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蘭花伝 ──黎明の皇女は天命に抗う──  作者: 冬生 恵
【第三章】闇に堕ちる
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二十五. 真実(二)

 澄蘭(ちょうらん)は粗末な椅子に身を縮めて座り、両膝の上で拳を握りしめ、力無く俯いている。

 無言で肩を震わせている彼女を尻目に、「何から話そうかな」と、まるで噂話に興じるように気軽に、穏翊(おんよく)は口火を開いた。


「順を追っていくのが分かりやすいか。……そうだね、始まりは、(おん)家の父子(おやこ)錚雲(しょううん)に、(わがくに)との交易を受け入れさせたことからだった」


  礼王朝成立直後から、始祖(しそ)は錚雲に、前王朝末期から途切れた交易の再開に向け、使者を送り続けていた。

 しかし、前王朝末期の騒動の余波がもたらした混乱の記憶が根強いかの国は、不定期に現れる礼の使者を、(かたく)なに拒み続けた。


 前王朝時代に錚雲から流入した、独特の色合いに染められた布や珍しい香辛料、美しい宝石類の存在は、新しく建った(れい)に暮らす人々の記憶にも、強く刻まれていた。

 また、かつて錚雲の豊かな農業地帯で採れ、(ぎょう)運び込まれていた米や野菜は、農作に向かない暁の北西部の民の食卓の支えでもあった。


 国防の要でもあるその地域は、礼王朝に移行した後も、変わらず食糧問題に直面し続けた。


 錚雲(しょううん)が礼との交易に応じないため、食糧を賄う手段を激減させ、国が大規模な災害に襲われた際には、ひどい飢饉に見舞われる。

 歴代皇帝は、錚雲以外の国との交易や、農地改革などに取り組んできたが、度々起こる水害に北西部の田畑は容易(たやす)く流され、事態は一向に改善の兆しを見せなかった。


 気が付けば百年という長い年月が、両国の間に重く横たわっていた。






  皇太子時代から食糧問題解決に力を注ぐ、第五代皇帝・冽然(れつぜん)は、即位に伴い、外交を司る典部(てんぶ)忠勝(ちゅうじょう)の職に、自身の教育係でもあった名門出身の(ぎょう)氏を指名した。そして、不定期だった錚雲(しょううん)への使節団派遣も、毎年とすることを決めた。


 行氏は周囲の期待を一心に受けたが、しかし成果ははかばかしくなかった。


 あろうことか、行氏は、使節団に与えられた予算を内々に着服し、錚雲へ派遣する振りだけを繰り返していた。

 挙句の果てには、錚雲以外の国々からの賄賂に味をしめ、国の機密事項さえも売り渡そうとしていた。


 幸い、重大な機密が漏れる前に事態は発覚し、皇帝の逆鱗に触れた行氏には、一族誅滅(ちゅうめつ)の沙汰が下された。

 その後、新たな典部(てんぶ)忠勝(ちゅうじょう)のもとで使節団派遣が再開され、今年に入ってついに、(おん)家が頑なな錚雲(しょううん)の国境を開かせたのだ。


父皇(ちちうえ)もまさか、温家がすぐに成果を上げると思っていなかった。最初は純粋に喜んでおられたよ。

……でも、時期が悪かった。ここ数年頻発する災害で、我が国の作物の収穫量は年々落ちている。父皇だからこそ、何とか今の状態に留めているが、それでも国全体に食糧不安は広まりつつある。

錚雲との交易に期待を寄せる民や、父皇の治世に不満を持つ者たちが、温家の功績をこぞって触れ回った」


  このままでは、温家を担ぎ上げ、国を揺るがそうとする者が現れかねない。


 父帝は何よりもそれを恐れたのだと、穏翊は苦い笑みを浮かべて言った。


「当初は温家に財や名誉を与え、こちらに引き込もうとした。けれど、彼らは呆れるほどに愚直だった。ただの一官僚として、国に仕えることだけを望んだんだ。

……面会の場で、父親の方は沈黙を貫いていたけど、息子が言ったそうだよ。『食糧問題の解決を、他国に依存してはならない。錚雲からの米はあくまで繋ぎとして、かの国から灌漑(かんがい)の改良方法や強い稲の育て方を学び、発展させ、真の意味での解決に微力を尽くしたい』と。

──彼らの存在を危険視したのは、その時からだ」


  真摯(しんし)に訴えたであろう遠珂(えんか)の姿が、澄蘭(ちょうらん)には容易に想像出来た。

 真っ直ぐに背を伸ばし、臆することなく父帝を見据える彼を脳裏に描き、澄蘭はぎゅっと目を閉じる。


(温忠業……)


  澄蘭を一瞥(いちべつ)し、竹筒を手に取った穏翊は、喉を鳴らして水を飲む。乱雑に口元を拭い竹筒を机に戻して、穏翊(おんよく)は再び語り始めた。


「制御出来ないのであれば、滅ぼすしかなかった。父皇(ちちうえ)義兄上(あにうえ)と私に、策を献じるよう命じられた」


  単に存在を消すだけであれば、方法はいくらでもある。

 ただ、今回は制約が多かった。民の過剰な同情をひいてはならず、錚雲(しょううん)との交易に物言いがついても困る。あまり悠長に臨んで、民の蜂起を引き起こしては本末転倒だ。


 初め、敢えて二人を権力の座につけて、その後罠に()め、処刑する手を考えた。

 だが、異国の民を祖に持つ温家を認めない貴族は多く、現実的ではない。降って沸いた財産に、身を持ち崩すような人物にも思われなかった。

 第一、財も地位も名誉も、本人達から明確に拒絶されてしまっている。


 次に手っ取り早いのは、皇族への危害企図だろう。しかし、上級官僚の末席程度の家系の者が、いきなり皇族に手をかけるのも不自然だ。


  そこで思いついたのが、(おん)家の人間を皇族の伴侶(はんりょ)とし、何らかの事件を起こさせる案だったと、穏翊は得意げに語る。


「途中までは温家の娘を父皇の後宮に入れるか、義兄上か私の側室にすることも考えたけれどね。騒動に巻き込まれて、私たちが評判を落とすような事態は万が一にも避けたい。


……そこで目をつけたのが澄蘭、君だよ」


  親しげに名を呼ばれ、澄蘭は怯えた顔で義兄を見上げる。彼は動物でも愛でるような目で澄蘭を見下ろし、清々しく笑った。


「自分を取り巻く環境に鬱々(うつうつ)としている君が、現状を打破しようと無謀な行動に出る。そんな君に惚れた(おん)忠業(ちゅうぎょう)と、密かに権力への執着を抱く温統業(とうぎょう)結託(けったく)して、皇太子を害そうとしたが、早々と失敗して処刑された。

清廉潔白(せいれんけっぱく)な官僚を夢見る民は幻滅するだろうし、我々が不評を買う恐れもない。そして女が権力を握るなど、誰も望まない。……完璧な策だと思わないかい?」


  得意げなその言葉に、澄蘭は頭の中を引っ掻き回されるような不快と混乱に陥った。


 彼女が長年密かに憧れ、ここ数ヶ月親しく付き合ってきた義兄──穏やかで、紳士的で、誰にも言えない悩みに密かに苦しむ心優しい青年の姿は、どこにもない。


 澄蘭は、どうしようもない虚無感に襲われる。


 あれはすべて、彼の演技だったのか。

 露悪的(ろあくてき)で、どこか擦れた今の言動こそが、彼の本性なのだろうか。


 澄蘭は無言で項垂れた。








  喉を鳴らして低く笑った穏翊(おんよく)は、頭の後ろで指を組んで大きく身体を反らした。ギッ、ギッと、(きし)む椅子を、敢えて鳴らして遊んでいる。俯いたまま反応を示さない澄蘭(ちょうらん)を、つまらなそうに見やったあと、穏翊は彼女をいたぶるように、甘やかな微笑を浮かべてみせた。


「事が()った後、君なら温家ともども(ほうむ)り去っても、何の問題もない。飢えた貧民同様、餌を与えれば簡単に動かせることも、分かっていた。

……ああ、あの父子(おやこ)が君の関与を含めて自白したというのは、私たちが玄以鋭(げんいえい)に命じて流布させた嘘だよ」


 歌うように告げたあと、穏翊はいっそ優しげにさえ見える笑顔で、澄蘭の顔を覗き込んだ。






「本当にありがとう、澄蘭。(にく)い温家を、君のお陰で始末できる」





  それは皮肉でもなんでもなく、彼の本心からの言葉に思えた。


  誰かに必要とされたい、自分の存在を肯定されたいと、生母を亡くして以降の孤独な人生の中で、澄蘭はずっと願って来た。けれど、決してこんな形を望んだわけではない。誰かの死という惨たらしい結果をもたらすために、自分が道化のように利用されることも。


  『憎い温家』と、今しがた彼は言った。こんな残酷な方法を選んだのには、何かもっと深い理由があるのだろうか。澄蘭は震える唇を懸命に開き、強ばる喉から声を絞り出す。


 理由を知らなくては、納得出来る答えを得なくては、気が狂ってしまいそうだった。


「何故……そうまでして、温家を滅ぼそうなどと……。憎い温家とは……いったい……」


 その瞬間、穏翊の笑みが酷薄な色を帯びる。


 澄蘭は自分の失言を自覚し、後悔したが、時すでに遅しだ。穏翊は形の良い顎を上げ、傲岸(ごうがん)に澄蘭を見下ろした。





「……あいつらが、私の婚約者になるはずだった女性を、死なせたからさ」





  その声のあまりの冷ややかさに、不自然なほどの抑揚のなさに、澄蘭は(すく)み上がった。

 そこに秘められていたのは、途方もない深い怒りと恨み、怨念とすら言えるほどの強い感情だ。僅かに眇められた穏翊の瞳は光を失い、底の見えない井戸の中の様に(くら)く澱んでいる。


 彼の実妹である琴華(きんか)の言葉を、澄蘭は唐突に思い出す。


 彼は感情の(こわ)い人間だと。深入りしてはならないと。


 真っ青になった唇を震わせる澄蘭に、穏翊は穏やかにすら見える笑みを張り付けて、口を開いた。

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