二十四. 真実(一)
ガタン。
狭い部屋に椅子を引く音が響き、澄蘭はハッと息を飲んで顔を上げた。先程まで取り調べの宦官が座っていた対面の椅子に、穏翊が姿勢よく腰掛けている。
澄蘭は目を見張った。
気が付けば狭い室内には、彼女たち義兄妹以外の姿はない。穏翊はいつも通り、見る人を虜にするような美しい笑みを浮かべている。
状況が理解出来ず混乱した澄蘭は、思わず目の前の義兄の名を呼んでいた。
「……穏翊、お義兄様……?」
掠れた彼女の声に、穏翊は僅かに首を傾げた。
「──気安く呼ばないでくれるかな」
穏やかな表情にそぐわない、冷たい声で吐き捨てられ、澄蘭ははじめ、それが義兄の口から発せられた言葉だと受け止められなかった。
目を見開いて固まる彼女に、穏翊は微笑を浮かべたまま首を傾げている。ただし、その瞳はゾッとするほど冷ややかで、澄蘭の全身が粟立った。
その目は、手習いを上手くこなせず項垂れる澄蘭を見る侍女たちのものと、同じ色をしていた。
あるいは、市場で見た、みすぼらしく汚れた衣を纏い裏路地にしゃがみ込む貧民たちを、遠巻きに眺めている民たちのような。
義兄が何故そんな目で自分を見るのか理解出来ず、澄蘭は縋りつくように、彼に向かって震える手を伸ばす。
しかし虫でも払い除けるように容赦なく、穏翊はその手を叩き落とした。
「ああ、やっとくだらない兄妹ごっこを終わりに出来る。……まったく、君みたいに冴えない愚図と行動を共にするなんて、苦痛でしかなかったよ。薄汚い貧民たちに、近寄られるのもね」
心底嫌そうに言った穏翊は、粗雑な手つきで冠を外し机に置き、姿勢を崩して乱暴に足を組んだ。その足が二人の間の机を蹴り上げ、響いた音と振動に、澄蘭はビクッと肩を竦める。
だらしなく身体を丸め、右肘を机につき手のひらに顎を乗せた穏翊は、怯えた表情で彼の様子をうかがう澄蘭に歪んだ笑みを向けた。
「温家も君も、拘束当初にさっさと毒を飲ませるか、夜陰に乗じて首を括らせるか、考えてたんだけどね。あまり事を急いて、周囲の不審を招いても困るし、君も一応皇族の端くれだから、ちゃんと取り調べを行ったという芝居は必要だった。
……父皇の温情に感謝するんだね」
「なにを……おっしゃっているのか……」
「は? まさかまだ理解出来てないの?」
嘲るように鼻で笑った穏翊は、組んでいた足を解き、両肘を机について身を乗り出して、澄蘭に顔を近づける。
息がかかりそうな距離にある、その見慣れた美しい顔には、蝶の羽根をむしる子どものような、見慣れない、無邪気で残虐な笑みが浮かんでいた。
「君と温忠業の婚約も、私が君に近づいたのも、一緒に町に降りたのも、今回のこの事件も。
──全ては温家を滅ぼすため、父皇と、直謙義兄上、そして私が練った策略だったんだよ」
びしりと音を立て、空間が凍り付いたように、澄蘭には感じられた。
室内に吹き込む冬月の風鳴り音も、相変わらず微かに聞こえていた別室で聴取中と思われる女性の怒声も、全てが掻き消え、自身の忙しない呼吸音だけが耳を支配する。
血の気が引いた手足は痺れ、氷のように冷たいのに、額には汗が滲み、そのうちの一つが目の際を伝い落ちる。
澄蘭の反応を満足げに見遣り、穏翊は身体を戻した。背もたれに全身を預け、椅子に深く腰掛け直す。
「……君は面白いぐらいにこちらの思惑通りに動いてくれたし。まあ、褒美として、一通り教えてあげようか」
そう飄々と言い、穏翊はおもむろに懐から取り出した竹筒の蓋を外し、片手で乱暴に呷った。澄蘭がその姿をじっと見つめていると、どう誤解したものか、「ただの水だよ、私は酒を飲めないから」と、にこりと笑いかけてくる。その笑顔は、町歩き中に彼がよく見せたそのもので、澄蘭は全身を戦慄かせた。
窓越しに部屋に差し込む日差しが、少し高さを増していた。




