Chapter 1 Awakening of Light 05
「勇者」
その言葉の意味は、私にもなんとなく分かる。口にするのはちょっと恥ずかしいけど、小さい頃に聞いたおとぎ話で知っていたからだ。母さんが大好きだった物語で、私も好きだった。
聖なる剣に選ばれた者が、魔王を討伐するという目的を持って、様々な場所を旅する。
強さと、勇気を持っている。
そして今... その勇者が、私の目の前にいる。
とはいえ、言葉の意味を理解できたとしても、だ。
「異世界…」
アニメとかで見る、アレのことなんだろうか…ユウや実体のない女の子が話していたことの多くが理解できなかったのは、私が異世界をほんの表面しか知らなかったからだろう。
私の呟きを聞いたユウが、振り向いた。
「どう説明したらいいのか分からないんだけどさ…でも、これは全部、俺が異世界で手に入れたものなんだ」
ユウはそう言って、手の中の光の剣に視線を落とした。
私は首を横に振る。
「…全然、分かんないよ」
「だよね。まあ、聞きたいならこの後で話してあげるよ」
「この後」と言ったのは、目の前の状況が話し込むのに適していなかったからだ。巨大な化け物が、怒りの形相でこちらに向かって歩いてきている。
「ガアアッ!」
攻撃可能範囲に入ると同時に、巨大な棍棒が振り下ろされる。激しい突風が起こり、私の髪の毛が後ろになびいた。
「ユウ!」
私はまだ化け物に背を向けているユウに警告を叫んだ。だが、棍棒がユーに届く直前、透明な黄金色の壁がそれを受け止めた。まるで、何かが見えない膜のように体を覆い、攻撃を防いでいるようだ。
「貫通しないか…ふむ、やっぱりレベルは低いな」
ユウは壁を叩き潰そうと試みる棍棒に鋭い視線を向けた。だが、化け物が腕の血管が浮き出るほど力を入れても、その壁はびくともしない。
同時に、ユウは剣の切っ先を化け物に向けて構えた。
その瞳は、鋭い金色。
「『Heaven-Piercing Ray』(天穿光線)!」
ユウは一瞬のうちに腕を伸ばし、剣を突き出した。もちろん、私にはその動きを追うことができない。私が見たのは、一瞬の攻撃が終わり、ユウがその体勢を取っているその後の光景だった。
剣の切っ先から飛び出した光の筋が、空中に残滓を残しながら徐々に消えていく。そして、それが向かっていった先は、化け物の胴体だった。
その体は、何が起こったのか分からないかのように、そのまま硬直している。次の瞬間、傷口から血が噴き出した。
突如の攻撃で体の半分近くを失った化け物は、間もなく倒れ込む。手から滑り落ちた棍棒が、大きな音を立てて地面に叩きつけられた。
ユウは、先ほどの攻撃で剣に一切の血が付いていないにもかかわらず、軽く剣を振った。まるで、それが習慣になっているかのように。
「アクティブスキルだけじゃなくて、使えなかったはずのパッシブも使えるようになってるみたいだな」
「封印されてたってやつ?」
私が尋ねると、
「なんで知ってるんだ?」
「あ…ええと…」
私は口ごもった。あの謎の少女の声について、ユウに話すべきかどうか迷ったからだ。
「ふむ…」
ユウは私を怪しむように目を細めたが、すぐに薄く微笑んだ。
「まあ、いいや。それは後で聞かせてもらうとして…じゃあ、力が戻ったってことは、手始めに周りの魔物を片っ端から倒していくところから始めるかな?」
「ってことは…この化け物みたいなやつを?」
私は倒された棍棒持ちの化け物を指して尋ねた。
「そうそう、モンスターだよ…どうやってこの世界に来たのかは俺にも分からないんだけどさ。えーっと…こういうの、俺は詳しくないんだよな。アイに聞かないとダメだけど、あいつ今どこにいるんだか」
「探す方法はないの?」
一撃で化け物…モンスターを倒せるほどの能力があるんだから、たった一人の人間を探すくらい、何か方法があるんじゃないだろうか?
ユウはうんざりしたように首を振った。
「方法は、まああるにはあるんだけど、あいつはあらゆる種類の『介入』を受け付けないんだよ。位置情報探知スキルもその部類だから、アイには使えないんだ」
「へえ…」
「とにかく、方法はないってことだ」
ユウは辺りを見回した。
「最後にアイを見たのは教室だったな…そこから避難していれば、もう校内からは出ているはずだけど」
「アイも君みたいにモンスターと戦ってるんじゃないの?」
ユウは即座に否定した。
「まさか。アイがそんな危険なことをするはずないだろ。元々、この世界に戻ってきてから、本来なら遭遇するはずのないモンスターとまともに戦えるのは俺だけなんだから」
「まあ、それはそうかも…」
あの少女の言うことが正しければ、アイも同じ異世界帰還者なら、この世界の封印を受けているはずだ。つまり、アイが使えるのはパッシブスキルだけということになる。
二人は双子だけど、ユウの話を聞く限り、二人のパッシブスキルは同じではないようだ。
モンスターから逃れて、こうして気軽に話すことができたとはいえ、私の心の動揺は収まらない。
ユウは、私が彼に何をしたか覚えていないだろう。でも、もしあのことがなければ、ユウと私はきっと…
私が俯いてそんなことを考えていると、
「…思った通りですね。所詮、下級モンスターが勇者殿に敵うはずがない」
その台詞に、ユウは眉をひそめ、声の主の方を向いた。
そう言った人物は、ユウの視線を受けながら、ユウの方へ手を広げた。
「そうでしょう? 聖剣の勇者、ユウ殿」
その声には、皮肉が込められていた。
そこに立っていたのは、王族のような豪華な紫色のローブを纏い、角が生えた悪魔のような仮面をつけた人物だった。その角が目立っているせいで、悪魔のように見えるのだ。
「お前は誰だ? 魔王の真似事でもしてるつもりか?」
ユウは睨みつけながら尋ねた。
紫のローブの人物は、軽く手を振った。
「いいえ。魔王様には私など足元にも及びません。この衣装は、ただ魔王様の意志を継ぎたいという思いを表しているだけです」
「魔王は死んだ。お前が継ぐべき馬鹿げた意志などない」
「やり遂げられずに死んだからこそ、私の出番があるのですよ」
「…」
「もし聖剣を持ったあなたがいなければ、魔王様はこの世界を支配できていたはずです…『異世界人』という名の奇妙な『変数』さえいなければ…この世界には、魔王様に対抗できる力などなかったでしょうに」
「俺がいなくても、あの世界の人間たち…全ての冒険者が魔王を倒せたさ」
紫のローブの人物は、その言葉を聞いて大声で笑った。
「ハッハッハ! あなたはご自身の異常なほどの強さを本当に理解していないのですか? それとも…皆に世界を守る力がある、と一般人を欺くための立派な言葉ですか…後者でしょうね」
「てめえ!」
「分かっているはずでしょう? あなた一人の強さ…あなただけが魔王を打ち倒すことを可能にした。全ての人間は、魔王に立ち向かえない、ただの蟻に過ぎない」
相手はゆっくりと歩を進めた。先ほどのモンスターの死骸がある場所まで来ると、その頭を踏みつけた。
「考えてみれば、あなたの言う通りかもしれませんね…冒険者たちは皆、腕利き揃いだった。あなたが不在でも、もしかしたら魔王を討伐できたかもしれません…」と、面白そうに含み笑いをしながら続けた。「しかし、面白いのはここからです。この世界…あなたの本当の世界には、冒険者など一人もいない」
「……」
「この掃き溜めのようなモンスターだけで、街一つを破壊できるでしょう? いやはや…最初、私も驚きましたよ。勇者殿が育った世界ですから、あなたのような化け物ばかりだと思っていました。ところが…蟻と呼ぶのも蟻に申し訳ないような生き物ばかりだ」
紫のローブの人物が言う通りだ。この世界の人々は皆、普通の人。ユウのような特別な力を持つ者などいない。簡単に殺されてしまう、ただの一般人だ。
掃き溜めのモンスターでさえ、敵わない。
この世界は…ユウが行った異世界よりも、遥かに弱いのだ。
ユウは剣を突きつける。
「俺は、お前が誰かを傷つけるのを許さない。それが俺の使命だ」
「おやおや、さすが勇者ですね」
「どうやら、この全ての事件のお前が元凶みたいだな? なら、お前を倒せば世界は安全になる」
「うむうむ、理にかなっていて、全くもって反論の余地がありません。何しろ、あなたが魔王様を討伐し、あまつさえ粉砕してくださったおかげで、モンスターを制御する能力を持つ者が、私一人しか残っていないのですから」
次の瞬間、ユウの黄金のオーラがさらに強く輝きだした。白と金の翼が、今にも飛び立たんばかりに広がる。
光の剣が、目がくらむほどに輝いた。
紫のローブの人物はそれを見ていた。
「『Shining Sword』(閃光剣)。それが、魔王の心臓を貫いたものですね」
「そして、お前も貫く」
「フフフ…」
紫のローブのオーラもまた、増大していく。私はただ不安になるばかりだった…なぜなら、この戦いに、私のような一般人が手出しできることは何もないからだ。
ただ、ユウが勝ってくれるように祈るしかない。
剣を覆う光が、弾け飛びそうになるほどに輝きを放った瞬間、
ユウが叫んだ。
「『Solar Deity’s Judgement!』(太陽神の審判)!」
先ほどの体育館を破壊した魔力の波に似た光の筋が、光の剣から放たれた。いや…魔力の波よりも数倍も強力だ!
そして、その攻撃はローブの男に直撃した。
その光は、周囲のあらゆるものを焼き尽くした。光が消えると、そこにあったはずの地面も、建物の残骸も…何もかもが消滅していた。
しかし、
「…何だと!?」
私は思わず叫んだ。
なぜなら、世界を破壊しかねないほどの攻撃を受けたはずのその体が、微塵も傷ついていなかったからだ。
紫のローブの人物は肩を払った。
「『太陽神』のスキルセットの一つですか…」
顔は見えないが、その声からは不満の色が滲み出ていた。
ユウが言った。
「反射…じゃない、消去したってことか?」
ユウがそう言ったのは、ローブの男が立っていた空間だけが、消滅を免れていたからだ。
「おやおや、あなたはスキル分析の専門家ではないでしょう。あなたの攻撃が私に通用しない、と思ってくれればそれで結構ですよ」
「そうだな。俺は頭を使うのは向いてない…」
言い終わると同時に、ユウは両手で剣を高く掲げた。
初めて、ローブの男の余裕の態度が崩れた。相手は一歩後ずさった。
ユウはニヤリと笑う。
「ただ、耐えきれないほど強烈なスキルを使えばいいだけだ」
「おやおや…まさか、この世界ごと消し去るおつもりですか?」
「今お前を始末しなきゃ、どうせ世界は破滅するんだ」
「…脳筋はいつだって、単細胞なことしか考えませんね」
今度は金色ではない。
白い光。
まるで神々しいほどの、純粋な白。
その光が、天に掲げられた剣の刃から放たれた。
途方もないプレッシャーに、私は息をするのもやっとだ。ユウは一体、どんなスキルを使おうとしているんだ…
ローブの男は、指先で小さな魔法陣をいくつも描いた。
「…直撃は避けるべき、ということですね」
「やってみろよ」
「詠唱が長いですね。ただの威嚇だとしても、効果は抜群です。私はこれで失礼させてもらいます…」
ローブの男の背後に、不気味な紫色の渦が出現した。だが、彼がそれに足を踏み入れようとしたその瞬間…
ユウの両翼が消えた。
そして、剣を覆っていた光も、徐々に失われていく。
ユウは眉をひそめた。
「どうしてだ…!?」
ローブの男の仕業ではなさそうだ。相手もまた、驚いている。
ローブの男は喉で笑った。
「フフフ…そうでしょうね。元々、あなたは少数のパッシブスキルしか使えないように封印されていたはず。それが急に全て使えるようになったのは、何者かの助けがあったからでしょう…」そして、何が起こったのか知っているかのように私の方を向いた。「…しかし、どうやら時間切れのようです。ならば…」
ローブの男は紫色の渦に背を向け、一瞬でユウのすぐ横に現れた。
「ちっ!」
ユウは舌打ちし、光の剣で斬りかかった。もちろん、その攻撃は読まれていた。
「『Shining Sword』しか残っていない今のあなたに、私が負けるはずがありません」
相手は腕だけで攻撃を受け止めた。
「ユウ!!!」
私が叫んだ。ローブの男の手には、不穏な短剣が握られており、それがユウの胴体に向かって突きつけられている。
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。あなたさえ始末できれば、この世界であろうと、どの世界であろうと、私は魔王様の遺志を確実に継承できるでしょう」
「くそっ!」
「そして、この女神様は…無駄にすることなく利用させてもらいましょう。それでは、勇者殿、ごきげんよう…」
仮面の下の赤い瞳が、私をじっと見つめているのが分かった。そして、刃先がユウの体に深く食い込もうとした。
そして、全てが…黒く染まった。
いや、違う…
…黒くなったのは。
空だ。
「…ザイ、『Freeze』(氷結)」
その声が、後に続いた。
ローブの男は顔だけを空に向けた。仮面で覆われた顔以外、何も動かせない。短剣の刃は、ユウの体に数ミリ食い込んだだけで止まっていた。
「信じられん…中級の下くらいの魔法である『ザイ』程度で、この私を動きを止められるとは」
私もローブの男が視線を向ける方向を見た。
最初…私は空が暗くなっただけだと思った。
しかし、その原因は場違いな自然現象ではない。
それは…空に浮かぶ、誰かのオーラだった。そのオーラは、私がこれまで見たこともないような漆黒の色で、空全体を覆い尽くすほど巨大だった。
私が後に知ることになる、そのオーラこそが彼の『魔力』だった。
「俺の弟に何しようとしてんだ? おい、ローブ」
ユウの兄、アイが冷たい声で言った。




