訪問者
ベッドの中で毛布に壁にもたれかかりながら、包まり膝を抱える。
昨日の出来事が頭を離れない。昨日の夜から何も食べていないから、駆け込んだトイレで吐いても出てくるのは胃液だけだった。
あのお姉さんは死んだ…のだろう、恐らく。間違いなく首は飛んでいた。彼女の仲間とやらが来ても間に合わなかったに違いない。
学校には行きたくない。普段通りの態度をとれる気がしないからだ。首が飛んだ変死体が近所で見つかったという事は既に知れ渡っているらしく、早朝から近所ではサイレンの音が聞こえている。部屋の窓からは報道陣とパトカーが見えた。警察はあんな事件をどうやって解決するのだろう、と疑問に思う。現場にいた私でも何がおこったのか未だに分からないのに。
警察は、犯人を見つける前に、あのお兄さんに全員殺されてしまいそうだ。人殺しのお兄さん、あの人殺しは人を殺すことを躊躇しない。私が逃げ出すのが少しでも遅れていたら、あの現場に残された死体はもうひとつ増えていたことだろう。
私は一夜明けた今でも、あいつが私を殺しにこないか心配でならない。あの口ぶりからすると、あいつの目的は死体を見たお姉さんを殺すこと? だが死体を見た人間を殺した所で死体は消えずに増えただけだ。結局死体は二つとも発見された。
そして、そこには偶然居合わせた私が居て、逃げられた。あいつからすれば私の存在は予想外で、最後の一人の目撃者だ、生かしておく理由は無い。
思えば、彼女も変な事を言っていた。消す…とかどうとか。不思議な瞳のお姉さんだった。あのきらきらした輝きが失われてしまったのは残念でならない、と悠長なことも考える。
不思議な人間という点では、あいつとお姉さんには共通する点がある気がする。でも、お姉さんの瞳は綺麗だったけど、あいつはそうじゃなかった、得体の知れない化物……地球外生命体? それは流石に違う、非現実的なことを考えすぎだ。
そういえば、と思い出す。あの幼馴染もそうだった。人は一瞬で化物になれる。私の思う『化物』が一体何なのか、自分自身掴めていないけれど。
家族が全員出ていってしまったので、私はこそこそとリビングへ降りる。
リビングには勿論誰も居なかった。両親は共働きなので平日のこの時間帯は家には誰もいない、今はそれがありがたかった。
気分転換にテレビでもつけようとリモコンに手を伸ばした所で、その手を止める。ニュースは事件の話題で持ちきりだろう、自分で首を絞める所だった、危ない。
これじゃあ何もできないな。はあ、と溜息を吐いた所で家の前に一台のパトカーが止まる。神経が張り詰めていたために思わず警戒したが、中から出てきた人物を見て、急いで玄関へ向かう。
外の人物がインターホンを鳴らしたのとほぼ同時に玄関の扉を開ける。
「こんにちは、頼一さん。この時間帯は誰もいないんですよ、忘れてたんですか?」
突然開いた扉に、頼一さんが紫色の目を見開く。
「こんにちは、光ちゃん。今日は平日だから学校でしょ、もしかしてサボり? ダメだよ、学生の内は思いっきり青春しとかなきゃ」
いやぁ俺も学生時代はよくサボったなあ、と頼一さんが昔話を始める。頼一さんに振り返るような過去があるとは驚きだ。いや、あって然るべきなんだけど。彼は自分の事を多くは語らない人だった。話してくれても断片的なものばかりなので、私は彼のことをよく知らない。
知っている事といえば彼は父方の親戚で、職業は警察。恋人がいたという報告は一度もない、独り身の寂しいお兄さんだということだけだ。
だから正直な所、事件直後でタイミングが良すぎて無視しようかと思ったけど、もし私の身元がバレていたとして容疑者と親密な関係にある人間は使う筈がない。なので、気兼ねなく接することができる頼一さんと話すことはいい気分転換になるだろう。私には有能なカウンセラーが必要なのだ。
「まあそれもそうなんだけど。今日はここら辺一帯の学校、休校みたいだし」
「え、そうなんですか」
そう言われれば確かに、朝から登校する筈の子供たちのはしゃぎ声は今日は聞こえなかった。道理で今日は外に出る人が少ない訳だ。外をうろついているのは報道陣や警察、或いは犯人くらいだろう。
「知らなかったの? 自分の学校の事なのに」
「まあ今日は…その…体調が悪いもので。学校は休むつもりだったんです。でもそんなに悪くないですし、良かったらお茶でも淹れましょうか」
咄嗟に嘘を吐いた。犯人が口封じにこないか怯えてました、なんて言える筈がない。
「いや、今は仕事中だしすぐに失礼するよ。近くまで来たから光ちゃんに顔見せに来ただけだし、元気そうで何より」
「確かに仕事中…ですね、パトカーだし。あ、中の人が頼一さんの事見てますよ。早く戻ったほうがいいんじゃないですか?」
パトカーの運転席からは頼一さんの仕事仲間らしき人がいる。遠目からでもわかるほどに目つきが鋭い。きっと怒らせたら怖い人なんだろうな、と思い頼一さんに仕事に戻るように促す。私までとばっちりをくらう事は無いだろうが第一印象が悪いのはよろしくない。
頼一さんは慌てて車の方を振り向く。二人は口話で何か伝えていたようだが、勿論私には全く理解できなかった。
「それじゃ、俺もそろそろ仕事に戻るわ。お二人にはよろしく言っといて」
「はい。お仕事頑張ってください」
「光ちゃんも夜道とかには気をつけてね、最近は物騒だから。特に昨日の警官殺しのやつ。俺、今日はそれ調べに来たんだ」
体が凍りついた。よく考えれば当たり前の事だった。頼一さんは良かれと思って言ったのだろうが、今の私には逆効果だ。咄嗟に笑顔を浮かべてその場を取り繕う。多少笑顔が引き攣っているだろうが、ご愛嬌だ。
「…そうですね、気をつけます」
そして頼一さんは車に乗り込んで行った。怪しまれただろうか、と後悔する。自分でも上手く笑えた自身がない。
結局頼一さんにも言えなかった。最初から言うつもりは無かったのだが、彼は警察だ。これから捜査が本格的に始まれば、私がその場に居たという証拠も出てきてしまうかもしれない。そうなったら最後、私はあの何だか分からない事柄に関わらなければならないのだ。
あくまでも私は一般人、厄介事には関わりたくないし、いざとなれば恐怖で言い出すことができなかったと何とでも言い訳はつく。警察には申し訳ないが、私は出来る限り無関係を貫かせてもらおう。
起きた時同様、沈んだ気持ちのままリビングへ戻る。頼一さんの言葉が反芻される。
こんな事は寝て忘れてしまった方がいいのだ。暫くすれば警察が犯人を特定して捕まえるのだろう、たとえそれが偽物でも。そして刑事裁判が起こって判決が下される頃にはきっとほとぼりは冷めている。そう考える事ができる私の頭は大分冷めてきたのかもしれない。
このまま眠りについて何もかも忘れる事ができたらいいのに、そう願わずにはいられなかった。