三十五. 父との対峙(三)
「……そうやって事態を収めた後、お前はどうするつもりか?」
父が自分の意見を否定しなかったこに驚きつつ、澄蘭は答えた。
「噂を聞いています。観月宴に招かれた際、錚雲の特使が、皇族との交流──具体的には父皇様の子である、皇子か皇女の輿入れを申し入れてきたと。
それは真ですね? かつて、暁の間でも度々行われていたと、歴史書にも書かれています」
宴の後、物見高い女官たちがはしゃいでいたのを、澄蘭も遠くから耳にしていた。
現在、適齢期の父帝の子は、数えるほどにしかいない。これを承諾するのか、受けるにしても一体誰が錚雲へ赴くのかと、彼女たちは声高に噂し合っていた。
父帝を伺うように見やると、彼は肩を竦めるようにして頷いた。
「事実である」
「ならば、その役目を、私に果たさせてください」
意を決して澄蘭が告げると、長兄の直謙が露骨に顔を顰めた。父帝も鋭い目付きで澄蘭を見下ろし、冷えた声で言う。
「……それはずいぶんと、お前に都合の良い話だな?」
肝を冷やしながらも、澄蘭は涼しげな顔を装って応じた。
「そうでしょうか? 婚姻に適した年齢の独身の皇族は、王雅妃様のお子の穏翊様と琴華様、私と、辛うじて班睿妃のお子の静媚様。名家たる王家と班家の子を異国へ遣ることは出来ず、私は温家の餌としてしまっていた。
──今なら、私を使うのに支障はないはず」
そして澄蘭は、今告げた内容を錚雲の言葉で言い直した。
流暢に紡がれた異国の言葉に、二人の義兄が息を呑んでこちらを凝視してる。父は僅かに眉間に皺を寄せ、沈黙を貫くのみ。
「お聞きの通り、私は錚雲の言葉を解します。お望みであれば、言葉が分からぬ振りで錚雲の情報を探ることも、偽の情報であちらを攪乱することも出来ましょう」
「……ほう?」
首を傾げる父帝に、澄蘭はいかにも自信ありげに見えるように、口元を釣り上げてみせた。
「温家を陥れた卑劣な罠を見抜いた、偉大な皇帝陛下。亡くなった婚約者の任務を受け継いで、両国の懸け橋となりたいと訴える娘の言葉を聞き、それを許した寛大な父。
そんな父皇様を、民は尊崇し、より一層国のために励むでしょう。落としどころとしては、十分ではないでしょうか?」
もちろん澄蘭には、両国の不和を工作する気はなかった。
彼女が真に望むものは、両国の長く続く平和的交流。自国の安定を望み、隣国との間を取り持った立役者としての、温家の名声だけだ。
挑むように自身を見上げる澄蘭を、黙って見下ろしていた父帝は、不意にくつくつと声を上げて笑い始めた。
呆気にとられる二人の息子たちを尻目に、ひとしきり笑い転げた後、父帝は玉座に預けていた背を起こした。
「……良いだろう。ただし、事態の収拾案については、筋立てがまだまだ荒い。影廠に命じて上手く落着させよう」
「父皇……!」
「直謙、不満か?」
父帝は自身の後継者に定めた息子を横目で睨み、その言葉を封じる。そうして、内心、安堵に胸を撫でおろしている澄蘭に視線を戻した。
父は一切の情を排した顔と声で、冷淡に告げる。
「──ただし、隣国で不審な動きを見せれば、即刻処分する。覚えておけ」
氷で作った鋭利な刃物を喉元に突きつけられた心地になり、澄蘭は思わず音を立てて唾を飲み込んだ。
そんな娘の反応に満足したように、小さく笑みを零した父帝は、懐から何かを取り出して放り投げた。その何かは、床に指を突いたままであった澄蘭の腕に当たり、音を立てて地に落ちる。
澄蘭は訝しげに、床に落ちたそれを見つめる。
「これは……?」
「温 璟の遺品だ」
「──!」
息を飲む澄蘭を無表情に見やり、父帝は不意に遠い目をして言った。
「錚雲の言葉の、訳語集のようだな。取り調べの初日に、後生大事に抱えていたそれを、玄以鋭が取り上げたそうだ。……最初に聞いた時には、『温父子は錚雲の間諜であり、隣国の手引きで今回の事件を起こした』という筋書きに変更しようかとも思ったのだがな」
当面はあの国から入る米が必要だ、と飄々と語る父帝を、澄蘭は呆けたように見上げた。顎で促され、震える手でその訳語集を取り上げる。
遠珂が錚雲への派遣時に持参したのであろうそれは、表紙に皺が寄り、頁がよれている箇所もある。呆然と、父帝と訳語集の間で視線を彷徨わせる澄蘭に構わず、父帝は声を張り上げて、部屋の外に控えていた影廠を呼び寄せた。
寸刻ののち、澄蘭をこの部屋に連れてきた、色黒の肌に薄い色の瞳の宦官が姿を見せる。彼は整った容貌に微かに緊張を浮かべながら、音も立てずに澄蘭の脇で跪いた。平伏する宦官に、父帝は感情の滲まない声で淡々と、そして矢継ぎ早に告げた。
「典部の李忠勝へ話を繋ぐよう、我が側近の砂掌太監へ伝えよ。錚雲へは、第二皇女の澄蘭を遣わす。交渉のため再び来京し、市街に滞在させているあちらの特使へも、急ぎ話を通させろ。
糾正院の卒正監へは、近日に予定していた温家の傍系の処刑は中止するように命じよ」
下された命令の数々に驚いたように身動ぎする黒衣の宦官を、冷ややかに見下ろし、父帝は「行け」と短く命じる。ぐっと深く頭を下げ、彼は素早く踵を返した。
澄蘭に視線を戻した父帝は、先ほどの宦官に命じたものと同じ、冷え切った声音で告げた。
「第二皇女、昭瑶に命ずる。こたびの一連の騒動の責任を取り、冷宮は北果殿にて謹慎せよ。出立までは、最低限の側用人を新たに見繕い、派遣する。祖父と、養母の崔媛儀へは、一度だけ文を出すことを許可する。……以上だ」
一切の反論を許さず言い切った父帝は、玉座から立ち上がり、衣を翻して背後へ向き直った。二人の息子を従え、威風堂々とした足取りで部屋を出て行く。
その姿を、地面に伏せながら見送った澄蘭は、物音が途絶えた頃、そろそろと身体を起こした。そばに置いていた訳語集を再び震える手で取り上げ、胸に強く掻き抱く。
目を伏せ、澄蘭は静かに息を零した。
(今は、これで良い。彼らが皇族暗殺を企てた国賊にならずに済むなら、それで……。謀略に負けた悲劇の一族という不名誉は、私が、礼と錚雲の関係を確立させた後に、必ず雪いでみせる)




