【精霊の乙女】の悲劇とその顛末
百年に一度の精霊祭。
【精霊の乙女】が精霊王に捧げられ、結ばれる運命の日。
精霊王が降り立つためだけに用意された、ありとあらゆる色鮮やかな花が一面に広がる庭園にて。
今回の祭りの主役である乙女は、胸に大穴を開け、泡を吹いていた。
「え……?」
ぽつりと呟きを漏らす彼女の胸を貫通するのは、細く美しい腕。
腕の主はひどく不愉快そうな表情でまもなく腕を引き抜いた。
その手にはぬらぬらとした心の臓が握られている。
「我にわからぬとでも思ったか、盗人が」
静かな声音が響いた直後、やっと状況を理解したのだろうか、方々から甲高い悲鳴が上がる。
阿鼻叫喚の中、乙女がどさりと崩れ落ち、苦しみもがきだした。
こぼれ出す大量の血は、花を穢し、急速に広がっていく。
「やだ……やだ、やだやだやだ!」
なぜまだ生きているのだろうか。
異様な執着心故か、今の今まで精霊の加護を受けていたおかげか。所詮は無駄な足掻きだけれど。
「死にたく、ない……っ!」
「貴様は我が乙女ではない。貴様のような盗人、誰が欲するものか」
「私はルティなの! 【精霊の乙女】……ルチア・セントールになったのに……」
ルチア・セントールは今代の【精霊の乙女】。
弱小の子爵家出身であり、容姿も特別目立つものではない。しかし齢十の時に祝福を授かり、以来、精霊の力で多くの者に幸福を振り撒く存在となった。
この世に無数に漂う精霊たちは皆、【精霊の乙女】に微笑む。持てる限りの力を貸し、乙女の望みを全て叶える。
人間の上位種であり守護者たる精霊族、それらを統べる精霊王の最愛であるが故に。
しかし、見初めたはずの精霊王は、それを否定した。
自ら命を奪うという、この上ない拒絶を示して。
「私のはず……だったのに……! 私が……レティが……!!」
今にも光が消え失せようとしている乙女の瞳が向いた先は、庭園の隅。
そこに黙って佇んでいた私を見つけた途端、憎悪の色が浮かぶ。
「ルティ――、――――ッ!」
怒りに任せ、何やら喚き散らそうとしていたようだが、言葉にならなかった。まるで突然声を失ったかのように。
意味のない唇の開閉を繰り返しながら、やがて力尽き、事切れる。
それが【精霊の乙女】ルチア・セントールの――否。
ルチア・セントールの皮を被った彼女の最期だった。
◆
時は精霊祭より八年ほど遡る。
「どうしてルティなのよ!」
始まりは、そんな一言。
同時に強烈な平手打ちを喰らい、よろめきながら、乾いた痛みと驚愕で固まってしまったことをよく記憶している。
ルティというのはルチアの愛称。
親族は揃って私をルティと呼んでいた。
「お前が精霊の祝福を受け取るに足る人間だというの? レティはそうではなかったと?」
私に詰め寄り、美しい顔を怒りに歪めたのは、私の従姉妹にあたる人だった。
レティ様――コレット・セントール。
分家のセントール子爵家と違い、本家であるセントール侯爵家の生まれの彼女は、何もかもに恵まれていた。
きらきらと陽光を反射する金の髪。空を閉じ込めたような双眸。一寸の狂いもなく整った目鼻立ち。
才に溢れ、ダンスから芸事から勉学まで不得意なことは何もない。
優れたる故に自分が世界の中心であると疑わないような性格になってはいたが、それも愛嬌となり、周囲からの好感を集めていた。
とても同い年であるとは思えない、あまりにも眩しく、輝かしい存在。
幼い私の憧れだった。
「レティ、様……」
「お母様もお父様も、レティが【精霊の乙女】だろうって言ってくれたの。だってレティはすごいのよ? お告げがあった時、レティのための言葉なんだって思った」
精霊王によって【精霊の乙女】が選ばれる時、精霊界より人間へお告げが届けられる。
その内容は『歳が十になる娘を【精霊の乙女】とする』というものだった。
それにより、コレット・セントール侯爵令嬢こそが【精霊の乙女】ではないかという憶測が立った。お告げの際、彼女は十歳の誕生日を目前にしていたのだ。
私もその噂を耳にして、それが真実であればいいなと願った。
人々に幸いをもたらし、精霊に慕われ、最終的には精霊王の元へ嫁ぐに相応しいのは誰よりも彼女だと思ったから。
……なのに。
選ばれたのは、同じく十歳を迎えた私だった。
『何故に私をお選びになったのですか?』
ある晩、夢枕に立った精霊王に私は尋ねた。
銀糸の髪に白色の瞳、肌も衣服も何もかもが白く透き通ったその御方が精霊王だとわかったのは、最愛に認められたおかげだったのかもしれない。
名乗られる前に、初めて顔を合わせた瞬間に、不思議と運命を悟った。
『――あの娘は、あまりに身勝手が過ぎる。いずれ国を滅するであろう。その点、貴様なら問題なかろう。恵まれぬ境遇に耐え忍び、それでも歪まなかった貴様を我は好んだのだ』
精霊王に優しい笑みを向けられ、私はつい、涙をこぼしてしまった。
私は要らない子だった。
跡取りとなる男児が望まれる中、子を産むことが難しい母がようやく命を授かったのに、女の身で生まれてきてしまったから。
母は私を出産すると同時、二度と身篭れない体となった。
落ち目の子爵家に婿入りを望む物好きはそう多くない。可能性があるとすれば、裕福な平民くらいだろう。
セントール子爵家に明るい未来は望めない。
本家の令嬢であるレティ様と交流を持ち、侯爵家に気に入られることのみが私の存在価値とされた。レティ様と会う時のみ貴族の娘らしく身綺麗にすることを許されたが、それ以外は息を殺して過ごさなければならなかった。
その苦痛の日々を、精霊王は見守っていたらしい。
『貴様の【心】に祝福を与える。今後は精霊の加護により、貴様は護られるだろう。もう辛い思いをすることはない』
そうして、私は【精霊の乙女】となった。
それはまもなく公になり、レティ様に知られて……レティ様の嫉妬を買った。
生意気だと言われることは覚悟していた。
しかし嫉妬だ。混じり気のない悪意を浴びせられるとは思ってもみなかった。
「どうせ卑怯な手でも使ったんでしょう! じゃなきゃ……ルティの方が、レティよりも優れてるってことになるじゃない」
その時、何か励ましになるような言葉でもかけられていたら、何か変わっていたのだろうか。
あるいは私の言葉など意味をなさなかったのかもしれない。
以降、レティ様との関係は途切れた。
――三年の月日が流れたある日、彼女の体で目を覚ますまで。
【精霊の乙女】となってから、それまでの冷遇が嘘のような毎日だった。
折檻に怯えることも、腐った残飯を無理矢理口の中に詰め込む必要もない。
周囲には常に無数の精霊が飛び交い、ルチア、ルチアと可愛らしい声で語りかけてくる。
両親は【精霊の乙女】になった私を利用して人脈を広げ、新たな事業を展開していった。
あくまで金儲けの道具としてだけれど、それなりに可愛がってくれる。
御伽話の中のようで、夢見心地になって。
だからすっかり油断していたのだと思う。
意識が浮上したと同時、明らかな違和感を覚えた。
知らない天井。自分のよく知るそれとは長さの違う四肢の感覚。私の顔面を覗き込む、私自身の顔。
「どう? レティになった気分は」
私の姿をした少女が愉しげに笑っていた。
「魔法を使ったの。ルティでも聞いたことくらいはあるかしら? 精霊の力に頼らない、奇跡の力。古くは一般人でも使えたのだけれど、精霊との相性が悪かったらしくてね。今は邪法とされている」
「レティ様、ですか……?」
「そう言っているじゃない。ツテを使ってルティを拐わせてから、魔法でお前とレティの体を交換した。これでレティは――私は、【精霊の乙女】ルチア・セントールというわけ」
「そんなの、精霊王がお許しになりません」
「精霊王の力に縋ろうとしても無駄よ。だってお前にはもう加護はないのだもの」
私に懐いてくれていた精霊たちは皆、不安そうに【精霊の乙女】に寄り添うばかり。
私が呼んでも反応してはくれない。
「大丈夫! コレット・セントールは病気療養中なの。病気というのは表向きの話で、心の調子を崩して屋敷を飛び出して、不運にも暴漢に出会し、心身を傷つけられてしまったんですって。…………そういうことにしておいてあげたから、レティのふりをしなくてもいいわよ。どうせお前ごときじゃ上手くやれないでしょう」
そういえば、そんな話を耳にしていた。【精霊の乙女】になってまもない頃のことだ。
環境が一気に変化した忙しさ、そしてレティ様との関係に亀裂が入ってしまったのもあり、療養先を訪れることはしなかった。
「逃げ出してしまいたくなるくらい、【精霊の乙女】になったルティを見るのが耐え難かった。どうしても許せなかった。お母様とお父様の期待も裏切ってしまって、どうすればいいのかわからなかった」
可哀想にねぇ、と、乙女はわざとらしく目元を拭う。
その所作は細やかで美しく、悔しいことに様になっていた。
私は三年かけて、ようやく所作を洗練させられたというのに。
【精霊の乙女】として人前に出られるようになるため、努力を重ねたというのに。
その努力は全て水の泡。
元完璧令嬢の肉体と引き換えに奪われてしまった。
「ま、そういうわけで! さようなら、コレット・セントール侯爵令嬢」
それから五年。
私はひたすら、その時を待った。
レティ様の言葉に嘘はなく、レティ様はもう取り返しがつかなくなっていた。セントール侯爵家の別邸に囚われ、基本的に外出は許されない。
レティ様の息がかかった者は何人かいたが、当然ながら入れ替わりの事実も知っており、私の言うことは一切聞き入れてくれない。
暇潰しにと時折差し入れられる新聞記事で、【精霊の乙女】の活躍を度々目にした。
積極的に国内各地へ赴いては豊穣を願ったり、天災を鎮めたり、疫病を退けたり。中でも大きな功績は、他国との交渉を巧みに行い、同盟を取り付けて、大きな国益を生み出したこと。
その中に混じって、セントール子爵家を取り潰しにした話や、夜遊びに耽っているというゴシップもあったけれど、それはそれ。
【精霊の乙女】になって三年間、ひたすらに平和を祈るだけだったルチア・セントールの成長ぶりは目覚ましいものだった……らしい。
やはり私よりもレティ様の方が相応しかったのかもしれない。
何度となくそう思った。
それでも信じ続けた。
そして――迎えた精霊祭。
八年ぶりに精霊王からのお告げがあり、国の貴族全員が揃って出席して祝すようにと強く求められた。当然コレット・セントールも例外ではない。
「妙なことはするな」
「ルチア嬢には近づかぬように。わかりましたね?」
セントール侯爵夫妻に言い聞かされ、私は頷いた。
言われるまでもない。何をするつもりもなかった。
◆
そうして厳重な監視の下、久方ぶりに公の場へ赴くことを許されて。
ただじっと、全てを見届けた。
ほのかな光とともにどこからともなく人影が現れ、ふわりと地に舞い降りる。
それはかつて私の夢枕に立った御方。【精霊の乙女】を寵愛する存在。
すなわち、精霊王。
「――お前が【精霊の乙女】か?」
不意に投げかけられた問いかけ。
それを受けた乙女は、自信たっぷりに微笑んだ。
本来彼女のものではない顔で。
「お久しゅうございます。このルチア・セントールは、あなた様にお会いできる日を心よりお待ちしておりました」
その声も、顔面も、もはや私の知るそれとは異なっていた。
面影こそあるがすっかり大人び、清廉さと独特の色香を備えている。それでいて歪な歓びに濁っても見えるのだから不思議だった。
きっと彼女の言葉は本当だったのだろう。
禁忌とされる魔法を用いてまで叶えたかった望みが、やっと実現しようとしている――彼女はそう考えていたはず。
しかし直後、彼女の自信も歓びも呆気なく打ち砕かれた。
他ならぬ精霊王の手によって。
「偽りで塗り固められ、心の穢れた名ばかりの乙女は、我には必要ない。加護を、貴様の【心】を剥奪する」
心の臓を抜き取る。
たったそれだけのことで、もはや【精霊の乙女】ではなくなるのだ。
きっとレティ様は知らなかっただろうけれど。
最期に声を出せなくなっていたのは、精霊たちからのささやかな報復だったのかもしれない。
それとも、最期の恨み言を私が耳に入れずに済むようにしてくれたのだろうか。
いずれにせよ。
肉体を交換してまで手に入れたかった称号を失い、そのことに気づくことすらなく、【精霊の乙女】であった彼女の命は終焉を迎えた。
ルチア・セントールの肉体のままで。
その亡骸には見向きもせず、精霊王が私の元へとやって来る。彼だけは私が何者であるか正しく理解してくれていた。
監視の者たちが警戒を露わにしたが、その歩みを阻むことは叶わない。
「その娘に用がある。貴様らは下がれ」
下された命令に逆らう勇気のある人間は一人もいなかった。
【精霊の乙女】の死を起因とする大騒動の傍、私と精霊王は二人きりになる。
向かい合い、深々と頭を下げられた。
「すまなかった」
「謝られることなど、何もありませんよ」
「我が力をもってしても魔法への干渉は難しく、ああする他なかった。本来、あまり人間界に降り立つのが望ましくないという面倒な制約もある故な。……辛い思いをさせないと言ったのに違えてしまった」
私の身に降りかかった出来事を思い返せば、悲劇と言い表すべきだろう。
理不尽に恨まれ、【精霊の乙女】の地位を横取りされ、挙句の果てには盗られた体の命は尽きて二度と元には戻れないのだ。
しかし――。
「辛くはありませんでした。精霊王が助けてくださるとわかっていましたから」
五年間、ずっとずっと想い続けてきた。
精霊王だけが私の心の拠り所だった。そして私の祈りに彼は応えてくれた。
精霊王がレティ様の手を取るのならそれはそれで仕方ないと諦めていた……などという本心は、わざわざ語る必要はない。
「ただ、本当にこれで良かったのでしょうか。どうしても私にはわからないのです」
「何のことだ?」
「非道な仕打ちをされた自覚はありますが、私、レティ様のことをどうしても嫌いになれなくて。私がいなければ、レティ様はあんな風にならなかった。レティ様はご立派でした。今日の今日まで【精霊の乙女】の務めを果たされていた。……違いますか?」
「…………」
精霊王は答えない。
私の言わんとしていることが理解できないといった風に首をわずかに捻るばかりだ。
けれども少なくとも否定されなかったということは、私が得ていた情報は間違っていなかったらしかった。その事実が胸にのしかかる。
「やはり私は要らない子だったんです。私は救われただけ。誰も救えなかった。大勢の人も、レティ様のことも」
決して屈しはしなかった。良くも悪くも我慢強く、耐えることに慣れてしまっていたおかげだ。
受け入れ、耐えることしかしなかった。
肉体の交換によって精霊の力を借りられなくなっていたから。五年間も別邸に軟禁されていたから。
いくらでも言い訳できるけれど、それ以前にレティ様から目を背け、【精霊の乙女】になれた恩恵に甘えていたのは確かで。
「……でも、それでも、私なんかを認めて選んでくださって本当に嬉しかった」
声は情けなく震え、なぜだか滴が頬を伝った。
歓喜、愛、感謝、後悔、安堵、不安……情緒がぐちゃぐちゃで、涙している理由が判然としない。
精霊王を見上げ、縋り付く。
「今の私は、あの時見初めていただいたルチア・セントールではありません。この体でも愛して、護ってくださいますか?」
伸ばした手をそっ、と握られる。
そのまま包み込むように、ぐずる赤子をあやすかのように、精霊王に抱きしめられた。
精霊族だからだろうか。人間のような体温はなく、感触も透明感があるのに、不可思議なあたたかさがあって。
互いの距離がさらに近づき、唇が触れ合った瞬間――荒れ狂っていた感情の波が一気に鎮まっていった。
「当然だろう。我は貴様の在り方に惹かれたのだから。……精霊祭は我が最愛を迎え入れることによって正しく終幕する。行こう、ルティ」
「はい」
答えながら、ちらりと視線を遠くに遣ると、そこにはまだ血の赤が広がっている。
もう一度だけレティ様を目にしておきたかったが……諦めよう。
両の眼を閉ざした私は、言われるがまま身を委ねた。
◆
その日、【精霊の乙女】ルチア・セントールの突然の訃報が世界中を駆け巡った。
盗人と罵られた惨めな最期、数々の怪しげな噂はあれど、多くの民の信頼を集めていた彼女の死という悲劇はひどく嘆かれ惜しまれたという。
一方、姿を消した侯爵令嬢コレット・セントールの名はあまり話題に上らず、人々から忘れ去られた。
その行方を追う者も、精霊王の花嫁となって深く愛された生涯を知る者も、誰一人として存在しなかった。




