第5話「森の試験場と“癒しの翠滴(すいせき)”」
王都南区にある薬舗《ラナリア堂》は、今まさに評判の渦中にあった。
新作回復薬――《癒しの翠滴》。
冒険者たちが「効きがいい」「身体が軽くなる」と噂し、店の前には毎日行列ができている。
店主の老薬師は深々と頭を下げた。
「……どうか、あなたの“試験”で真価を見ていただきたいのです。評判ばかりが先走り、私自身すら、この薬の本当の力を理解しきれていないのです」
神崎悠真は静かに頷いた。
「試すだけだ。良いと言われれば良い、悪いと言えば悪い。数字と実測がすべてだ」
隣でリネが腕を組んでいた。
「なんか“評判が速すぎる”って感じなんですよね。火のつき方が不自然で」
「だからこそ検証する価値がある」
悠真はそう言い、試験器具の入った鞄を肩に背負った。
向かう先は――《エルドの森》。
魔獣が生息し、回復薬の実地試験を行うのに最適な危険地帯である。
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森の深部。空気は湿り、足元には柔らかい苔が広がっていた。
「まずは軽い負荷からだ」
悠真は無造作に短刀を手に取ると、躊躇なく自分の腕を薄く切った。
「ちょっ――! また自分で怪我するんですか!?」
リネが慌てて駆け寄る。
「信頼できるデータは、自分で管理できる条件下でしか取れない」
淡々とした声。言い返す隙もない。
傷口に《癒しの翠滴》を一滴垂らす。
すぐに、じんわりとした温かさが広がった。
だが――回復は、ゆっくりだ。
「効果はある。ただ、反応が遅い。素材は良いが、抽出過程にロスがある。保存環境の影響かもしれない」
悠真は手帳へ素早く記録する。
リネは頬を膨らませた。
「でも、十分回復してますよ? 街の薬よりは良いんじゃ――」
「“最良”かどうかは、まだわからない」
その時だった。
――グルルルル……
森の奥から、低い唸り声が響いた。
瘴気をまとう灰毛の狼――森狼。
普通の狼より大きく、毒素を含む息を吐く危険な魔獣。
「来るよ、悠真、下がって!」
リネが前に出る。
彼女は剣を持っていない――代わりに、足元の魔法陣を一瞬展開させた。
「風精、脚に寄れ――《迅脚》!」
風が靴を包み、彼女の動きが一気に軽くなる。
リネは旋風のように飛び込み、蹴り――空気が裂けた。
ガンッ!!
森狼が弾かれ、木々にぶつかる。
しかし、瘴気が広がった。
悠真の呼吸が一瞬止まる。
「っ……咽頭刺激……頭が重い……」
「中毒症状!? 悠真、下がって!!」
だが悠真は倒れながらも、目は澄んでいた。
「いや、これは……試験の好機だ」
「はああああああ!? 今!?」
悠真は震える手で鞄を開き、回復薬を取り出した。
「《癒しの翠滴》は……素材は森林系……でも……酸化が早い……。
だから、時間が経つほど毒素に弱くなる……」
リネが目を見開く。
「じゃあ、どうすれば……!」
「《冷露草》だ。森の北斜面に群生してる。瘴気を中和する成分を持つ。
それを混ぜれば――酸化を抑えられる」
「間に合う保証ある!?」
「試すしかない」
リネは迷わなかった。
「行く。待ってて」
跳躍、風を裂く音。
リネが森を駆け、冷露草を引き抜き戻ってくるまで――わずか十数秒。
悠真は震える手で草をすり潰し、翠滴へ混ぜる。
液体の色が、透き通った緑に深みを帯びた。
「――完成だ。《翠滴・改》」
彼はそれを飲んだ。
喉を通った瞬間、冷たい水が全身を駆け巡る。
濁っていた意識が澄んでいく。
「……効いた。これが、本来の形だ」
「よかった……!」
だが、森狼はまだ健在。
悠真は立ち上がり、低く呟いた。
「リネ。行け」
「了解!」
風精が再びリネの脚へ集う。
彼女は一瞬で間合いに入り――
「――《落風脚》ッ!」
渾身の踵が森狼の顎を撃ち抜いた。
巨体が地面に沈む。
静寂。
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森を出た帰り道。
リネは横目で悠真を見る。
「ねえ……ほんとに、毎回命がけですよね」
悠真は少しだけ笑った。
「生きるための道具だ。なら、命の現場で試すべきだ」
「……そういうとこ、嫌いじゃないです」
「ありがとう。記録に残す」
「え、そこ!?」
ふたりの足取りが、軽やかに森道を並んで進んだ




