第15話 フォルンの葛藤
王都ミドルブリッジ・鑑定院本部。
白壁と青い装飾が施された荘厳な建物は、まるで神殿のように静かだった。
だが、その静寂はフォルン=エルグレアにとって、今はただ冷え切った牢獄に等しかった。
「――降格処分、ですか。」
淡々とした声だった。
だが握りしめた拳は、わずかに震えていた。
院長は無表情に頷いた。
「査問会における不用意な発言。鑑定制度の権威に揺らぎを与えかねない行為。
理由は以上だ。今日より、そなたは“中級鑑定士”に降格する。」
周囲の職員たちが、わずかに視線を逸らした。
誰も同情も嘲笑も口にしない。ただ――沈黙。
それが、フォルンには何より重かった。
◇
研究室に戻ると、机の上には今までの案件資料がまとめて置かれていた。
「……私の席を、縮小したか。」
棚の一段分が空になっていた。
鑑定士にとって、それは“権威の高さ”の象徴でもある。
(私は……削られたのだ。)
椅子に座ると、途端に疲労が押し寄せた。
額を押さえ、目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは――昨日の査問会。
悠真の声。
『誤差を恐れて何もしないなら、危険は永遠に気づけない。』
(誤差……危険……)
フォルンは唇を噛んだ。
「鑑定は真理。神の眼。揺らがぬ絶対。
それ以外を信じるなど、狂気……のはずだ。」
だが、思い出してしまう。
あの山中での暗殺者との戦い。
【鑑定が通らない混魔領域】で、悠真は“数値と現象”で生存条件を導き出した。
フォルンはあの時、確かに見た。
鑑定では“無価値”と出るはずの薬草が、毒を中和した瞬間を。
(私の目では、視えなかった真実が――彼には、視えていた。)
胸の奥に、冷たい亀裂が入ったような感覚。
「……もし、もしだ。」
自分でも信じられない言葉が、喉から漏れた。
「鑑定が……不完全だとしたら?」
その瞬間。
自分の支え続けてきた世界が、足元から崩れ始めた。
◇
フォルンは、震える手で器具を取り出した。
悠真の試験方法の一つ、“硬度計測”を真似てみようとしたのだ。
「……なぜ私は、こんなことを。」
軽く刃に圧をかける装置。
鑑定では「硬度:上級」と出た剣。
フォルンは数値を記録しようとするが――
カチャン、と器具が落ちた。
手が、震えている。
(私が……間違っていたら……?)
鑑定という“絶対”を信じてきた自分。
それを否定することは、自分自身が消えてしまうことに等しい。
「私は……私は、何を信じて生きればいい……?」
その時。
「――その問いは、研究者の始まりよ。」
静かに扉の向こうから声が響いた。
銀髪が揺れる。
白衣をまとい、落ち着いた足取りで部屋に入ってくる。
マリア=クローヴァ。
フォルンの元同僚であり、リネの師。
そして――“エリュシアの雫”の創造者。
「……マリア。」
フォルンの声は掠れていた。
マリアは机に手を置き、壊れ物に触れるような優しい目を向ける。
「信念が壊れるのは、恐ろしいこと。
でもね――壊れなければ、新しい形は生まれない。」
フォルンは唇を噛んだ。
「私は……悠真を、信じろと言うのか。」
マリアは首を振る。
「違うわ。
あなたは“自分で確かめなさい”。
信じるかどうかは、その先の話。」
静かな言葉だった。
だが、それはフォルンの胸を深く抉った。
「……私は、もう、何もわからない。」
マリアはそっと微笑む。
「それでいいの。
“わからない”と思えた時、人はようやく真理の前に立てる。」
フォルンの目に、初めて迷いではなく“問い”が灯った。
「私は……私の目で、確かめる。」
マリアは満足げに頷いた。
「その決断は、いずれあの子に届くわ。
リネは、あなたの背中を見て育ったのだから。」
フォルンは息を呑んだ。
リネの、真っ直ぐな瞳を思い出す。
――“知りたい”と願った瞳を。
(私は……逃げられない。)
フォルンは立ち上がった。
震えは、止まっていた。
◇
夜の鑑定院に、小さな明かりが灯る。
剣の硬度試験。
薬草の成分分離。
ロープの耐荷重測定。
フォルンは、一つ一つ、悠真がやってきたことをなぞるように手を動かした。
鑑定結果とは違う数値が出るたびに、胸が締めつけられる。
だが、それでも彼は記録を取る。
(知りたい。
“真理”はどこにあるのか。)
その手にはもう迷いはなかった。
――フォルン=エルグレアは、初めて“鑑定士”ではなく“研究者”になった。
そしてその瞬間――
彼は、再証明審問で“悠真を救う唯一の鍵”を握ることになる。




