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蘭花伝 ──黎明の皇女は天命に抗う──  作者: 冬生 恵
【第一章】日陰に咲く花
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三. 隣国、錚雲(しょううん)

 濡れた布で強く顔を擦られ閉口しているうちに、着ていた衣を慌ただしく剥ぎ取られる。


 養母、(さい) 芙澤(ふたく)を主に(いただ)く、翠流殿(すいりゅうでん)。その一角に与えられた一室で、澄蘭(ちょうらん)は侍女たちのされるがままとなっていた。



(『化粧を直し、衣装を整えずして、殿方の前に出ることは許さない』、か……)



 普段は彼女の冴えない容姿を小馬鹿にしながら、こういう時には必要以上に飾り立てようとする。そんな侍女たちの心情を理解しきれず、けれど咎めることも出来ない澄蘭には、黙って従うほかはなかった。


 室内に置かれた紫檀(したん)の書き物机や椅子、書棚や行李(こうり)には、色鮮やかな布の数々が雑多に広げられている。調度品類は、派手な装飾こそないものの、美しい木目と色合いを誇る品々だ。もう何年も顔を合わせていないが、母方の祖父である(しん) 如松(じょしょう)が彼女のために揃えてくれた、いずれも名品であった。

 祖父の気遣いと情の籠った調度品の上に、侍女たちは「ああでもない」、「こうでもない」と襦裙(じゅくん)を散らかし、それらを澄蘭に着せては脱がしを繰り返していく。そんな侍女たちを横目に、澄蘭はぼんやりと、自身の婚約者に思いを馳せた。





 父帝の命で、澄蘭(ちょうらん)の急な婚約が整えられたのは、一月ほど前のことだった。


 相手は、上級官僚の末席に名を連ねる(おん)家の嫡男で、(あざな)遠珂(えんか)という。公主の降嫁先としては、異例の家格ではあるが、それには父帝の政治的配慮があったらしい。


 若くして官僚の登竜門たる英玄試(えいげんし)の最終試験、玄至試(げんしし)及第(きゅうだい)した彼は、宮中の儀式や外交を担う典部(てんぶ)の下級官僚、忠業(ちゅうぎょう)に任じられていた。

 語学に堪能で博識な上に、物怖じしない性格の遠珂は早々に、外交文書の下書きや翻訳、使節応対時の通訳などで頭角を現したそうだ。


 そして一年ほど前、彼は、隣国との交渉に赴く外交使節団の一員に抜擢された。

 隣国──錚雲(しょううん)は、大礼国(だいれいこく)(おこ)ってからの百年間、頑なに礼との国境を閉ざしていた。けれど、二年前の端明(たんめい)十年、礼の使節団来訪をついに受け入れ、歴史は大きく動いたかに見えた。

 ただし、交易開始に向けての交渉は難航し、遠珂らの前年に派遣されていた第一次使節団は成果を上げられず、早々に帰国の途に就く。

 そして翌年、満を持して送られた第二次使節団の交渉担当官とその補佐に、遠珂は父親ともども選ばれたのだ。




 その理由のひとつには、温家が錚雲に起源を持つ一族であったことも挙げられるだろう。

 礼の前身たる(ぎょう)の支援を得て国をまとめ、発展させた錚雲は、友好の証に、自国の外交官僚を駐在士(ちゅうざいし)として、暁の皇都(こうと)に常駐させていた。駐在士は複数の一族が数年替わりで務めていたが、そのうちの一つが温家の先祖なのだそうだ。

 暁と錚雲の蜜月は長く続いた。

 しかし、やがてその関係には、暗雲が立ち込める。暁王朝の衰退が、大きな原因だった。

 国や官僚による支配ではなく、民による自治を許容した暁王朝は、次第に皇族を凌ぐほどの力や金を持つ者たちに牛耳られ、混乱していった。王朝末期には貧富の差はいっそう激しくなり、干ばつが招いた飢饉(ききん)で国はひどく荒れたという。

 そんな騒動を嫌って、また食糧を求め、多くの暁の民が錚雲に逃げ込んだ。やがてその民が現地で暴徒と化し、錚雲の治安も大いに乱れた。

 ついには錚雲は、暁との国境封鎖を決め、暁からの移民の受け入れも拒絶し、暁皇都の駐在士にも帰国を促した。だが、混乱した両国間で情報は行き届かず、駐在士が祖国に辿り着く前に、国境は閉ざされてしまった。


 その後、この混乱を収めるため蜂起した文官の一族──()氏によって、暁は倒された。

 そして蘇氏は(じゅ)の教えを国の柱とし、皇帝による統治を絶対とする、礼王朝を(おこ)したのだった。


 しかし、王朝が変わってもなお、錚雲(しょううん)は礼との国境を閉ざし続けた。

 礼国の始祖は、取り残された駐在士の一族を憐れみ、「温」の姓と爵位、僅かながらの領地を与えた。それが、温家の始まりだった。

 建国から百年を経た今、温家は礼の古参の一族として多くの家と同様に、官僚として王朝に仕えている。ただ、今回の使節団への抜擢も、大役へのやっかみや、異なる起源を持つ一族への嫌悪からか、冷ややかな視線を温家の父子に向ける者も多かったと聞く。




 しかし、彼らは周囲の予想を覆し、まずは互いの国の余剰品から商いを始める約定を結ぶことに成功した。

 国土の半分を肥沃な農地に覆われた錚雲(しょううん)は、採れ過ぎるあまり価格崩壊を起こしかけていた米を。広大な国土に様々な特産品を持つ(れい)は、寒村で数多(あまた)自生する、自国では需要の乏しい珍しい薬草を。

 昨今、穀倉地帯の気候が安定せず、慢性的な食糧不足に苦しんでいた礼の民は、適正価格の米の流入の決定に驚喜(きょうき)した。


 そして遠珂(えんか)らの帰国後、さっそく一月ほどで、錚雲からの大行列が礼に入国した。彼らが荷馬車に乗せていたのは、一昨年収穫された米の余剰分で、街道沿いの地域の民は大歓声で迎え入れたと聞く。それらの米は順次、災害の発生した地域に送られ、炊き出しなどに活用されたそうだ。


 この功績を称え、父帝は爵位や宮中での役職の贈与を申し出たが、温父子はいずれも「恐れ多い」と固辞したそうだ。以来、代案が出されては消え、二月にわたる話し合いの末、ようやく落ち着いたのが、今回の澄蘭と遠珂の婚約話だったのだ。


 婚約にあたっては、様々な取り決めがなされた。

 澄蘭(ちょうらん)には皇女の身分が残るが、名目的なものであり、遠珂自身は公主の夫、すなわち駙馬(ふば)として扱われないこと。また、二人の子にも、皇族としての地位や、帝位の継承権は認められないこと。結婚後は、澄蘭が公主として賜った封邑(ほうゆう)は国に返され、扶持(ふち)も最低限の額となること。この扶持は澄蘭のためにのみ使われ、澄蘭が天寿を全うしたのちは、その権利をすべて国に返すこと。

 遠珂は「澄蘭が同意してくれるのならば、すべてこのように」と一も二もなく同意し、ようやく二人の婚約は結ばれた。









「……様、澄蘭様!」


 険悪な声に名を呼ばれ、澄蘭ははっと物思いから覚めた。

 いつの間にか室内からは、賑やかであった人の気配が消えていた。一人残っていた侍女──庭園まで澄蘭を呼びに来た彼女だ──の(しか)面と、鏡越しに目が合う。彼女が物思いにふけっている間に、着替えや化粧はすべて終わっていたようだ。

 慌てて詫びを口にする澄蘭に溜息をつき、侍女は澄蘭に、鏡を確認するよう促した。


「仕上がりをご確認ください。衣装も、こちらでよろしいですね?」


 鏡に映る自分の姿は、見慣れない濃い化粧を施され、薄紅(うすべに)(じゅ)蘇芳(すおう)(くん)をまとっている。

 はっきりした色合いの紅を下品に見せず、自然に馴染ませる化粧の腕は見事だし、あえて襟元に余裕を持たせ、堅苦しさを排した着付けも完璧だと思う。(かんざし)など、装飾品の数は押さえ、全体の雰囲気との調和を図る感性もさすがだ。


 けれど、


(やっぱり、私には似合わないな……)


 そう思わずにはいられない。


 こういった装いは、例えば琴華(きんか)のような、美しく華やかな少女にこそ映えるものだろう。


 今更やり直してほしいとも言えず、澄蘭はぎこちなく笑って、「問題ないわ、ありがとう」と答えた。侍女は黙って、憮然(ぶぜん)と頷くのみだ。

 侍女に先導され自室を出て、遠珂(えんか)の待つ客間へ向かう澄蘭の足取りは、泥の中を進んでいるかのように重かった。


 

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