二十九. 目覚めの朝
(私は、何をしてきたのだろう……。自分が見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞き、向けられた思いに気付こうともしなかった。賢いつもりで策略に踊らされ、ひとつの家族を滅茶苦茶にした……)
温家を潰す策略に巻き込まれたのは、自分の方だった――などとは、決して口に出すことは出来なかった。
自分が、義兄達の思惑に気づいていれば。穏翊が急に親しげに接してきた、その意図を疑ってさえいれば。少なくともこの時機に、彼らが命を落とすことはなかった。陽葵が、こんな形で家族や未来を失うことも。
そして事態が発覚した後も、真実を受け止められず、義兄の『裏切り』に囚われ、自分の殻に閉じこもった。
遠珂の死を悼むこともせず、周囲の人々を思いやる余裕もなかった。
澄蘭は、自身の浅はかさに、薄情さに愕然とする。
母方の祖父の如松や、養母の芙澤、彼女の息子である幼い義弟はどうなったのだろう。陽葵と同じように事態に巻き込まれ、痛く苦しい思いをしていないだろうか。
「皇太子位に野心を見せた澄蘭を支持した」と、知らぬうちに巻き込まれていたあの裏路地の民たちは、何事もなく過ごせているのか。
忠誠心を持って仕えてくれていたとは言い難いけれど、侍女たちも無事なのか。
今の今まで、自分を襲った不幸にのみ耽溺し、彼らの現況に思い至ることもなかった。
陽葵の怒りと悲憤を受け、澄蘭はようやく自己憐憫と呆然自失から目を覚ました。
衣擦れの音を耳にした陽葵が、そろりと身を起こす。彼女が息を飲む空気を、澄蘭は感じた。
澄蘭は両膝をつき、無言で地面に額づいていた。
「……な……っ」
絶句する陽葵に構わず、澄蘭はひたすら頭を下げ続ける。
こんなことで、彼女の罪──無知と、肥大した承認欲求を償えるとは思っていない。
それでも、彼女は頭を下げずには居られなかった。自身の罪をその総身に刻み込むように。
陽葵が格子を殴り付ける鈍い音が、澄蘭の耳を打つ。
「今更詫びられたって……、どうにもならないわよぉ……ッ」
涙声の陽葵にどれほど罵られようと、嫌悪のこもった視線を向けられようと、澄蘭はもう身体を震わせることはなかった。
陽葵はしばらく荒い呼吸を繰り返していたが、やがて、静まり返った牢獄に、彼女の悲鳴のような泣き声が響き渡る。
赤子のように大声を上げる陽葵の嗚咽を、澄蘭は黙って頭を下げたまま受け止め続けた。
赦せないと思った。
腹の底から怒りが沸き上がり、澄蘭の視界が真っ赤に染まる。
勝手な理屈で遠珂たちの名誉や生命を奪ったことを、彼らの家族の人生を滅茶苦茶にしたことを。懸命に日々を生きる民を、彼らの与り知らぬところで巻き込み、その希望を弄んだことを。
温父子の抹殺を命じた父帝を、私怨を身勝手にぶつけた穏翊を。
そして微かな違和感を見逃し、易々と彼らの思惑に乗せられた自分自身を、澄蘭は赦せないと心から思った。
失われてしまった生命は、どれほど嘆いても悔やんでも、二度と戻ることはない。その圧倒的な罪悪感は、澄蘭を今にも押し潰そうとする。
それでも。
(せめて、残された命だけは、絶対に守り抜く。失われた温家の尊厳は、何をしてでも取り戻す。全力で抗ってみせる……!)
深い泥沼のような絶望の底で、いつか『義妹』と呼ぶはずだった少女の啜り泣きを聞きながら、澄蘭は自身に固く誓った。
泣き疲れた陽葵が、気絶するように眠りに落ちた後も、澄蘭は地に伏せ続けた。陽葵の寝息に耳を澄ませながら、一人、物思いに耽る。
やがて太陽が東の空に姿を見せ始める頃、澄蘭も意識を手放していた。
東の天井に大きく取られた明り取りから、冬の微かな日差しが差し込んでくる。
朝の訪れは尋問の、拷問の再開を意味する。囚人を心理的に追い詰めるために、礼国内の多くの牢獄は、このような構造をしていた。
頬を照らす弱々しい明かりに、澄蘭はふっと目を覚ました。
二、三度瞬き、澄蘭は地面に手をついてゆっくりと身体を起こす。地面に額づいたまま、いつの間にか横に倒れて眠っていたため、全身が酷く強張っていた。爪が食い込み破れた掌も、鈍い痛みを持ったままだ。
冬の凍てつくような冷気に、澄蘭の唇から漏れる呼吸が白くなる。視界の向こうで倒れ伏す陽葵に気付き、息を詰めたが、彼女の口元からも白い呼気が上っていることを見て取り、ほっと肩の力を抜く。
格子を両手で掴み、しばらく陽葵の姿を見守っていた澄蘭は、牢獄に響く足音に視線を動かした。




