世界樹の一葉
アスト王国は、『世界樹の森』の属国である。
それは世界共通の認識であり、アスト王国自身も自覚あるものだ。
とはいえ、『世界樹の森』に生きる者たちはアスト王国に対して非道な搾取を行っているわけではない。寧ろ彼らの持つ特異な技術を学ばせ、反映させるといった『善行』を行っているのだ。
それにより国は繁栄し、かつて存在した王国などとは比べものにならないほど国民は高い水準で生活する事ができている。
その証拠に前王国では道端に死体や乞食が溢れていたというのに、今では道にはゴミ箱やらベンチやら公共で使用される物品が置かれるようになっている。
盗まれる事なく。ゴミを漁られるような事もなく。
かつての乞食達が見れば、ゴミ箱の中は宝の山だったのだろうと想像できるそれが、今だ70年しか経っていないというのに、当時の状況を見た事のある身としては、随分と変わるものだと感心してしまう。
おっと、自己紹介が遅れたね。私の名前スノーリー・ストゥルルソン。しがない吟遊詩人さ。気軽に『ストーリー』と呼んでほしい。
世界各地を渡り歩いて英雄譚を謳うのが私の仕事だ。
しかし、困った事にここ最近は新しい英雄譚が見つかっていない。嘆かわしい事に、世界の英雄達は奥ゆかしくも鳴りを潜めているようだ。
今はこの国で情報収集に勤しんでいる。
私は様々な情報網を持つけれど、歌というのは市民の噂から作った方が楽しい。隠れた英雄を探すためにも、どうか私に眉唾な噂話を教えてほしいのだ。
うん?領主様だって?
彼の事はよく知っている。君も風の噂で聞いた事があるんじゃないかい?ロマンチストの領主様。私も歌っていた口なので、よく知っているとも。
…!?
そうなのかい!それは知らなかった。
吟遊詩人としてそれほどの情報はこの上ない。
そして、個人的にこれほど喜ばしい事もない。
これは情報料だ。好きに使ってくれたまえ。
まさか、リンデリーフ夫人に子が出来るとは思わなかった。いや、実は夫人のヒルダは私の友人なのだよ。
三年前に領主様と結婚して未だそういった情報はなかったので、子はできないものだとばかり思っていたのだ。
いやいや、実にめでたいものだ。
時に、彼らにはすでに二人の子供がいる。
一人は領主様のご子息、ジークハルト。一人はヒルダの連れ子アンジェリカ。
二人とも今は6歳くらいだったと記憶しているが、今回の事でジークハルトは『世界樹の森』に召し上げられる可能性がある。
知っての通り、この国の貴族は子に自分の職を継がせるといった、世襲制ではない。
半世襲制とでも言うだろうか。
『緑の瞳』、世界樹の一葉である証拠を持つ者は全員に貴族になる資格を持つ。
それは、70年前にかつての王国がアスト王国となった時に、『世界樹の森』の女王から賜った祝福。
子孫に対し、ほぼ確実に緑の瞳を受け継がせる効果を持つ、エルフ族の秘術だ。
当時の王族に、世界樹の葉のように美しい緑の瞳を持った者が居たという理由で、彼らは国の執政を一手に請け負う事になった。
彼らは高い治世の教育を受けるため、一定の年齢、または緑の瞳を持つ第二子が誕生した折に『世界樹の森』設立の学園へ連れて行かれる事になる。
そこでの評価や功績によって今後の役割が決められていく事になるのだが、まあ基本的には親の付いている役職を希望して跡目を継ぐのが一般的だ。
その一般を外して、冒険者として名を馳せたヨハネス氏の息子となれば、今度どんなストーリーを奏でるのか楽しみで仕方がない。
とはいえ、まだジークハルトの物語が始まるわけではないだろう。
何せ、まだ第二子の性別は不明なのだ。
女児であった場合、緑の瞳を受け継がない可能性もある為、産まれるまで待ってもらえるのだ。
胎児の性別は決まっていない状態なので、識別の魔眼でも鑑定は不可能だからね。
しかし、良いことを聞いたよ。
そうか、ジークハルト・リンデリーフ。
半世紀ほど、彼の動向を伺ってみる事にしよう。直感だが、彼は将来、途轍もない大物になるような気がしている。あったこともないけれど、私の直感がそう警鐘をならしているのだ。
まぁ、無駄足になるかもしれないが、密着取材も悪くないだろう。
せっかくなので、本も執筆してみるつもりだ。
題名は仮題だが、シンプルな方が好みだな。
『ジークハルトの冒険譚』
英雄が減り、平和と称するにふさわしいこの時代に、彼はどんな物語を奏でてくれるのだろう。