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蘭花伝 ──黎明の皇女は天命に抗う──  作者: 冬生 恵
【第二章】揺れる水面
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十七. 理解し合えぬふたり

 その日はいつもと違い、澄蘭(ちょうらん)穏翊(おんよく)と、城下町で待ち合わせの約束をしていた。


 年の終わりの腊月(らつげつ)の祝宴の打ち合わせの関係で、城下に出ている穏翊は、そのまま着替えて市場の視察を秘密裏に行う予定だと言う。

 同行を申し出た澄蘭は、いつもの乳母から冬用の衣を受け取り、こっそりと着替えて城外へと赴こうとしていた。


 いつも通り休暇で市中に出向く女官を装うため、腰から下げた佩玉(はいぎょく)を、澄蘭は二度三度と確かめる。

 初めて町に出る際に穏翊からもらった飾りは、内廷(ないてい)の女官の身分を示すものだ。

 いつもは内廷を出てしまえさえすれは、あとは穏翊が導いてくれていたが、今日は一人だ。

 女性一人で南端門――宮城(きゅうじょう)と市井の境にある門を通行しようとする際、特に内廷女官の場合は、この身分証をじっくりと(あらた)められると聞く。初めて一人で宮城を出る緊張に、澄蘭の心臓が音を立てて脈打っていた。


 澄蘭が俯き加減に、女官用の通路に足を踏み入れようとした、その瞬間――


 不意に、背後から腕を引かれた。


「――っ!?」


 突然の衝撃に、澄蘭は息を飲む。


 成すすべもなく物陰に引きずり込まれた澄蘭は、恐怖にひきつった顔で背後を振り返った。使われなくなり人気もない井戸の脇、そこにあまりにも意外な顔を見つけ、澄蘭は目を見開いた。


「……琴華(きんか)様?」

「そんな恰好で何をしているのよ、澄蘭!」


 小声で叫ぶのは、冬用の厚手の衣に身を包んだ琴華だった。

 酒宴での仲違いの後、ろくに顔を合わせていなかった義姉の険しい表情に、澄蘭は黙って視線を逸らす。答えなければ離さないと言わんばかりに力を込められた手に、澄蘭は顔を歪めて口を開いた。


「……琴華様には関係のないことです」

「澄蘭!」


 雷の様に鋭い声に打たれ、澄蘭は思わず肩を揺らす。いつになく厳しい表情を浮かべた琴華は、口元をわななかせて澄蘭を睨みつけた。

 その剣幕に観念し、澄蘭は重い口を開く。


「……町に降りるつもりでした」


 苦々しく告げたその答えに、琴華は血相を変えて小声で叫んだ。


「何を考えてるのよ! それにその佩玉……! 許可のない外出、身分の偽りは懲罰の対象よ⁉」

「存在を覚えているかも怪しい皇女の醜聞など、父皇(ちちうえ)様が気にされることもないかと」

貴女(あなた)……っ」


 開き直ったような澄蘭の物言いに、琴華は理解しがたいとばかりに愕然(がくぜん)とした表情を浮かべている。

 そして、次の瞬間、何かに思い至ったように彼女は息を飲んだ。


「まさか……これが初めてではないのね? 誘ったのは、穏翊(おんよく)兄様(にいさま)?」


 琴華の口から零れた名前に、澄蘭は思わず肩を震わせる。

 琴華が頭痛を堪えるように、空いた手を額に当てて溜息をついた。


「昔から兄様は、時折近侍を連れて、密かに城下を探索していたの。誰かに迷惑をかけることがなければ、お父様もお母様も、『たまの気晴らしになるのであれば』と黙認されていたけど……」


 貴女を巻き込んでいたなんて、と、苦虫を噛み殺したような表情で琴華は俯く。

 澄蘭は初めて聞かされた事実に目を見開きながら、汗をかく(てのひら)を握り締めていた。

 琴華は何度か頭を振り、澄蘭を真剣な面持ちで見詰めた。


「――澄蘭、悪いことは言わない。自室に戻りなさい。兄様には私が、央廷(おうてい)(つか)いを出しておく。『これ以上、悪い遊びに大事な義妹(いもうと)を巻き込まないで』って」

「……嫌です」

「澄蘭!」


 かっと頬を赤らめ、澄蘭を()とうと振りかざされた琴華の手を掴み、澄蘭は義姉を睨みつけた。

 言い合う二人を、琴華が女官に珍しく声を荒げていると判断したのか、通りがかった宦官や女官たちが遠巻きに注視している。らしくもなく舌打ちをし、琴華は人気のない楓光園(ふうこうえん)──澄蘭がいつも読書に利用する寂れた庭園へ、彼女を引き込んだ。







 くすんだ葉を風にざわめかせる寂れた庭園で、琴華(きんか)の手を振りほどき、澄蘭(ちょうらん)は声を潜めて言った。


「遊びではありません! 穏翊(おんよく)義兄様(にいさま)は民のことを憂い、彼らの生活を理解するために行動されています。私はただその姿に感銘を受けて……!」

「だからと言って、貴女までが危険を冒す必要がどこにあるの!?」


 真剣な表情で訴えた澄蘭に、しかし琴華は、怒りが冷めないといった表情で声を荒らげる。


「私たちは皇女なの。ましてや貴女には、立派な婚約者がいるでしょう⁉ 誤解されるような行動は慎みなさい! 私たちにはあるべき姿、貫くべき生き方というものがあるでしょう!」


(誤解って……何? 私とお義兄様はきょうだいで、王族が民を思って行動することの、何がおかしいと言うの……?)


 心底理解出来ず、澄蘭も次第に声を高くする。


「それは……飢え、明日の生活にすら不安を抱く民の姿から目を逸らし、皇族の立場をのうのうと堪能することでしょうか。――私には、それが正しいと思えない」

「澄蘭……!」


 義姉は何も分かっていない、と澄蘭は内心の憤りを隠せずに琴華を睨みつける。


 饐えた匂いを発する裏路地に並ぶ粗末な小屋、そこに身を寄せ合い、空かせた腹を持て余す幼子たちの姿を見ても、琴華はその主張を貫けるのだろうか。

 すべてに絶望した真っ暗な瞳、持つ者への憎悪に歪んだ視線にさらされても、彼女は何もするなと言うのか。

 棒切れのように痩せ細った指を伸ばされ、それでもその手を、無慈悲に振りほどけと言うのか。


 彼女の言うことは理想論だ。苦しむ民を見ないふりをして、押し付けられた理想の女性像を極めろと。


(そんなことのために、民は汗を流して田を耕し商いに勤しみ、税を納めているわけではない――)


 彼らは、皇帝が、国が助けてくれると信じ、そのために定められた役割を懸命に果たしているのだ。


 そうであるならば、彼らの血税──命に等しいその結晶を何の苦労もなく与えられる皇族には、民の生活を守る義務があると、澄蘭は信じる。そのために行動する穏翊を尊敬し、彼のようにありたいと願う。




 琴華を真っ向から見据える澄蘭の瞳を、彼女がいつも差している簪がはじいた光が射る。澄蘭は目を(すが)めた。





 父帝の前で華麗に舞い、その褒美として与えられたという、豪勢(ごうせい)な簪。

 それがあれば、飢えた民の何人が救われるのだろうか。





 澄蘭(ちょうらん)の険悪な態度に、琴華(きんか)は怯んだように後ずさった。ためらうように目線を泳がせた後、小さく溜め息をついた。


「あなたが何を考えているかは分からない。……でも、穏翊(おんよく)兄様(にいさま)は、とても情の(こわ)い方。あの方のことをよく知らないなら、あまり深入りしては駄目」

「何を……」

「――分からないなら良いの。とにかく、殿方の領域に深入りせず、私達は私達のすべきことに邁進(まいしん)するのよ。良いわね?」


 念を押すような義姉の言葉が理解できず、澄蘭は無言で首を振った。




「私には……分かりません。飢えた民を救いたいと思うことの、何が間違っているんですか? 誰かの役に立ちたいと思うことの、何が……!」

「澄蘭!」




 呼び止める義姉の声を振り切るように、澄蘭は穏翊との待ち合わせ場所へ足を急がせた。


 

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