がコケそうになった。
「は?」
そしてアルテミスとイシュタルが、同時に問い返した。
聞き間違いではないかと思ったのだ。
しかし、それは間違いではなかった。
「前夜祭でかつガチの本祭にゃ。歌と踊りも派手にやるのにゃ」
「いや、何もこんな時に」
「こんな時だからこそ、やるのにゃ」
イシュタルの制止を、バステトは遮った。
そして神々を遠巻きに見ている、ダンジョンの関係者達を見渡す。
ゴブリンズ、仔狼のラファル、幽霊のユリン、アルラウネのイーリス、コボルトにオーク、それにここに逃げてきたばかりのオーガも数体。
テノエマ村から手伝いに来ていた、プレスト神父や農夫のナリー老人達も中にはいた。
「向こうが望んでいるのは、ウチキらが鼻水垂らしながら泣いて喚いて逃げて慈悲を求める事なのにゃ。そしてそれを叩き潰す事が、何よりの愉悦なのにゃ。にゃらば、そんなモノ一つとしてくれてやる義理はないのにゃ。むしろ笑って歓迎してやるのにゃ」
バステト以外の皆の顔にも、笑みが浮かぶ。
不敵な笑みだ。
それを眺め、バステトはより一層牙のある笑みを強めた。
「そして奴らを逆に叩き潰し、血祭りにしてやるのにゃ」
「あ、今上手い事言ったって、自分で思ってる顔だコレ」
「にゃー! そういう指摘はしちゃ駄目なのにゃ!」
イシュタルの混ぜっ返しに、皆また笑った。
さっきまでとは違う、明るい笑いだった。
さて、とまず新たな口火を切ったのはアルテミスだ。
「でもまあ、バステトの言い分にも一理ありますね。こちらが、向こうの思うがままなんて、我慢がなりません。聞いていましたよね、皆さん」
「わぅんっ!!」
アルテミスの問いかけに、コボルト達が吠えた。
バステトを挟んで、イシュタルもやれやれと首を振った。
「そもそも、そういう勇ましい演説は、軍神でもあるアタシの仕事でしょうに。しょうがないわね、ほぼ準備は終わってるし、終わってないところは進めながら、始めるとするわよ下僕達!!」
「ぶひぃっ!!」
猪頭の逞しい雄オークも、グラマラスな雌オークも揃って武器を手に、雄叫びを上げる。
「じゃあ、こちらも用意しましょうか、センテオトル」
「うんっ! 派手にお出迎えしちゃうよー。みんな、行こーっ!」
タネ・マフタとセンテオトルは中庭に向かうために洞窟に進み、その後ろをイーリスやラファル、農夫であるナリー老人達に親狼達が続く。
警備部隊では、ユリンが並ぶゴブリンズの前に立っていた。
「ゴブリンズは一塊で一パーティーです。私は先に打って出ますが、みんなには祭壇前の最後の防衛線で、これまでの成果を存分に発揮してもらいますぞ」
「ごぶ……!」
「剣のウデ……試すには充分、ごぶ」
「お、おれっち、ヤバくなったら逃げていいごぶ?」
「それはだめごぶ。いちれんたくしょう、ごぶ」
「が、がんばる!!」
緊張はしているが、士気は高い。
「まあ、死ぬ気でやれば、多少の足止めは出来るというモノ。華々しく散ってもらいたい所ですな」
ハッハッハ、とユリンは笑う。
「負けるの前提ごぶ!?」
ユリンは、森の奥からいよいよ迫ってきている足音に、視線を向けた。
「やあ、あれはちょっとゴブリンには荷が重いでしょうな。ハハハ」
「何とかして、逃げるタイミングをはかるごぶー……」
ガシッと、ヴェールの頭をゼリューンヌィの手が鷲づかみにしていた。
「きこえてるぞ、ヴェール」
「はっ!?」
一方、城下町オーシンの鍛冶屋。
――まあ、そんな訳で、一足先に宴を始めるのにゃー。
「ちょっ、どういう訳だよ!?」
作業場の前で待機しているウノは、バステトの一方的な神託に全力で突っ込んでいた。