怒りと悲しみと出会い
転移魔法を使い、目的地に到着したと言う彼女の宣告に、俺の悲しみは怒りへと変貌する。
彼女の服の脇をつかみ、僕は行きたくなかった。もっと家族と過ごしたかった。今すぐ家に帰してと。叫ぶ。
その有り様は無様を極めたことだろう。
覚悟を決め、出発する準備を終わらせて、出かける寸前に意思が崩れたのだ。そして、到着して駄々をこねている。まるで子供の所業。まさに子供の所業。
そう内心で自嘲しながらも、俺は感情をコントロール出来ずにシャルに対して吐き出した。
日本語ならまだしも、この世界の言葉の罵倒する語彙はあまり知らないので、ずっと「バカ」、とか「うんこ」とか「巨乳」だとか幼稚な罵倒を繰り返し叫ぶ。
困ったことに彼女は器量も気立ても戦闘力も一流な完璧超人なので語彙があっても罵倒する言葉は見当たらないだろうが。
でも、感動の別れを邪魔した『鬼畜』とか使いたかった。まだ、それに似た言葉を俺は知らない。
泣き疲れ、罵倒疲れで落ち着いてきた所で、シャルは俺のポーチの中にあるお守りを取り出した。
その中の3人分の髪束を俺に見せる。
「ジーク様。これはただのお守りではありません。『世界樹の森』に確実な敵意を持った場合に髪束を結ぶリボンが焼き切れるようになっている魔道具です。貴方の意思が彼らにそれを目覚めさせる可能性があった為、止む終えず強制移動致しました。」
見ると、父の髪束のリボンに少し焦げ跡ができていた。俺があのまま父に抱きついて我儘を漏らしていたのなら、それを尊重して入学の命令に背く恐れがあったということだろう。
もう一度見ると、その焦げ跡は徐々に再生している。
「あちらのフォローはラウズ様が行っているはずです。ジーク様のお気持ちは重々承知しておりますが、どうかお許し下さい。」
属国の有力者が宗主国に敵意を持つという事がどういうことか分からない訳ではない。
自分の浅はかな我儘で、家族を危うく危険に晒すところだったことに、俺は血がすっと引いていく感覚を覚える。
宗主が気の長いハイエルフ族とはいえ、彼らがそうした者に慈悲を与えるとは思えない。かつての王国では、緑の目を持つ王族以外の貴族を皆殺しにしているわけなのだから。
「……大丈夫。落ち着いたよ。…ありがとう。」
頭が冷えて冷静になった俺は、そこで初めて立っている場所を思い出す。
見渡すと、そこは見た事の無い幻想的な空間が広がっている。
『世界樹の森』下位国家育成機関 ミルズ学園。
その校門。
天を仰げば緑色の空に覆われ、それを見回せば、巨大な枝が目につく為、その空自体が全て巨木の葉っぱであると教えてくれている。
幹は見える距離に無いのか、どこにあるか全く分からないが、これこそ世界樹の木なのだろう。
それにしても、葉に覆われているはずなのだが、不思議な事に太陽光は透過しているようだ。周りは普通に明るく、更に門から影がしっかり伸びている。
校門の先を覗くと、長い並木道の先に白い建物が見えた。
それは、前世でも見たことのあるようなカクカクとした作りで、遠目でもその姿だけで学校だと分かってしまった。
「それにしても…でっかい。」
日本によくある小学校のような校舎だけれど、入り口が途轍もなく小さい。形だけ真似して巨大化したような印象を受けた。
校舎だけではない。
校門の前にいるけれど、その横幅がありえないほど長い。学校の敷地を示しているような独特な塀がずっと先まで伸びている。一体、この学園の敷地面積はどれくらいなのか。
……想像もつかない。
「ジーク様。まずは学園の寮までご案内致します。」
広大な学園に圧倒されていると、シャルは俺に一度笑顔を向け、先導するように歩き始める。
俺もそれについていく。
出始めは悪かったけれど、俺はこの学園に入学するのだ。
生まれてから6年と少し。時々なら帰れるとは言え、長い間家族と会えなくなるのは胸が張り裂けそうなくらい悲しい。
でも、こうなった以上、俺は前を向いて歩くしか無い。俺はヒルダさんと約束した。学園で伝説を作ってやるって。アンジェリカに約束した。強くなってアンジェリカに勝ってみせるって。
父親と約束することはできなかったけれど、あの目には期待の念を感じたのだ。俺はその期待に応えよう。
彼が望む事は何か分からない。
領主を継いで欲しいのか、自由な道を切り開いて欲しいのか、自分より出世して欲しいのか。
分からないけれど、頑張ろう。
俺には才能は無いけれど、がむしゃらに、どこまでも強くなってみせる。
まず手始めに。
「ジーク様。あの、スカートを掴まないで頂けませんか?」
「いや。」
身内依存体質を解決しよう。
6年以上、他の家族と一緒じゃなかったことが無かったので、自分が思っていた以上にコミュ症になっていたようだ。
『白の巫女』の時は大丈夫だったのに……
アンジェリカの存在はかなり大きかったのか。
その後、歩き辛そうにするシャルのスカートを離すことなく移動した。
ーーー
「少し、冷静さを欠いた。」
「全てを無に帰するところでしたぞ。……ヨハネス、我々に殺意を向けることが、どのような事に繋がるか分からぬわけでは無いでしょう。」
「はい。申し訳ございません。」
リンデリーフ邸宅。
その一室にて執事服のエルフ、ラウズに対しこの家の主人は跪き最大の謝意を表明する。
普通の国家であればありえない光景だ。
主人が使用人に跪くなどあってはならないものだ。しかし、この国では違う。
『世界樹の森』の一部住人はこの国において最大の地位を持つ。
そのトップに近いハイエルフであるラウズは、アスト王国の全住民の生死の選択さえ握っているのだ。
更に、敵意を示そうとした者を粛清する立場にある彼は王国貴族の監督官なのである。
ラウズは長い耳を、髪の中に器用にしまうと荘厳な雰囲気を抑え、諭すように語る。
「ご主人様は精神的にはまだまだ未熟な様子でございますな。また、かつての様に指導致しましょう。」
「……そうだな。この覚めない悲しみを誤魔化すには丁度いい。頼む。」
「畏まりました。ヨハネス様。……ところで。」
「なんだ?」
「アンジェリカお嬢様が目を覚ましたご様子。先程は私が先んじて意識を奪いましたが、この後は父親の役割かと存じますが、……如何致しますか。」
「………行こう。」
ーーー
「ご機嫌麗しゅう、美しいお嬢さん。君は今日入ってきた新入生だね。僕の名前はギュンター。この学園寮の寮長をしている。学年は5年生で、それなりにこの学園を知っている先輩だ。分からないことがあったらなんでも聞いてくれたまえ。ーーっぐっぺら!」
寮前でいきなり対面したと思ったら、当然左手を掴まれて、さわりと優しく握られ、のべつ幕なしに挨拶を行ってきた青年に、俺はコミュ症と驚きを同時に見舞われて大混乱の彼方にあった。
俺は男だ、とか。突然触ってくんな、とか。学生なのに寮長?、とか。色々と言いたいことはあったけれど、取り敢えずこの無礼者をどうしたらいいか分からず……思いっきりぶん殴る事にした。
咄嗟のことで闘気を纏えなかったけれど、それでも彼の腹部にクリーンヒットし、吹っ飛びはしないものの少し体が浮いて背中からばたりと倒れた。
やばい…来ていきなり暴力沙汰を起こしてしまった。
シャルは近くにいるけれど、それほど関心を示していないらしい。
…こういう時にどういう顔していいか分からないから助けてシャル先生!
困惑していると、膝をガクガクさせながら、青年が立ち上がる。
「ぐふぅ、まさか。この僕が一撃をもらうなんてね……やはり君、闘気を扱えるな!」
えと、扱えるけど、さっきのは闘気使わずのパンチでした。とは言えず。
取り敢えず、怪我とかされていても困るので、小さく呪文を唱え、回復魔法をかけることにする。
「聖なる光よ、汝の力で彼の者の傷を癒せ。『ラ・リーテ』」
「お?おおお!?痛みが引いていく…。君は回復魔法まで使えるのか。」
さっきから彼の反応が妙だ。まるで魔法や闘気を使える事が珍しいみたいな物言いだ。
「使える。」
「やはりそうか!いや、素晴らしい。君のような才能溢れる新人を迎えるのは、僕にとって大きな喜びだ。両親から引き離されるのは、ひどく悲しいものだっただろうが、ここの生徒は皆それを経験している仲間で兄弟だ。辛ければ我々はいつでも相談に乗ろう。」
まるで歌劇のように、体全身で言葉を形容する青年、ギュンターとやら。冷静になって彼を見てみると、かなりの美形だった。普通の人がボティラングエッジをしても滑稽だが、その動作は精錬されていて違和感がない。
イケメン補正が…爆発しろ。
あと、才能がなんだって?……もっと言って
それはさて置き、自己紹介をしなければ。
体の年齢的にはそれなりに年上だが、精神年齢は俺の方が上だ。性別の訂正も含めて、挨拶をしよう。
「その、ありがとう…ございます。さっきは叩いてしまってごめんなさい。……僕はジークハルトと言います。名前の通り、男…ですよ?」
「おっと失礼。君の美貌に目を惹かれて間違えてしまったようだ。さて、今日は君の他にも4人の入学生が来る事になっている。しばらくしたら部屋まで迎えに行くから、部屋で荷物整理をしてくるといい。では、また後で。」
まくし立てるように言葉を並べて去っていくギュンター。言葉から察すると、彼が新入生の案内役のようだ。これからどうするか分からなかったので少し安心する。
「ジーク様。少し宜しいでしょうか。」
「え?う、うん。」
少し声のトーンが低いシャル。珍しく眉を吊り上げ、怒っているようだった。
ぇえ??俺、なんかシャルを怒らせるような事したかな…。
あ、さっきギュンターさんを殴った事か!
入学早々に暴力を振るったのは良くなかったか。
…甘んじて説教を受けよう。彼に謝りはしたけれど。ちゃんと自戒しなければ…
「なぜ先ほどの拳に闘気を込めなかったのですか。」
「……ん?ええ!?」
シャルは俺が思っていたよりも過激な人だったようです。