変身と異変
薄暗い森の『深層』に入って数十分。
糸による拘束を得意とするトラップスパイダー、視線で相手を幻惑するサイミンオウル、風のような速度で襲撃してくるモノクロウルフ、カッパーオックスの群れにタフさと怪力を兼ね備えたジョノクチベア……そんなモンスター達がひっきりなしに、ハッス達を襲った。
背後から迫っていた、番のモノクロウルフは振り切れたモノの、命の危険は高まった。
それは『貴族』と『芸術家』の心を折るには充分だったようだ。
「ヤベえ……深層マジでヤベえ……」
「どうして先に教えてくれなかった! 知ってたらこんな所になんて、来たりしなかったのに!」
「おい、静かにしろ! ぶち殺すぞ!!」
ブツブツと呟きながら、うずくまる『貴族』。
八つ当たり気味に、ハッスに迫る『芸術家』。
そんな二人に苛つきながらも、剣を手にモンスターを警戒する『騎士』。
何しろ、現れるモンスターは、通常ならば中級冒険者が相手をする強さだ。
この中ではかろうじて『騎士』なら渡り合えるだろうが、彼が複数人いてようやくである。
ハッスと『貴族』が実力的にはその次、『芸術家』は戦闘力に関しては論外だった。
焦る三人とは対照的に、ハッスだけは沈黙していた。
そして、いつまでも騒ぎ続ける三人に、小さくため息を漏らし、短剣を抜く。
「落ち着けお前ら」
目を据わらせ、短剣を向けるハッスに、ようやく三人は口をつぐんだ。
だが、『騎士』だけは剣を抜いたまま、ハッスをにらみつけていた。
「……お前こそ、落ち着けよ」
「俺は冷静だ。静かにしろというお前こそ、一番静かになるべきじゃねえのか? ……そして、これ以上騒ぐなら、お前らを殺す」
ここは危険な『深層』。
騒げばそれだけ、モンスターが寄ってくるのだ。
「俺とやり合う気か?」
「言った通りだ。これ以上騒ぐなら、殺す」
「分かった」
繰り返すハッスに、少なくとも『騎士』は冷静になり、理解もしたようだ。
ならば、あと二人。
ハッスはへたり込んでいる『貴族』と『芸術家』に、視線を向けた。
「この程度の連中にビビってんじゃねえ。俺達はまだ、一つも事を成してねえんだ。英雄になるんだろうが……! 見返してやるんだろうが……! なんだその無様な姿はよ……!」
短剣を鞘にしまうと、ハッスは懐から皮のケースを取り出した。
ケースの中には、一本の試験管が納められていた。
中身は、虹色の液体『神の秘薬』だ。
モンスターを退ける、聖なる雫である。
「忘れんじゃねえぞ、俺達は『神の使徒』なんだ。化物共を討ち滅ぼす為の、手段だって持っている」
ハッスは試験管の栓を抜いた。
ハッスの覚悟を感じ取ったのか、『貴族』は慌てて立ち上がった。
「お、おい、だがそれは……」
「今、使わないでいつ使うんだ? 騎士団には悪いが、結果的に抜け駆けになっちまうが……何、要は奴らを全滅させちまえばいいんだ。お前らも、飲め」
「そうだな」
最初に覚悟を示したのは『騎士』だった。
次に『貴族』、最後に『芸術家』も腹を括ったのか、それぞれ試験管を取り出し、栓を抜いた。
「乾杯だ」
「何に対してだ?」
「英雄の誕生に」
『騎士』の問いにハッスは即答し、彼らは己が手に持つ試験管を軽くぶつけ合う。
「乾杯」
そして、彼らは勢いよくそれを煽った。
喉を貫かれたコボルトがダンジョンに運び込まれ、すぐに次の異変が始まった。
洞窟前でバステトは、その報告を警備担当のゼリューンヌィから聞いていた。
「にゃあ、鬼が逃げてきたのにゃ?」
オーガは『深層』に住む人型モンスターであり、この森の中でも上位に入る強さを誇る。
そんな彼らが、慌てふためきながら逃げてきたというのだ。
「ごぶ、深層に人が迷い込んできたのかと思って声をかけようとしたら、強鬼だったらしい、ごぶ。オーガ達は保護しておいたごぶ」
何体かは、大怪我を負ったらしいが幸い、命に別状はないらしい。
なお、強鬼が『深層』に棲息するという情報は、これまで一度もなかった。
タタタ……と駆ける音がし、現れたのは仔狼のラファルだ。
『深層』の手前に残って親狼と合流し、中の異常を観測していたのだ。
「強鬼の正体はハッスってやつと、その仲間なのです!! 臭いは変わっていなかったのです!!」
そして、尻尾をしょんぼりさせた。
「……けが人も、出ちゃったのです」
「まあ、そっちはどうとでもなるとして……狙いはやっぱりここなんにゃろにゃあ」
ラファルの話では、強鬼達は、こちらにゆっくりと近づいてきているらしい。
バステトがそちらに視線を向けると、なるほど……不気味な威圧が迫ってきているのが伝わってくる。
「ダンジョン前の人達を、全員中に避難させるにゃ……ってもうやってるのかにゃ。仕事早いにゃあ」
「ごぶ、まにゅある、あるごぶ」
誘導を行っているのは、ヴェールやアクダルといったゴブリン達だ。
ダンジョンの前に住んでいた、様々な種族の人々や行商人達も、取るものも取りあえず、ダンジョンの中へと入っていく。
ひょい、とダンジョンの中から顔を覗かせたのは、龍人っぽい幼女神カミムスビだった。
「わたし、出た方がええ?」
「カムフィス様、お待ち下さい」
それをさらに後ろから追ってきたのは、テノエマ村のプレスト神父だ。
このダンジョンで行われる祭にも参加するつもりで、こちらに来ていたのである。
「カムフィス様は、予定通り力を溜めてもらう方向でいるのが、一番ではないでしょうか。何しろ現状、一番負担が大きいのが貴方です」
それはカミムスビを案じる心もあるが……それ以上に、このダンジョンの住人と触れ合い、理解した事があった。
「何より、彼らもまた強い。……信じて、託しても、よろしいのでは?」
手を組み、カミムスビの前で印を作るプレストに、カミムスビも納得したようだ。
「……ん、せやね。そういう事でええの?」
「任せろにゃあ。こっちはこっちで何とかするのにゃあ」