第12話 査問への道
試験局の庭には、乾いた草の匂いが漂っていた。
リネはすり鉢に薬草を入れ、細かく砕きながら成分反応の変化を記録していた。
彼女の表情は真剣だが、どこか楽しげでもある。
「……うん。昨日より苦味が弱い。採取時期によるアルカロイド量、やっぱり変わるんだ。」
小さくつぶやいたその時――
風が、静まり返った。
町の空気が張り詰める。
人々が道をあけるように身をそらした。
白い外套。整えられた銀縁の眼鏡。
背筋は微動だにせず、まるで刃物のように静謐。
フォルン=エルグレア。
上級鑑定士が、試験局の門を静かにくぐった。
リネは咄嗟に立ち上がる。
手にした薬草片が、かすかに震えていた。
フォルンは悠真を真っ直ぐ見据え、短く言った。
「神崎悠真。王都にて、汝の行いに関する“査問会”が開かれる。同行してもらう。」
庭にいた職人や冒険者たちが息を呑む。
しかし悠真は、いつものように落ち着いた目で返した。
「……来たか。」
逃げるべき状況。
拒めば指名手配になる可能性すらある。
だが彼は、手にした手帳を静かに閉じただけだった。
「データは逃げない。俺も逃げない。」
その言葉に、リネの喉が詰まる。
「行けば……捕まるかもしれないんですよ!?
暗殺だって……っ、また……!」
「大丈夫だ。俺は“見せる”だけだ。数字が嘘じゃないって。」
リネは拳を握りしめ、しかし言葉が続かなかった。
フォルンはほんの一瞬、視線を落とした。
(……どうして迷いなく言える)
その迷いは、やがて小さな波紋を生むことになる。
⸻
◇
出発はすぐに整えられた。
護衛もなく、ただ三人での旅路。
馬車に揺られながら、沈黙だけが揺れていた。
しかし、沈黙は長く続かなかった。
リネがふと、空を見上げながら呟くように言う。
「ねぇフォルンさん。どうして、そんなに鑑定を信じているんですか?」
フォルンは息をひとつ吐く。
風の音が、過去を呼び起こす。
「……昔、村で病が流行った。治療薬となる薬草は“鑑定:安全”と判断された。皆、それを信じた。救われるのだと。」
声は感情が削ぎ落とされているはずなのに、どこか震えていた。
「だが……助からなかった。」
リネの表情が曇る。
悠真は、その話を遮らず、静かに言った。
「……その時、“再試験”は行われなかったんだな。」
フォルンの瞳がわずかに揺れた。
誰も悪意はなかった。
ただ、“鑑定を疑わない”という前提だけが人を殺した。
フォルンは目をそらした。
「黙れ。」
それ以上、誰も何も言わなかった。
⸻
◇
王都まであと半日。
木々が密集する森道に入った時だった。
――音が消えた。
風も、鳥も、馬の足音さえも。
まるで世界が呼吸を止めたように。
「……来る。」
悠真が呟いた瞬間――
影が降る。
黒い衣、無音の足運び、毒の刃。
王国直属暗殺部隊《影手》。
「神崎悠真。王命により排除する。」
フォルンは愕然とした。
「……なぜだ!? 私は“召喚”を命じられただけのはず……!」
暗殺者は冷たく言い放つ。
「真実が民に届けば、秩序が崩れる。処分は当然だ。」
その言葉は、王国が何を守ろうとしているかを示していた。
“真実”ではなく
“支配体系”を。
⸻
◇
暗殺者たちは木々の上、死角、気配を消して包囲する。
フォルンは魔導眼を展開し――
「……鑑定――起動……ッ」
だが、全てが揺らぎ、像が潰れる。
「視えない……? 魔力偽装……鑑定が……効かない……!」
鑑定が絶対であるという信仰が、亀裂を走らせる。
その瞬間、悠真が前に出た。
「リネ! 拡散粉A-12! 半径4メートル、風向き南西!」
「わ、わかってる!」
リネが小瓶を割る。
白い粉が舞い――地面の湿度差、体温、踏み跡。
不可視だった影が“形”を得る。
フォルンが息を呑む。
「……視えた……!」
「攻撃可能位置、右前方一!」
フォルンの魔導矢が放たれる。
闇を裂き、暗殺者の肩を貫いた。
影は後退し、森へ溶けるように姿を消した。
戦闘終了。
⸻
◇
息を整えながら、フォルンはゆっくりと呟いた。
「……今、私が“視えた”のは……鑑定ではなく……お前の――“試験”だ。」
悠真は特別な表情を見せない。
「鑑定は否定しない。
ただ、“確かめる手”を持つことを否定させないだけだ。」
フォルンは、言い返す言葉を持たなかった。
静かに、彼は空を見上げた。
その瞳には――
初めて、“迷い”が宿っていた。




