遅れてきた勇者様
昔々、人類は魔王率いる魔族に脅かされていました。
ある日、とある国にて、異世界から勇者を召喚する事となりました。
城には沢山の優秀な魔法使い達が招かれ、儀式が執り行われました。
しかし非常に高度なこの魔法、そう簡単には上手くいきません。そして召喚の儀式は失敗に終わりました。具体的には、時空を繋げる際に障害が起きてしまったのです。
そう、勇者はなんと300年後の未来に召喚されることとなってしまったのです。
勿論そんなに悠長に待っていられるわけがありません。
結局、王様はこの国のとある若者を勇者として旅立たせました。するとなんと、若者はそのまま魔王を倒してしまいました。
かくして世の中は平和になりましたとさ。めでたしめでたし。
――と、そうは問屋が卸しませんでした。
忘れ去られた頃。もう当時の関係者が全ていなくなってしまった頃。――そう、つまり300年後。
城の玉座の前に突然魔法陣が浮かび上がり、そこから一人の少女が現れました。
黒い瞳と肩まで伸びた黒い髪。けれど苦労人気質なのか少々若白髪が混じっています。プリーツスカートにブレザーという、彼女の世界では「ガクセイフク」と呼ばれる衣を身に纏った、紛う事なき異世界からの勇者様でした。
王様は当惑しました。300年前のご先祖様が勇者召喚の儀式に失敗したという事実は漠然と伝え聞いておりましたが、まさか自分の代になって今更勇者が現れるとは夢にも思っていなかったのです。
しかも召喚の儀式の際に課された勇者の帰還条件は、「魔王を倒す事」であったと聞きます。しかし魔王はもうとっくの昔に倒されています。さてどうしたものかと考えていると、傍に控えていた大臣が言いました。
「魔王城には今なお魔王めの亡骸がございます。そしてその心臓にはかつての勇者が使用していた聖剣が突き刺さったままとなっております。勇者にしか引き抜けぬというこの聖剣。元の世界に帰る為の何か手掛かりとなるやも知れませぬ」
かなり眉唾物の話ではありましたが、他に帰る為の手掛かりになりそうなものはありません。
そんなこんなで彼女は魔王城へ向かう事となりました。
世界は平和になったと言えども、魔物という種が滅びたわけではありません。多少力を失ってはいるものの、危険な存在であることには変わりありませんでした。また、人間の盗賊なども旅先で出くわせば非常に厄介です。
そんな彼女を案じ、王様から渡されたのは片手サイズの棍棒と薬草一枚。そしてほんの少しのお金だけ。
RPGの主人公は旅立ちの際にどれ程心細い思いをしていたのだろう、と彼女はぼやきましたが、近くにいた者達には彼女の言っている事がさっぱり理解できませんでした。
異世界。異次元。パラレルワールド。
彼女の世界では物語の中だけの存在でしたが、それは確かに実在していました。また、異世界というのは星の数だけ存在します。そして最近は「チキュウ」という星がある世界の、さらに「ニホン」だの「ニッポン」だのと呼ばれる国――つまり彼女の故郷から、様々な異世界に召喚される事が多くなりました。300年前の召喚儀式を行った面々もそのトレンドに乗ったようです。「ニホン(ニッポン)」は今や人材輸出大国となっているのです。
ちなみにその国はただでさえ少子化に悩まされているというのに、若者が次々と異世界へ流出してしまっているわけですが、異世界人達にはそのような事は知ったこっちゃありませんでした。
何故そこまで「ニホン(ニッポン)」から召喚されてきた人材が人気であるかと言うと、彼等は「チート」と呼ばれる謎の能力を持っている事が多いからです。
ある者は凄まじい魔力を。ある者は人間離れした馬鹿力を。またある者は類まれなる知性を。召喚された際に神に付与されると言うのです。
しかし彼女は凄まじい魔力も、人間離れした馬鹿力も、類まれなる知性も、授かる事はありませんでした。それどころか、彼女の世界では魔法もまた物語の中だけの存在でした。さらには彼女が通っていた「コウトウガッコウ」という所では、体育は5段階評価で万年2か、良くても3。おまけに文系科目はそれなりの点数が取れるものの、理系科目は壊滅的という、非常に偏った脳構造をしておりました。
そんな彼女が棍棒を片手に町の外に一人放り出されたのです。最初は「まさかファンタジー世界に本当に来ることができるなんて!」と心を弾ませていましたが、次第に心細さが勝っていきました。
そして案の定、彼女の前に一匹の魔物が現れました。大型の猫のような体に、背中に生えた鳥のような巨大な翼。そして口角からはもう少し自重して欲しいと思える程自己主張の激しい牙がにょっきりと。
魔物は彼女を見るや否や、一目散に飛び掛かってきました。彼女は死を覚悟しました。肉食動物は狩りの際に獲物の首や鼻に噛みついて窒息死させると聞いた事がある為、なるべく苦しまずに死ねたらいいな、などと考えていました。
しかしその衝撃はいつまでたっても訪れませんでした。それどころか頬を、何かざらざらとした物が撫でています。微妙に痛いと言えば痛いのですが。
「み~……ごろごろごろ……」
頬に触れていた物は魔物の舌でした。ぺろぺろと彼女の頬を舐める魔物はまさにマタタビに酔いしれる猫のようでした。
そう、彼女が手に入れた能力は凄まじい魔力でも、人間離れした馬鹿力でも、類まれなる知性でもなく、なんと魔物を懐かせる能力だったのです。
魔物は彼女の後をついてきました。それどころか、魔物に遭遇する度にその数はどんどん増えていき、気が付けば百鬼夜行のようになっていました。
彼女は自分が勇者なのか魔王なのか、だんだんわからなくなってきました。
途中、何度か盗賊に遭遇したりもしましたが、百鬼夜行の首領と化した彼女を襲おうとする猛者はいませんでした。
かくしてそれ程苦労することなく彼女は魔王城に辿り着きました。
もしや魔王の亡骸を見たら魔物達は元の野性を取り戻し、襲ってくるのではないか、と考え、彼等を入口に待機させ、彼女は一人で城の中へと入っていきました。
そして王の間。
髑髏や蛇などを象った禍々しい彫刻が施された玉座には、一人の青年の姿がありました。
見た目は彼女よりも少し年上くらいでしょうか。髪の色は彼女と同じ黒。しかし彼女とは似ても似つかない部分、それは側頭部の螺旋状の角、及び背中には蝙蝠の如き翼が6枚も生えている事でした。
玉座に串刺しになるように、彼の左胸には白銀の刀身を持つ美しい剣が突き刺さっていました。白骨化も腐敗もしていないその顔はまさに魔性の美貌。彼がかつて勇者に討たれた魔王である事は明白でした。
彼女は正直、剣を引き抜く事に抵抗がありました。これまで戦いとは無縁の生活を送っていた彼女は、死体に近づくという事だけでもかなりの勇気が必要でした。
それでも意を決して聖剣の柄を握り、一気に引き抜きました。そして魔王の亡骸から目を背けるかのように聖剣を眺めます。
聖剣は300年もの月日が経過しているにもかかわらず、錆一つありません。特殊な素材で出来ているのか、もしくは強力な魔力が宿っているのでしょう。
この恐ろしい世界から一刻も早く元の世界に帰りたい彼女は、一心不乱に聖剣を調べました。しかし結局彼女一人では何もわからずじまいでした。とりあえずまずは聖剣を城に持って帰ろうと考えましたが、何しろ聖剣は魔王の体に突き刺さっていたのです。鞘などありません。抜き身のまま持っていくのもどうかと思い、せめて刀身を包めるような布でもないかと辺りを見回していると。
「う……ん……」
自分しかいないはずのこの王の間で、声がしました。――いえ、正確には「自分と魔王しかいないはずのこの王の間」で、です。そしてそれはすぐ近くから――そう、既に亡骸と化しているはずの魔王の元から発せられていました。
彼女が恐る恐る振り返ると、玉座にて永遠の眠りについていたはずの青年は、その両の眼を開き、血のような真紅の瞳を彼女に向けていました。しかも聖剣が刺さっていたはずの左胸の傷はいつの間にか消え失せています。串刺しになっていたのですから背中の翼にもそれなりに損傷があるはずですが、そういった様子は微塵も感じられませんでした。
彼女は戦慄しました。恐怖のあまり悲鳴を上げる事すら叶いません。すっかり喉が枯れてしまった彼女の様子を、魔王はぼんやりと見つめていました。
しばしの沈黙の中、彼女は徐々に冷静さを取り戻していきました。そしてふと、ある考えが頭をよぎりました。
異世界から勇者を召喚する際に課された勇者の帰還条件、それは「魔王を倒す事」。しかし既に魔王が倒されている300年後において、その条件は本来ならば成立しないわけですから、儀式は完全に失敗に終わっていたはずなのです。では何故彼女はこの世界に喚ばれて来てしまったのでしょう?
それは魔王がまだ生きているから。そう、彼は聖剣に貫かれてなお、絶命には至っていなかったのです。
という事はです。彼を殺せば自分は元の世界に帰れるのではないか、彼女はそう考えました。彼女の手には今、聖剣が握られています。
しかし彼女は家に入ってきた虫を殺虫剤で殺す事にも多少の罪悪感を覚える人間です。そんな彼女がこれ程人に近い容姿を持ったこの青年を殺す事が出来るはずがありましょうか。そもそも心臓を刺しても死ななかった存在に、どうトドメを刺せと言うのでしょうか。彼女が悶々としていると。
魔王は欠伸を一つすると、眠そうに目をこすりました。その様はまるで母親に無理矢理起こされた子供のようでした。そして彼女に向かって言いました。
「お姉ちゃん、だあれ……?」
いや、あんたのほうがどう考えても年上じゃん、と少なくとも300年以上生きて(死んで?)いる魔王に対して思いましたが、口には出しませんでした。下手に彼の怒りを買って殺されてはかなわないからです。
けれども魔王の様子がなんだかおかしい事に気がつきました。きょろきょろと落ち着きなく辺りを見回していて、その表情は見るからに不安そうでした。まだ目覚めたばかりで混乱しているのだろうか、と彼女が考えていると。
「ここ、どこ……?僕は、だれ……?なんにも思い出せないよぉ……!」
彼はたちまち泣き出してしまいました。どうやら彼は長い眠りについている間に記憶を失ってしまったようです。内面も幼児退行してしまったらしく、小さな子供のようにぴーぴーと泣きじゃくり続けます。 かつては恐ろしい魔王であったとはいえ、今は右も左もわからぬ幼子同然。憐れみさえ感じます。そんな彼を殺すなど絶対に出来るはずがありませんでした。
魔王を殺さない以上どうやって元の世界に帰ろうか。やはりここは聖剣の力で何とかならないのだろうか、などと考えながら彼女が踵を返してこの場を立ち去ろうとすると。
「待って、お姉ちゃん。一人にしないで……!」
魔王は彼女の腕を掴みました。内面は子供でも体は大人。しかも魔王です。がっしりと掴まれた腕はびくともしませんでした。それに涙目で懇願する彼をこのまま放置するのは流石に良心が痛みます。仕方なく、彼女は魔王を連れていく事に決めました。魔王は満面の笑みを浮かべて喜びました。本当にこれのどこが魔王なのかと我が目を疑いたくなる程です。しかし魔王は魔王。入口に待たせている魔物達だけでも充分問題だというのに、流石に魔王を連れて城に帰るわけにはいきません。
こうなったらこのまま旅を続けて自分自身の力で帰る方法を探すしかないのか、などと考えながら再び歩き出そうとすると。
「お姉ちゃん、おんぶ」
ズシリ、と魔王が彼女の背に抱きつきました。一見細見である彼ですが、立派な角と3対の翼を有するその体はかなりの重さがあり、彼女はそのままべしゃりと倒れこみました。それは押し倒されたなどというロマンティックなものではなく、押し潰された、という表現のほうが相応しいものでした。
倒れた際にぶつけた鼻をさすりながら首を巡らせ、自分に乗っかったままの魔王に怒りの言葉をぶつけようとすると。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
自分でやっておいて何を、と口を開きかけましたが、曇り一つないピュアな瞳を向けられた彼女は、結局はその言葉を飲み込むほかありませんでした。代わりに、おんぶをしてあげる事は物理的に不可能である旨をやんわりと伝えるに留めました。
その後、魔王城から出てきた彼女は入口で待っていた魔物達に迎えられました。そして彼女の後ろから怖々とした様子で現れた魔王の姿に、皆は度肝を抜かれました。初めは驚きに目を見開いていた彼等ですが、その目はやがて羨望の眼差しへと変わり、彼女に向けられました。
「魔王様を復活させるとは、流石姐さんッス!!」
「貴女は我々魔物の英雄だ!」
「一生ついていきます!」
「ワオーーーン!!」
色めき立つ魔物達と、今の状況をさっぱり理解出来ずにおどおどとしている魔王の間に挟まれ、彼女は思いました。
――どうしてこうなった、と。
百鬼夜行の首領たる勇者と不死身の記憶喪失魔王、そして勇者を英雄と崇める魔物達。
彼女達の旅はこれからどうなってゆくのでしょうか?それはチート能力を与えた神様にすらわからないのでした。
お読みくださりありがとうございました。ちなみに続きません。