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蘭花伝 ──黎明の皇女は天命に抗う──  作者: 冬生 恵
【第一章】日陰に咲く花
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四. 婚約者との面会

 客間は、養母の趣味に合わせた、清涼さの漂う空間だ。

 天井には宝相華(ほうそうげ)(もん)があしらわれ、老紅木(ろうこうぼく)で統一された家具に飾られているのは、繊細な色合いの青花磁器(せいかじき)である。客人の目を楽しませるため活けられた花も、主張し過ぎない小ぶりなものが多い。

 椅子に姿勢よく腰掛け、窓の外を眺めていた青年──(おん) 遠珂(えんか)は、扉が開いたのに気づくとさっと席を立ち、揖礼(ゆうれい)を捧げた。

 澄蘭は慌てて彼の元に駆け寄る。


「……顔を上げて下さい、温忠業(ちゅうぎょう)。すみません、長くお待たせしてしまって」


 ありがとうございます、と顔を上げた遠珂は、澄蘭(ちょうらん)の勧めに応じて再び腰を下ろした。向かいに腰掛けた澄蘭に、彼は朗らかな笑顔を向ける。


「とんでもないです。私こそ、お約束いただいた時間より早く伺ってしまい、申し訳ありません」

「いえ……」


 実際には彼は、取次の宦官の先導のもと、刻限通りにやって来たと聞いている。気遣いに溢れたその言葉も、向けられた笑顔も、朴訥(ぼくとつ)としていて厭味(いやみ)や卑屈さは感じられない。

 異国の商人の血筋を引くことから、「腹の中では何を考えているのか分からない」、「どうせ損得でしか動かないのだろう」と評する者もいると聞いてはいるが、本当のところはどうなのだろうか。


 目や髪の色は変わらないものの、秀でた額、目との距離が近い眉、くっきりとした二重の瞳は、確かに礼の人々の一般的な顔立ちとは異なっている。

 義兄の穏翊(おんよく)が、絵画の神仙のような涼やかな美男子なら、遠珂は木に彫刻を施したような、個性的な容貌の好青年と言えるだろう。


 思わず顔に見入ってしまっていたためか、遠珂が澄蘭の視線に照れたように笑い、こめかみを掻く仕草を見せる。

 澄蘭は頬を赤らめて俯いた。


(男性の顔をまじまじと見つめるなんて……やってしまった……)


 品がないと、呆れられていないだろうか。

錚雲(しょううん)の歴史書に夢中になっていたせいか、つい、思考がそちらに引きずられて止まらなくなってしまう。澄蘭は切り替えるように軽く頭を振り、上目で遠珂を見上げる。彼は、にこりと微笑んで尋ねた。


「澄蘭様は、今日は何をなさっていたんですか?」


 何事も無かったかのように話題を変えてくれた遠珂に感謝しつつ、澄蘭は茶を一服してから口を開いた。


「本日は……特には。朝から手習いをして、空いた時間に書物を読んでいました」

「そうなんですね。手習いは何を?」

「……裁縫です。衣服の繕い方や刺繍の仕方を教わっていて」


 ほう、と息をつき、遠珂が目を細めて言った。


「それは、大変でしたね。お疲れではないですか?」

「いえ……」


 これは見栄だ。

 手本を見ながらを刺繍したはずが、似ても似つかない怪鳥(けちょう)に仕上がり、おまけに上襦の袖は一部まで縫い合わせて、ただの布の塊になった。教師は頭を抱え、澄蘭は幾度も針で刺してしまった指の痛みに、それぞれ唇を引き結んだ。困ったように励ましてくれる教師への申し訳なさに気が滅入り、長時間縫い目を凝視したため頭痛も辛い。

 どんよりとした澄蘭の内心に気づいたのか、遠珂は目を瞬かせたあと、「無理はなさらないでくださいね」と笑いかけてくれる。

 彼にはもちろん、他意はなかったのだろう。

 だがその気遣いがかえって、澄蘭を憂鬱にさせる。曖昧な笑みを浮かべる澄蘭に慌てたように、遠珂が視線を澄蘭の衣装へ移した。


「……その、今日のお召し物の色合いは、とてもお美しいですね。先日の落ち着いた色味もよく似合っておられましたが」

「……ありがとうございます」


 気の利いた返しひとつ出来ない自分への情けなさが、澄蘭の心を更に重くする。

 可憐な薄紅や典雅な蘇芳が自分に似合わないことは、自身が一番理解している。あからさまなお世辞に対する僅かな不快感と、気を遣わせたことへの後ろめたさを、曖昧な笑顔で誤魔化した。


 二人の間に、気詰まりな沈黙が流れる。


 婚約が整って一ヶ月、遠珂は一旬に一度休みを合わせて会いに来てくれているが、気の置けない会話が出来る程の仲にはまだまだ至らない。

 こんな沈黙をどうすれば良いのか、人付き合いの苦手な澄蘭には荷が重かった。喉も乾いていないのに、茶に手を伸ばしては口を湿らせる。

 茶碗を取り上げる衣擦れの音、茶托に戻す微かな音だけが、客間を支配していた。まろやかな甘みの白茶を味わう、心の余裕もない。

 遠珂も、この沈黙に耐えられなかったのだろう。「そうでした」と、やや強引に話題を変えた。


「先日は妹も同席させていただき、ありがとうございました。うるさい妹で申し訳ありません。……ご迷惑でなかったでしょうか?」


 先日の面会の際、彼は顔立ちのよく似た女性を一人伴っていた。


 (あざな)陽葵(ようき)というその少女は、遠珂の妹で、婚家のしきたりや市井(しせい)の生活を学ぶ澄蘭の、補佐に任命されていた。また、彼女自身も兄の婚礼後に他家へ嫁ぐことが決まっているため、特例で年の近い二人がともに淑女教育を受ける形となったのだった。


 確かに彼女は賑やかでよく喋り、初対面の澄蘭は終始圧倒されていた。それでも、こざっぱりとした物言いには好感が持て、後宮という未知の世界に興味津々の様子は微笑ましかった。


「いいえ、お会いできて私も楽しかったです。……実はさっそく、三日後にいらしてくれることになったんです」


 昨日、彼女から都合を伺う文が届き、澄蘭もその日は予定されている宮中行事などもなかったため、快諾したのだった。陽葵の伸びやかな手蹟()を思い出し、澄蘭の口許に笑みが浮かぶ。


 澄蘭の笑顔に安堵したように、ひとつ息を吐いた遠珂は、「調子に乗るようならば、遠慮なく拳を落としてやってください」と眉尻を下げる。笑って頷いた澄蘭に、遠珂は嬉しそうに顔を綻ばせた。




 その後、遠珂は外廷の笑い話や、巷で人気の外来菓子の感想など、当たり障りのない話題を続けた。やがて、面会時間の終了を告げに来た宦官に連れられ、名残惜しそうに部屋を去っていった。


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