第11話 揺らぐ眼(まなこ)
王都エルグレア──白大理石で築かれた鑑定院本部は、教会にも似た静謐な空気を湛えていた。
刻まれた紋章は黄金の瞳。
『真理は唯一、神の眼より授かる』
それがこの国の根幹を支える理念である。
その最奥の一室で、フォルン=エルグレアは机に向かっていた。
薄く古い記録書。
その表紙には、かすれて読めぬ地名。
ページは震える指にめくられていく。
「……“鑑定:安全”。」
記録された文字を、フォルンは唇でなぞった。
それは十数年前──幼いフォルンが暮らしていた辺境の村で起こった疫病の記録。
特効薬と信じられた薬草は、鑑定によって「安全」と判断された。
村人たちは疑わなかった。
それだけが、すがれる希望だった。
だが、次々に倒れていった。
苦しみ、泣き、叫び、そして静かになった。
ーー助からなかった。
小さな友の手を握っていた少年の自分が、今も目を逸らさずにいる。
「鑑定は正しい。間違ったのは使う者だ。」
かつて指導者に言われた言葉が、今も胸の奥に刺さっている。
(ならば、俺が間違わない人間になるしかなかった。)
フォルンは目を閉じた。
痛みはもう過去ではない。
“根” だ。
今の彼を作った、逃げられない理由。
扉が叩かれる。
「上議会の招集だ。急がれよ、フォルン殿。」
◆
王城会議室。
長い卓を挟んで並ぶのは、王国の大臣と高位鑑定士たち。
議題は一つ。
「地方に新設された “試験局” の存在について」
大臣の一人が冷ややかに言う。
「民の間に“鑑定を信用しない”風潮が広がれば、国は崩れる。物価、薬価、装備、すべてを鑑定等級で管理している以上な。」
別の大臣が言葉を重ねる。
「“神崎悠真”とかいう異邦の男。彼は鑑定を否定し、“試験”なる独自基準を作ろうとしている。これは秩序そのものへの反逆だ。」
秩序。
それは確かに、この国の支柱。
だがフォルンは知っている。
その秩序は、悲劇の上に築かれたものでもあることを。
「……彼の手法は、虚構ではありません。」
フォルンは静かに口を開いた。
「彼は、測定と経過観察によって、薬効の偏差と素材強度の誤差範囲を提示する。鑑定が見落とす個体差を補い得る技術です。」
大臣たちがざわめく。
「では貴殿は――鑑定に誤りがあると?」
沈黙。
フォルンは、胸の奥に沈む記憶を見つめたまま答えた。
「……鑑定は、信仰であり、柱です。しかし、絶対ではない。」
会議室の空気が凍りつく。
大臣は静かに告げた。
「フォルン=エルグレア。貴殿に命じる。“神崎悠真を王都に召喚せよ”。拒めば、異端とみなし排除する。」
それは、選択ではなく 強制だった。
フォルンは目を伏せる。
(まただ。あの時と同じだ。
“秩序”のために、誰かが見捨てられる。)
もし悠真の言う“試験”が正しいなら──
自分は、救えた命から目を逸らしてきたことになる。
心が軋む。
(それでも俺は、国を裏切れない。)
フォルンは立ち上がった。
「……了解しました。」
◆
夜。
王都外れの石橋の上。
月光に照らされながら、フォルンは独り呟いた。
「神崎悠真。お前が求める“真実”は……本当に人を救うのか。」
風が夜を渡る。
「だが、俺はお前を止める。
たとえ、その手が救いへと伸びていたとしても。」
しかし、胸の奥で別の声が震える。
(どうか……俺の信じてきたものが、間違いではないと言ってくれ。)
◆
夜明け前。
フォルンは馬に跨り、試験局のある町へ向かう。
その瞳は、揺れていた。




