第9話 試験局設立
朝の市場は、いつもより声が多かった。
荷車の軋む音、露店が布を広げる音、そして人々の噂のざわめき。
「聞いたか?例の異世界人、町に“局”を作るらしいぞ。」
「鑑定じゃなくて……試験で、だろ?」
「俺はいいと思うぜ。あいつに見てもらった薬草、ちゃんと効いたからな。」
それは、ゆっくりと、しかし確実に広がる波紋だった。
リネは市場を歩きながら、胸の内が熱くなるのを感じていた。
あの夜、死の影から逃げ、震えていた自分。
だが今は、足取りが強い。
(これは……戻れない。だけど、進むしかない。)
建設途中の小さな木造の建物の前で、悠真は職人たちと話していた。
文字の書かれた看板板が立てかけられている。
──《試験局》──
リネ:
「……本当に、やるんですね。」
悠真は、少し汗を拭いながら笑った。
「形が必要なんだ。
“鑑定”が絶対じゃないって、示す場所が。」
「それに、人は『誰が言ったか』じゃなく『自分で確かめたもの』を信じられる。」
リネは、その言葉が胸に沁みるのを感じた。
きっとあの夜、泣きながら聞いた言葉の続きだ。
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昼過ぎ、鍛冶屋区。
バルドが巨大な木箱を担いでやって来た。
バルド:
「机と棚だ。余ってたやつ、好きに使え。」
悠真:
「助かる。」
バルドはニッと笑う。
「お前の試験で、ウチの防具が“正しいと証明された”。
それを見て買いに来る奴が増えた。……つまり、俺は助けられた側だ。」
「恩は返す。筋だ。」
そう言うと、もう十分すぎるほどの意味があった。
リネは気づいていた。
この町には、悠真に救われた人が確かにいることを。
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だが、すべてが好意というわけではなかった。
町の外れの公会堂。
王国から派遣された役人たちが、慌ただしく議論していた。
「“試験局”は国の基準を揺るがす危険因子です。」
「鑑定は王国の管理制であり、税と軍需の根幹である。」
「野放しにはできん。抑えねばならない。」
議長の前に、フォルンが立っていた。
白い外套、静かな瞳。
「……彼は、真実を歪めてはいない。
ただ、測り方を変えただけです。」
役人たちは冷ややかに笑う。
「真実など重要ではない。
“統一された基準”こそが国の安定だ。」
フォルンの手が、わずかに震えた。
彼は知っている。
自分の言葉が届かないことを。
そして。
「神崎悠真を排除せよ。」
その声が、会議室に落ちた。
フォルンは、吐息のように小さく呟いた。
「……また、同じ道か。」
彼はかつて、一度それを止められず、誰かを失ったのだ。
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夕暮れ。
試験局の建材の香りと、まだ乾ききらない木の匂いが漂っていた。
リネは看板を取り付けながら、笑っていた。
「できました!」
悠真は少し離れて、それを見上げる。
《町立 試験局》
人々が通り過ぎる。
足を止める者。
興味深げに覗き込む者。
「ここで、誰でも、自分で確かめられるようになる。」
悠真は言った。
「世界を“知らされる”んじゃなくて、
“選べる”ようになる。」
リネ:
「……それは、きっと強いことです。」
悠真:
「強すぎるから、狙われる。」
リネは、ぎゅっと拳を握る。
「でも、守られなくていいです。
守りたいです。」
悠真は、少し驚いたように目を細めて微笑んだ。
「……ありがとう。」
その瞬間だった。
試験局の前を、黒い外套の影が静かに通り過ぎた。
足音はない。
気配だけが、刃のように鋭い。
リネ:
「……今の……」
悠真:
「来るな。まだ動かない。」
見えない刃は、確かにそこにある。
だが、この町には、もう“ただの町”ではない空気が生まれていた。
人が、自分で選び始めた空気だ。




