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蘭花伝 ──黎明の皇女は天命に抗う──  作者: 冬生 恵
【第四章】黎明(れいめい)の空
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三十五. 父との対峙(三)

「……そうやって事態を収めた後、お前はどうするつもりか?」


 父が自分の意見を否定しなかったこに驚きつつ、澄蘭(ちょうらん)は答えた。


「噂を聞いています。観月宴(かんげつえん)に招かれた際、錚雲(しょううん)の特使が、皇族との交流──具体的には父皇(ちちうえ)様の子である、皇子か皇女の輿入(こしい)れを申し入れてきたと。

それは真ですね? かつて、(ぎょう)の間でも度々行われていたと、歴史書にも書かれています」


 宴の後、物見高い女官たちがはしゃいでいたのを、澄蘭も遠くから耳にしていた。

 現在、適齢期の父帝の子は、数えるほどにしかいない。これを承諾するのか、受けるにしても一体誰が錚雲へ赴くのかと、彼女たちは声高に噂し合っていた。

 父帝を伺うように見やると、彼は肩を(すく)めるようにして頷いた。


「事実である」

「ならば、その役目を、私に果たさせてください」


 意を決して澄蘭が告げると、長兄の直謙(ちょくけん)が露骨に顔を(ひそ)めた。父帝も鋭い目付きで澄蘭を見下ろし、冷えた声で言う。


「……それはずいぶんと、お前に都合の良い話だな?」


 肝を冷やしながらも、澄蘭は涼しげな顔を装って応じた。


「そうでしょうか? 婚姻に適した年齢の独身の皇族は、(おう)雅妃(がひ)様のお子の穏翊(おんよく)様と琴華(きんか)様、私と、辛うじて(はん)睿妃(えいひ)のお子の静媚(せいび)様。名家たる王家と班家の子を異国へ()ることは出来ず、私は温家の(えさ)としてしまっていた。

──今なら、私を使うのに支障はないはず」


 そして澄蘭は、今告げた内容を錚雲の言葉で言い直した。

 流暢に紡がれた異国の言葉に、二人の義兄が息を呑んでこちらを凝視してる。父は僅かに眉間に皺を寄せ、沈黙を貫くのみ。


「お聞きの通り、私は錚雲の言葉を解します。お望みであれば、言葉が分からぬ振りで錚雲の情報を探ることも、偽の情報であちらを攪乱(かくらん)することも出来ましょう」

「……ほう?」


 首を傾げる父帝に、澄蘭はいかにも自信ありげに見えるように、口元を釣り上げてみせた。


「温家を陥れた卑劣な罠を見抜いた、偉大な皇帝陛下。亡くなった婚約者の任務を受け()いで、両国の懸け橋となりたいと訴える娘の言葉を聞き、それを許した寛大な父。

そんな父皇(ちちうえ)様を、民は尊崇(そんすう)し、より一層国のために励むでしょう。落としどころとしては、十分ではないでしょうか?」


 もちろん澄蘭には、両国の不和を工作する気はなかった。


 彼女が真に望むものは、両国の長く続く平和的交流。自国の安定を望み、隣国との間を取り持った立役者としての、温家の名声だけだ。







 挑むように自身を見上げる澄蘭(ちょうらん)を、黙って見下ろしていた父帝は、不意にくつくつと声を上げて笑い始めた。

 呆気にとられる二人の息子たちを尻目に、ひとしきり笑い転げた後、父帝は玉座に預けていた背を起こした。


「……良いだろう。ただし、事態の収拾案については、筋立てがまだまだ荒い。影廠(えいしょう)に命じて上手く落着させよう」

父皇(ちちうえ)……!」

直謙(ちょくけん)、不満か?」


 父帝は自身の後継者に定めた息子を横目で睨み、その言葉を封じる。そうして、内心、安堵に胸を撫でおろしている澄蘭に視線を戻した。

 父は一切の情を排した顔と声で、冷淡に告げる。


「──ただし、隣国で不審な動きを見せれば、即刻処分する。覚えておけ」


 氷で作った鋭利な刃物を喉元に突きつけられた心地になり、澄蘭は思わず音を立てて唾を飲み込んだ。

 そんな娘の反応に満足したように、小さく笑みを零した父帝は、懐から何かを取り出して放り投げた。その何かは、床に指を突いたままであった澄蘭の腕に当たり、音を立てて地に落ちる。

 澄蘭は(いぶか)しげに、床に落ちたそれを見つめる。


「これは……?」

(おん) (けい)の遺品だ」

「──!」


 息を飲む澄蘭を無表情に見やり、父帝は不意に遠い目をして言った。


錚雲(しょううん)の言葉の、訳語集のようだな。取り調べの初日に、後生大事に抱えていたそれを、玄以鋭(げんいえい)が取り上げたそうだ。……最初に聞いた時には、『温父子は錚雲の間諜(かんちょう)であり、隣国の手引きで今回の事件を起こした』という筋書きに変更しようかとも思ったのだがな」


 当面はあの国から入る米が必要だ、と飄々(ひょうひょう)と語る父帝を、澄蘭は呆けたように見上げた。顎で促され、震える手でその訳語集を取り上げる。

 遠珂(えんか)が錚雲への派遣時に持参したのであろうそれは、表紙に皺が寄り、頁がよれている箇所もある。呆然と、父帝と訳語集の間で視線を彷徨(さまよ)わせる澄蘭に構わず、父帝は声を張り上げて、部屋の外に控えていた影廠(えいしょう)を呼び寄せた。

 寸刻ののち、澄蘭をこの部屋に連れてきた、色黒の肌に薄い色の瞳の宦官(かんがん)が姿を見せる。彼は整った容貌に微かに緊張を浮かべながら、音も立てずに澄蘭の脇で(ひざま)いた。平伏する宦官に、父帝は感情の滲まない声で淡々と、そして矢継ぎ早に告げた。


典部(てんぶ)()忠勝(ちゅうじょう)へ話を繋ぐよう、我が側近の()掌太監(しょうたいかん)へ伝えよ。錚雲へは、第二皇女の澄蘭を(つか)わす。交渉のため再び来京し、市街に滞在させているあちらの特使へも、急ぎ話を通させろ。

糾正院(きゅうせいいん)(そつ)正監(せいかん)へは、近日に予定していた温家の傍系の処刑は中止するように命じよ」


 下された命令の数々に驚いたように身動(みじろ)ぎする黒衣の宦官を、冷ややかに見下ろし、父帝は「行け」と短く命じる。ぐっと深く頭を下げ、彼は素早く(きびす)を返した。

 澄蘭に視線を戻した父帝は、先ほどの宦官に命じたものと同じ、冷え切った声音で告げた。


「第二皇女、昭瑶(しょうよう)に命ずる。こたびの一連の騒動の責任を取り、冷宮(れいぐん)北果殿(ほくかでん)にて謹慎せよ。出立(しゅったつ)までは、最低限の側用人を新たに見繕(みつくろ)い、派遣する。祖父と、養母の(さい)媛儀(えんぎ)へは、一度だけ文を出すことを許可する。……以上だ」


 一切の反論を許さず言い切った父帝は、玉座から立ち上がり、衣を翻して背後へ向き直った。二人の息子を従え、威風堂々(いふうどうどう)とした足取りで部屋を出て行く。

 その姿を、地面に伏せながら見送った澄蘭は、物音が途絶えた頃、そろそろと身体を起こした。そばに置いていた訳語集を再び震える手で取り上げ、胸に強く掻き抱く。

 目を伏せ、澄蘭は静かに息を零した。




(今は、これで良い。彼らが皇族暗殺を企てた国賊(こくぞく)にならずに済むなら、それで……。謀略(ぼうりゃく)に負けた悲劇の一族という不名誉は、私が、礼と錚雲の関係を確立させた後に、必ず(そそ)いでみせる)





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