四十. 涙
「……ごめんなさい……、ごめんなさい、温忠業……。遠珂、様……っ」
不躾なほどにまっすぐに連ねられた言葉に、澄蘭の瞳から涙が一筋、零れ落ちた。
ずっと、皇族として、何かを成したいと願っていた。
愛されぬまま没した側妃の娘、存在すら忘れられた皇女として、賜った扶持で細々と生きる自分が不甲斐なかった。何かを成し遂げたいと、ずっと願っていた。
知らないことを学ぶことは純粋に楽しかったが、自身の知性を誇り、それを何かに役立てたいという、邪な気持ちを抱いていたことも事実だった。
故に、澄蘭の知性を持ち上げるような義兄の言葉に、簡単に溺れてしまったのだ。
あの時、遠珂に、穏翊と共に城外に出ることを咎められたとき。
「家族のために生きる平凡な女」になりたくないと思い、遠珂がそれを強いているように感じ、反発してしまった。彼はただ、彼女の身を案じてくれていただけなのに。
ずっと孤独だと感じていた。書物だけが自身の支えで、誰も本当の自分を理解してくれないと。
ずっとずっと、愛されていたのに。
後ろ盾を失くした彼女の生活を、母とは別の妃の養子となった後も、支えてくれた祖父がいた。いつも一人でいる彼女を気にして、声を掛けてくれた義姉がいた。距離に悩みながらも、遠くで見守ってくれている養母がいた。
それなのに、彼らの真意を理解しようともせず、自身が作り出した孤独の海に溺れていた。
それこそが、澄蘭の罪だった。
「ごめんなさい……」
一体、自身の何が、遠珂をそんなに惹きつけたのか。
このような温かな言葉を贈られる資格が、自分にあるのか、澄蘭には理解出来ない。
彼を理解し、同じ感情を返すには、時間が足りなさ過ぎた。勝手に壁を作り、いつまでも家名と役職のみで、素っ気なく呼び続けてしまった。
母が儚くなって以降、祖父とは直接顔を合わせる機会はなかった。
それでも、彼女が生活に不自由することがないようにと、家具や調度品を度々贈ってくれた。遠珂の文も、自身がいらぬ疑いを掛けられることを危ぶめば、破棄しても良かったのに。
姉に託された簪は、礼国の皇帝の娘として生きる彼女が、肌身離さず身に着けていたものだ。そこに込められた思いはどれほどのものであったのか、それを手放す覚悟は如何ほどのものであったのか。彼女が文字通り血の滲むような努力を重ね、父の称賛を受けたのちも、舞の訓練に時間を費やしていのを、ずっと見ていた。
母が丹精を込めて刺繍してくれた婚礼衣装は、本来であればもっと後に行われるはずだった遠珂との婚儀のために、仕立て始めたものだっただろう。心労に弱った身体で、一月という期限の中でこれを作り上げるのに要した労力を思い至り、澄蘭は涙を止めることが出来なくなる。
もっとちゃんと、向き合いたかった。手遅れになる前に、感謝を伝えたかった。
共に過ごす未来を、語り合ってみたかった。
「──う、うぅ……、あぁぁあ……っ」
琴華の簪と芙澤の婚礼衣装、そして遠珂の訳語集と、祖父が守ってくれた彼の文を抱き締めながら、澄蘭は胸を過ぎる後悔に大声で咽び泣く。
そんな彼女を慰めるように、やがて差し始めた朝日が、そっとその背を照らし出していた。




