Chapter 1 Awakening of Light 06
何が起こったのか、私には理解できなかった。なぜ、以前は視認できなかったアイのオーラが、これほど巨大になっているのだろう。
空は、彼のオーラによって黒く染められている。
しかし、それはオーラを見ることができる私だけが見ている光景だった。
そして現状、アイの到着後、ローブの男の動きは停止しており、体中が氷の鱗で覆われているのが見えた。
「あ、アイ!?」
ユウは驚きの表情を露わにした。
「いつまで敵に張り付いてるつもりだ?」アイは咎めた。
「おっと? そうだった」
言うが早いか、ユウはローブの男から飛び退いた。それだけでなく、私の腕を掴み、一緒に引っ張って離脱した。
ローブの男は再び指先で魔法陣を動かし、体に張り付いていた氷が砕け散った。再び動けるようになったのだ。
黒いローブの人物は手首を払った。
「…せっかく仕留められるところだったのに。邪魔をしないでいただきたい」
「低級な魔法の防御すらできない敵に、お前は何で負けたんだ? ユウ」
ローブの男の言葉には全く関心がないようだ。
ユウは頭を掻き、笑いながら、上空に浮かぶアイに顔を上げて話しかけた。
「言うのも恥ずかしいんだけどさ…さっきまで使えてたスキルが、急に使えなくなっちまって」
「ああ…」
「それよりお前だよ! 俺と同じで、パッシブスキルがいくつか残るだけのはずじゃなかったのか!?」
「はあ…..」
アイは大きくため息をついた。それが、ローブの男にはひどく不満だったようだ。
「…私を無視しないでいただきたい」
アイは視線を戻した。まるでゴミを見るような目つきで。
「そいつ、魔王の真似事してんのか? ロール」
その時、ユウが小声でぶつぶつ言った。
「…それは俺がもう言った」
「本当、双子だな、お前らは…」
アイが現れてから、ユウの態度はリラックスしていた。…おそらく、私も同じだろう。体を砕き潰すかのようなあの巨大なプレッシャーは、アイから発せられていたものだ。
どうあれ、アイはユウの味方だ。あれほど強力な人間が味方についているのだから、リラックスするのも当然だった。
「勇者殿に関しては、選ばれし者、女神に選ばれた者として、その強さは異常ではあるものの…不愉快ながらも、まだ許容できる範囲にある」
ローブの男は前置きをし、それからアイの方を向いた。
「しかし、あなた…『千年魔導士』アイ殿…あなたの存在は、異常を通り越しています」彼は喉で笑った。「むしろ『バグ』に近いと言えるでしょう」
「ゲーム用語で俺に話しかけるのはやめてくれないか? 好きじゃない」
こいつ…誰と話す時も、こんなにも腹立たしい態度をとるのか。相手が、まともに話す必要のないローブの男だったとしても、だ。
アイは地上と同じ高さまで降りてきたが、足は地面に着いていない。
「もっと情報を集めてるかと思ったが、俺のことはあまり知らないようだな?」
「どういう意味でしょうか?」
「俺をただの魔導士だと思っている時点で失格だ」
「なるほど…しかし、一つだけ知っていることがありますよ」
「へえ」
「あなたが…『堕天神のおもちゃ』でしかない、ということです」
その言葉が終わると同時に、アイのまぶたがわずかにピクッと動いた。それから、彼はローブの男に向かって手を突き出しながら言った。
「ザイ、『Gravity Crush』(重力破砕)」
すると、ローブの男の周囲が激しく押し下げられ、大気が振動しているのが見えた。同時に、その体が地面に押し付けられた。
「ぐあっ!」
「言えるもんならもう一度言ってみろ、このクズが」
「フフフ…図星を突かれた、と?」
「…………」
アイの眼差しは、底知れないほど恐ろしかった。
ユウは目を細めた。
「こいつを怒らせるのは、一生ごめんだな」
私はユウの言葉を上の空で聞いていた。
先ほどユウが攻撃しても、ローブの男はかすり傷一つなかったというのに、これはどういうことだろう。ローブの男が言った通り、アイが使ったのは中級魔法だけなのに、なぜローブの男は抵抗できないんだ?
動けないながらも、ローブの男は口を開いた。
「中級魔法しか使わないのは…力の差を見せつけたいから、ということでしょうか?」
「まだ喋れるのか?」
「あるいは…今、あなたはこのレベルの魔法しか使えない、とか」
「お前にはこれだけで十分だ」
言い終わると、アイは拳を握った。そして、体を押し付ける重力が激しさを増した。
攻撃を受けている地面は赤く染まり始め、ローブの男の体はさらに潰れていく。
「アイ!」
ユウが叫んだ。アイは首だけを回して見た。
「なんだ?」
「殺す気か?」
「事件の元凶だろ? 後で不意打ちされるように残しておくのか?」
「止めはしないけどさ、その…尋問とか、そういうのは必要ないのか?」
「情報を聞き出すのは下っ端に使う手だ。わざわざボス格がご親切にも目の前に現れてくれたんだ。もう何も聞く必要はない」
そこまで聞いて、ユウは軽く拳を手のひらに打ちつけ、「おっと、そうか」と納得の声を上げた。
「おやおや、皆に愛される勇者殿が、平然と『殺す』という言葉を口にするとは」
「いちいち皮肉が効いてんな」ユウは呟いた。
アイはため息をついた。
「…俺たちをそんなに綺麗事しか言わないとでも思ってるのか?」アイは静かな声で続けた。「俺たちが魔王を倒すまでの道中、一人も殺さずに済んだとでも?」
「その口調、恨みがましいですね。まさか、以前、あなたの大切な誰かが我々に殺されたとでも? 例えば、あのワービースト(半人半獣)の者とか…」
「…消えろ」
重力がローブの男の体を激しく押し潰した。二本の角がある白い仮面が粉々に砕け散る。あと数秒で次元が崩壊しそうだと感じたその瞬間、体を押し付けていた重力が消えた。
しかし、そこに残っていたのは死体ではなく、ただの黒い粘土だった。
「本体じゃない、やっぱりな」アイは鼻から息を吐いた。
ユウも同じように近づいて見た。
「お前の『Shadow Army』(影の軍勢)に似てるのか?」
「レベルが上だ。俺でも偽物だと見抜けなかったくらいだからな」
「なかなかやるな」
ユウがそう言っている間に、ローブの男の声が空中に響き渡り、辺り一面にこだました。
「おやおや、手加減なしとは恐れ入りました」
その声は、全く深刻ではなかった。
「元々、私はあなた方の能力を確認しに来ただけです。もし偶然にも始末できれば御の字ですが…本当の狙いは、あなた、女神殿でしたので」
ローブの男がそう言うと、ユウは剣を構え、アイは何かを使おうとするかのように私に向かって手のひらを向けた。
どうやら、ローブの男は、以前あの謎の少女から聞いた私の疑念を裏付けてくれたようだ。私…は女神なのだと。
ローブの男は笑った。
「フフフ。そこまで警戒する必要はありませんよ。申し上げた通り、偵察に来ただけで、これ以上何かをするつもりはありません」
ユウが言った。
「一体、何を求めている?」
「魔王様の意志の継承ですよ」
それが、現時点で私たちが出せる唯一の答えだろう。だから、誰もそれ以上問いただそうとはしなかったし、相手もどうせ答えないだろう。
「はあ…『エンドゲーム』まで行った相手と戦うのは、こういうことになりますね。こうなることは予想していましたが、やはり不愉快です」
「おしゃべりは終わったか? 今はカタをつけようとは思ってないんだろう? どこへでも行け」アイが遮った。
「そうですね。では、私はこれで失礼します…ああ、言い忘れましたが、私のことは『Decoy』(デコイ)とでもお呼びください。何しろ、私は数多くいる囮の一つに過ぎませんから…」
「ドールン、『Void Purge』(虚無掃討)」
アイが再び魔法を使った。すると、ローブの男の声は消えた。ラジオの電波が途切れたようなザーという音がしばらく続き、静寂が訪れた。
ユウが呟いた。
「行ったか?」
「…空間内の異物を消去する魔法を使った。聞くのが面倒になった」
結局、全ての出来事は収束したようだが、私自身は起こったことの半分も理解できていないままだった。
ともあれ、学校内は完全に破壊されている。しかし、一つ疑問が残る。
「それにしても…なんで兵隊とか自警団の連中が全然来ないんだ? こんな大騒ぎになってるんだから、そろそろ派遣されてもいい頃だろ?」
ユウが、私が疑問に思っていたことを口にした。
アイがそれに答える。
「外部からの介入は遮断してある。…学校の中にいる人間以外、誰も何が起こったか知らない」
「おっ!? さすが千年魔導士!」
「そう呼ぶのはやめろ。それは、お前の国の年寄りどもが呼んでただけの呼び名だ」
「いいじゃないか? お前くらいの能力を持つ魔導士は千年紀に一人って言われてたんだろ?」
「あいつらが耄碌してただけだ。うちの国の歴史は五百年ちょっとしかない。千年紀に一人の魔導士なんているわけないだろ?」
「だよねー」
「…」
私は呻いた。
えーっと…この二人は、異世界から戻ってきたばかりの人たち、なんだよね? そして、今話しているのは、あそこにいた時の話、だよね?
二人は、学校に現れた他のモンスターについても話していたが、どうやらアイがここに来る前に、全て片付けてしまったらしい。
…その後、アイは私の方に向き直った。
「女神…なんだな?」
「あ、ええと…」
正直、私自身もよく分かっていない。
「…俺たちみたいに異世界から帰ってきたわけじゃない。最初からこの世界にいた女神ってことか。はあ…面倒くさいことになりやがって。あの女神どもは一体何をやってるんだ…しかも、あのローブのやつに狙われてるなんて」
「デコイ、な」ユウが口を挟んだ。
アイは頭を抱えた。
「呼び名なんてどうでもいい。おい、お前…ユウに近づくなと言ったはずだろ」
「…別に、近づきたかったわけじゃない」
状況がそうさせただけだ。むしろ、私に感謝すべきだろ。私がいなかったら、ユウはあの棍棒持ちのモンスターにやられていたぞ。…主な原因は私にあるとはいえ、だ。
ユウがなだめた。
「まあまあ、俺はエヴァのおかげで助かったんだ。…俺の力が戻ったのも、お前のおかげなんだろ?」
問われて、私は小さく頷いた。
「あ、うん…」
「本来なら世界の封印で使えないはずの力を返した、か。…いかにも女神らしいな」
アイはそう言い終えると、私の頭上に手のひらを差し出した。
ユウは即座にアイの手首を掴んだ。
「待て!? 何すんだ!?」
「…? 記憶を消すんだよ」
「「はあ!?」」
私とユウの声がハモった。
アイはうんざりしたように言った。
「なんだよ? 俺は面倒事を片付けてやってるんだぞ」
「これがどういう片付け方だっていうんだよ!?」
「…この学校の敷地内にいる全員から、今起こったことに関する記憶を消す。それから、破壊された部分も…あまり使いたくないが、何事もなかったかのように元に戻す」
「魔法でそこまでできるのか!?」
「魔法は現実と虚像の中間にあるものだ。それを深く理解していれば、これくらい容易い」
そして、再び私の方を向いた。
「それから、こいつは…集団記憶消去魔法は効かないだろう。前に試した暗示魔法も効かなかったからな。だから、今度はもっと高レベルの、ターゲットを特定した魔法を使う必要がある」
「前にって、あの時のこと!?」私は思わず叫んだ。
教室にいた時、アイに知らない言語で話しかけられたことがあった。今思えば、あれは暗示魔法とやらをかけようとしていたのだろう。
ユウは相変わらずアイの手首を強く握っている。
「…」
「ダメだ! 消すな!」
「…お前、どうかしてるのか?」
「おかしいのはお前だ! エヴァはデコイに狙われてるんだぞ! 記憶を消したら、これから何かあった時に身を守れなくなるだろ!」
「身を守る? こいつが自分で何かを守れるとでも思ってるのか? 記憶を消しても消さなくても変わらないだろ。それに…それは俺かお前の役目だ。俺の意見としては、記憶を消した方が都合がいい」
「変わらないなら消す必要ないだろ!」
「俺の言ってること分かってるか?」
気まずい…仲の良い双子の兄弟が、私のことで言い争っているのを見るのは。
でも、今日起こったことに関しては、たとえ私がデコイのターゲットで、たとえ事前に知っていたところで何もできないとしても…何も知らずにただ狙われるのは、やっぱり気分が悪い。
その黒い手袋を嵌めた手のひらが、私の記憶を消そうとしている。
…だから。
逃げるしかない。
そう思いつくと、私はすぐに二人の兄弟から足を速めて走り出した。
「おい!?」アイが声を上げた。
「それでいい! 逃げろ、エヴァ! こいつの相手は俺がしておく! また明日、学校でな!」
「放せ! ユウ!」
「放すわけないだろ!!!」
…ユウのことを少し尊敬する。さっき自分で、アイを怒らせるのは嫌だと言っていたくせに、私のためにそこまで庇ってくれるなんて。…勇者なんだろう。具体的にどういう存在なのかは分からないけれど、少なくとも私の目には、ユウはそれに相応しい人間に見えた。
これから何が起こるのか、私には分からない。今日が、ただの始まりに過ぎないのだから。
女神が一人、魔導士が一人、勇者が一人。
聞いているだけで頭が痛くなる。




