第二章 瞳の中に (2)
玲は、花屋の店先でぶつかった弥生が持っていた鉢を買うことになりますが、その二人のしぐさに桂ややきもちを焼きます。可愛いですね。
第二章 瞳の中に
(2)
「どうしたの桂、さっきから怒った顔をしている」
「なんでもない」
単に自分の勝手な想像の焼きもちだろうと思っているだけに桂は言葉に出来なかった。玲が手に持っている花の鉢の袋を見ながら
「玲、その花どうするの」
「どうするのって。家に持って帰るけど」
「そう」
「どうしたの。花屋から不機嫌になっている」
下を向きながら
「あの花屋の女性、玲を“じっ”と見ていた。渡すときなんか少し顔を赤くしたりして。頭にきた。玲だってうれしそうな顔をしていたし」
その言葉を聞きながら“うわーっ、まいったな。すごい焼きもち”そう思いながら聞いていると
「玲、他の女性の人に笑顔見せないで」
「えーっ、考えすぎだよ。それに花を受け取る時、怒った顔できないだろう」
「それはそうだけど」
少し間を置くと
「分かったよ、桂。少し気をつける」
「ふふっ、うれしい」
そう言って、玲の後ろを“くるっ”と回ると玲が持つ傘を自分に持って、手をつないだ。
「弥生、どうしたの」
「や・よ・い」
「えっ」
「えっ、じゃないわよ」
「お花渡した後、完全に固まっていたわよ」
「えーっ」
弥生は、自分では、普通に時間が過ぎたと思っていた。花を渡すとき、確かに触れた手の感覚。
“あの時の感覚。なんだったんだろう”弥生は、急に心が熱くなった。“確かにあの時、触れた手は、何か違った。そう何か、心の入ってくる何か。あれはなんだったんだろう。葉月玲”
「や・よ・い、やよい」
「えっ」
「まったく。“えっ”じゃないわよ。声掛けたら、また固まるし」
その時、お客様が入ってきた。弥生は、今までの感覚を現実に戻すと花の台のそばにある椅子を立った。
「今日は、お天気の割に結構売れたね。よかった」
「うん、この天気でこの売り上げは、まあまあいい方だね」
弥生は、売上伝票を整理しながら、仕入れる花の事を考えていた」
「あかね、明日は、日曜日だから市場休みだね。月曜日の仕入れ書いておくね」
「弥生ありがとう。それ終わったら今日はもう帰っていいよ」
「いいよ、シャッター閉めるまで一緒に手伝う」
「遅くなるよ」
外に出ている花や台を片づけながら言うあかねは、お店の奥のテーブルで伝票処理をしている弥生を見ながら言った。
“そう言えば、弥生もとしごろだな。確か今年でもう二五のはず。彼いそうにないし”そう思いながら
「弥生、今日終わったら少し寄って行かない」
「えっ」
弥生は一瞬考えたが、
「いいよ。でも珍しいね。あかねは、家は大丈夫なの」
「うん、お母さん、まだまだ元気だし」
あかねは、早くして父を亡くした。母親一人で育てられ大学まで出た。大学は、園芸を専攻した。花屋は小さいころからの夢だった。普通、女手一人で育てられた人がお店持つなど無理な話だが、母親の友人が、“六本木に有る小さな園芸店を年を理由に閉めたい”と聞いて、貸してもらっているのだ。元々互いに花が好きなこともあり、簡単に話はまとまった。家賃もこの辺では破格の安さだ。
あかねは、最初やっていけるか心配だったが、元からのお客もいたようで、開店当初から売り上げがあった。立地条件も良かったのかもしれない。
弥生とは、大学の先輩後輩にあたる。あかねが三年の時同じ園芸学部に入ってきた。弥生は、大学の近くに自宅があり、歩いて通っていた。だから、六本木にお店を出すと言った時、二つ返事でOKした。電車通学を経験していない弥生にとっても魅力的な場所だ。
朝九時半から夕方六時までの約束で働いているが、七時を過ぎることもたまにあった。あかねは悪いと思ったが、弥生は好きで手伝っていることを理由に残業とかの考えはなかった。
「弥生、彼は」
「えっ、いきなり直球」
あかねの問いかけに少し考えると
「大学の時、ちょっと彼と呼べるほどの人じゃなかった程度の人がいただけかな。彼はバイオ関係だったのでそのまま大手の研究所に入った。それっきり。今はいない」
少し間を置くと
「ところであかねは」
返すように聞くと
「私は、全然興味ない。今のお店が彼のようなもの。お花の仕事をしているのが一番楽しい。だから彼のようなもの」
「じゃあ、同じだよ。私も花の仕事している今が一番楽しい」
“ふふふっ”と笑うと
「花屋の彼に乾杯」そう言って二人で微笑んだ。
弥生は、あかねと別れた後、田園都市線に乗りながら、なぜか頭の隅に残っているモノがあった。
“どうしたんだろう。お客様はいっぱい来るのに・・・”
家に帰った後もなぜか離れない、記憶の中にしっかりと残るモノ“葉月玲”。自分でも理解できなかった。
お風呂に入りながら、あの時の感覚がまだ手に残っているのが分かる。湯船につかりながら触れあった左手を右手で触りながら、なぜか心の中に引っかかるものがあった。
弥生は、朝の出来事や花を渡す時のことが印象に残ったのだろうと思うと忘れることにした。
「来ないで、私の玲を取らないで」
「来ないでー」
葉月玲を守るように女の人が前に立っている。自分の手が玲に伸びていく。手が触れ合ったとたんにその女性は消え、玲が自分のそばにいた。“ここはどこだろう”と思っていると急に消えた。
“スーッ”と意識が戻ってきた。“夢か”そう思うとベッドのヘッドレストにある目覚ましを見た。“まだ五時半、もう少し寝よう”もう一度タオルケットを首元まで引っ張り上げると目を閉じた。
目覚ましが鳴った。ヘッドレストに手をやって見ると七時を差していた。“起きるか”ベッドの中で伸びをすると起き上がった。“じーっ”と左手を見ると昨日の感触はなかった。
まだ誰にも預けたことのないスレンダーな身体をドレッサーの前で見ると
「私の彼はお花屋さん」そう言って着替え始めた。
桂を家まで送った後、そのまま自宅に戻った玲は、表門を開けて入ると玄関まで歩いた。もう夜の八時を過ぎていた。“今日もちょっと遅くなった。桂と一緒だとどうしても遅くなる。まあ仕方ないか。でもまいったな。桂があそこまで考えているとは”頭の中にそんなことを浮かべながら玄関に入り
「ただいま」と言うと
玄関まで出てきた母親が
「お帰りなさい。桂ちゃん送ってきたのね」
「はい」
「お父様が、お話があるそうよ。着替えたらリビングに行きなさい。ところでその花はどうしたの」
「ちょっと色々あって」
「そう」
そう言って母親はキッチンへ行った。
“何だろう”と思って一階の洗面所で手を洗うと二階の自分の部屋で着替えてからリビングに行った。
「お父さん、なんですか」
父親の反対側のソファに座ると玲は父親の顔を見ながら言った。
「玲、今年でもう二七だな」
落ち着いた声で言うと
「そろそろ、私の仕事を手伝う準備をしないか」
いきなりの言葉に驚きを隠さずに
「まだいいじゃないですか。もう少し今のままで」
「あともう一つある」
間を置くと
「嫁を貰わないか」
母親が持ってきた紅茶を吹き出しそうなって、なんとか押さえると
「簡便してください。まだ二六ですよ」
「私も二七になる前にお母さんと結婚した」
横にいる、今でも愛くるしい妻を横目で見ると少しだけはにかんでいた。
「しかし・・」
言葉が続かない玲に
「桂さんはどうなんだ。あちらは、まんざらでもなさそうだと聞いている。お前とは付き合いも長く、家柄もしっかりしている。それにとても気立て良くて綺麗じゃないか。文句の付けようのない人だと思うが」
父親の言葉を耳にしながら桂との今日の出来事を思い出していた。“桂は玲のお嫁さんになりたい”あの言葉を心に思い出しながら、なぜか今一つ踏み切れないでいた。
“確かに桂は、可愛いし、気立てもいい。しかしそれは、幼いころから一緒だった故の事だ。妻とするにはもう少し考えたい”
「お父さん、桂の事は、もう少し待ってください。彼女の気持ちは知っています。しかし、自分自身の気持ちが追い付いていません。もう少し待って頂けませんか」
「婚約だけでもしたらどうだ」
「出来ません」
強い口調になった玲は、はっきりとした目で父親の顔を見た。父親が見返すと
「分かった。いつまでだ」
「だから、もう少し」
「玲、時間は過ぎていくものだ。仕事の事も結婚の事もしっかりと考える年になったということを理解しなさい」
「分かりました」
「話はこれだけだ」
そう言うと父親は、ソファを立ってリビングを出た。母親がその後を連れ添う様に歩いている。
玲は、なぜか頭の中に残るモノが気になっていた。“澤口弥生。なぜだろう”
自分の意識の中で自然と残っていた。風呂に入りながら右手を見た。“あの時の感触”が残っている。自分でも分からないままに風呂からあがり部屋に戻るとスマホのライトが点滅していた。
“誰だろう”と思ってスマホのスイッチをオンにすると“桂”と表示されていた。メールを開けると“玲、今日は楽しかった。ありがとう”と表示されていた。
“桂”、頭の中に可愛い幼なじみを浮かべながら今日、父親から言われた言葉を思い出していた。
玲は、返信をタップすると“桂、僕も楽しかった。いつもそばにいるから”そう入力すると送信ボタンを押した。
玲自身、桂の事が嫌いではなかった。それどころか自分には素直で甘えっ子で可愛い、とても大切な妹であった。いつまでもそばにいて守ってあげたい。だからと言って妻にするということには抵抗があった。“桂を・・・・”とても出来ることではなかった。
「私の玲に近づかないで」
「だめーっ」
自分の前に立ち大きく腕を開きながら、前から来る人を防ごうとする。やがていつの間にか桂が消えるとその女性の左手と自分の右手が結ばれていた。いつの間にかその人と一緒に座っている。ここはどこだろうと思うと“ふーっ”と意識が戻った。
ベッドのヘッドレストにある時計を見ると、まだ五時半だった。“もう一度寝るか”そう思うとそのまま意識が消えた。
“弥生”目の前にいる人が微笑んでいる。手を伸ばそうとすると目が覚めた。伸びをしながらゆっくりと起きると夢の中の事は消えていた。
玲と弥生ははからずも同じ夢を見ました。もちろん本人たちは知る由もありません。しかし、恋の女神は、この二人を引き寄せさせます。
次回をお楽しみに。