九、混迷の日米関係
そろそろ、日米開戦です。
1941年5月艦船の建造や航空機の開発さらには戦車などの車両関係の開発が進む中、
軍の首脳部では米英との開戦やむ無しとの声が大半を占めていた。
そして2ヶ月後、山本五十六は真珠湾奇襲作戦を考案した。
その攻撃日は、11月20日に決まった。
10月の御前会議でも了承され、参加艦艇が発表された。
第一機動艦隊
指令長官南雲中将
旗艦天城
戦艦上総、下総
空母天城、赤城、炎龍、紅龍、飛龍、蒼龍
重巡利根、筑魔
軽巡阿武隈
駆逐艦雪風級14隻
第一潜水艦隊
旗艦伊ー500
潜水空母伊ー500,501
甲型潜水艦伊ー20,21,26,27,28,29
乙型潜水艦伊ー40,41,46,47,48,49
補給艦隊
高速補給艦8隻
駆逐艦秋月級18隻
夕雲級12隻
空母祥鳳、瑞鳳
以上が真珠湾奇襲作戦に参加する艦艇である。
補給艦隊は、クェゼリンにて待機する。
潜水艦隊は、機動部隊の前衛を勤める事になっている。
ちなみに上総と下総は対空戦闘に特化した戦艦である。
主砲は、52口径28㎝三連装砲4基12門である。
その他、対空砲を多数搭載している。
艦橋は、ドイツのシャルンホルスト級に似ている。
そして、択捉島単冠湾を11月に出港した艦隊は、誰にも発見されることなくハワイ沖320㎞北西に到着した。
その前の日、大日本帝国は米英に対し宣戦布告をした。
そして11月20日機動部隊から第一次攻撃隊188機(零戦50機、九九式65機、九七式65機、天神8機)が、出撃した。
天神とは、最新の電探を装備した偵察機である。
さらに1時間後、第二次攻撃隊が発艦した。
丁度その頃、第一次攻撃隊は真珠湾に攻撃を仕掛けていた。
低空を飛行し、敵に見つかる事なく真珠湾に進入した。
そして、先頭の零戦から信号弾があがると、一斉に攻撃を開始した。
飛行場は全て破壊され、湾内にいた戦艦や空母も撃沈または大破させれ、残った艦船も第二次や第三次攻撃隊にやられた。
史実より奇襲する日が早かったため、空母はまだ湾内に残っていた。
その2隻の空母も破壊された。
攻撃は次第に激しくなり、飛行場は全滅。湾内に残っている艦船は駆逐艦4隻と、魚雷挺数隻だけとなっている。
さらには、史実では破壊出来なかった重油タンクも完全に破壊する事ができた。
全ての攻撃が終了した後、全艦艇は本土を目指した。
途中、飛龍と蒼龍がウェーキ攻略のため利根と筑魔に駆逐艦6隻を引き連れて艦隊を離れていった。
ウェーキ攻略は成功した。
さらには、史実とは違いシンガポールを大量の機雷で封鎖した為、P,O,Wとレパルスは
出港出来ずにいた。半分ぐらい機雷を撤去しても、それを見計らって機雷を積んだ爆撃機が機雷をおいて行くと言う事を繰り返していた。
そうこうしている内にシンガポールは、日本軍に取り囲まれていた。
ちなみに参加した艦艇は、
近藤信竹中将指揮の第三打撃艦隊である。
陣容は、
戦艦加賀、土佐、播磨、相模(旧ビスマルク級)
空母隼鷹、飛鷹
重巡高雄、愛宕、最上、熊野
軽巡神通、長良、那加
駆逐艦吹雪級14隻、夕雲級12隻
揚陸艦14隻、補給艦8隻
である。
参加した陸軍の数は、2個機甲師団と1個歩兵師団計3個師団である。
指揮官は、山下大将だ。
この作戦には、最新鋭の一式中戦車が参戦している。
話がずれたのでもどします。
そして日本軍が突入を開始した時、突如二隻の戦艦と数隻の巡洋艦や駆逐艦が火を吹いた。
狙いは日本軍ではなく、洋上にある機雷郡であった。
この時、日本の艦隊はシンガポールの北約300㎞の所にいたため、すぐに対処する事が出来なかった。
そうしている内に機雷は全て破壊され、英艦隊が出港しようとしたその時、
突如シンガポールの空にけたたましい爆音が響き渡った。
その正体は、サンジャックから飛来した96式陸攻と一式陸攻の編隊であった。
その数およそ120機。護衛の零戦60機である。
実は、この編隊はシンガポールにいるイギリス陸軍を爆撃するために出撃したものだった。
戦艦等は拿捕するつもりだったが、今にも出港しそうなので撃沈命令が出た。
そして、撃沈する場所はシンガポールの沖20㎞の地点だった。
ついに世界で初めて行動中の戦艦が航空機による攻撃で撃沈されたマレー沖海戦が始まろうとしていた。
遅れてすみません。部活等で忙しかったので投稿が遅れました。
さて次回は、マレー沖海戦です。
ご意見ご感想お待ちしています。