三、艦隊増強計画
増強する艦挺の数を増やします。
日本は、一気に戦艦を8隻失った。その理由はドイツへ輸出したのと、老朽化により解体したからである。
これで日本は、戦艦長門 陸奥 戦艦ビスマルク ティルピッツの、4隻だけになった。
いくら航空機主兵論だからと言ってもこれは、きつい。
そこで日本は、増艦計画を立案した。
その内容は、
戦艦大和級2隻 磐城級4隻 加賀級2隻
空母翔鶴級2隻 隼鷹級2隻
重巡2隻 軽巡4隻 駆逐艦40隻
潜水艦8隻 高速油送船輸送船揚陸艦それぞれ20隻。
合計126隻である。
さらに、この計画と同時進行で戦車や航空機の開発や製造も行われた。
航空機は零式艦上戦闘機23型99式艦上爆撃機34型97式艦上攻撃機46型冬花特殊戦闘攻撃機
等である。性能は、次回紹介します。
しかし、1939年ドイツがポーランドへ侵行した。
これにより、日独と米英の関係は、さらに悪化していった。
その頃日本では、
ガタガタガタガタガタガタっ
市民A(地震だ。)
市民B(大きいぞ。)
ガタガタガタ
市民A(収まったか?)
市民B(いや。次は津波が来るぞ、逃げろ!)
この日、新潟や佐渡島では、震度6強の地震が起こった。
死者、行方不明者は3万人にもおよんだ。
しかし、それだけでは、終わらなかった。
なんと、佐渡島から石油が噴き出した。その規模は、大慶油田と同じ規模だった。
さらに大連では、鉄鉱石の鉱脈が
見つかった。
これにより、日本は石油と鉄に困らなくなった。
しかし、この事を快く思わない国がいた。
それは、米英であった。
この頃から両国との関係は、さらに悪化していった。
戦争へのカウントダウンが、始まった。
次回は、日本の兵器性能です。
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