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キールは酔って寝ているヴィオラの頭を自分の膝の上に寝かせ、馬車で自分の屋敷に帰ろうとしていた。道が悪いのか馬車の揺れは大きいが、ヴィオラが起きる気配は全くない。
頬を赤らめて幸せそうにすやすやと寝息を立てているヴィオラの頭を、キールは優しく撫でていた。髪飾りがあると寝づらそうに思えて髪飾りをそっと外すと、崩れた髪からフワッと優しくフローラルないい香りがする。
(いつもは甘い菓子パンの匂いだが、今日は菓子パンを食べていないから不思議な感じがするな)
ヴィオラが倒れそうになり咄嗟に抱き止めた時、思っていたより遥かに細い体つきで驚いたことをふと思い出す。あんなにも食べ物を常に摂取しているのに、それでも体を維持することが精一杯だということだ。食べ続けなければ魔力は枯渇し体を蝕んでいく。食べ続けなければ体重も減り続け骨と皮だけになってしまう、そんな危険と隣り合わせのままずっと生きているのだ。それをわかろうともせずただただ大食いだと非難する元婚約者の男を思い出してキールは腹が立っていた。
そして何より、大食いだと非難されてもなお、自分自身のことよりもキールのことを庇おうとしてくれたことに胸が熱くなる。この小さくて可愛い婚約者のことは絶対に守らなければならないと強く思った。
ふわふわの髪の毛を優しく撫でながら、キールはヴィオラのすべすべな頬に視線を落とす。普段ほとんどを怯えるようにして自分を見て来るので怯えさせないようにと気を遣っていたつもりだったが、その怯えたような瞳は閉じられており今がヴィオラをじっくり見る絶好のチャンスなのではないかと思う。
(あまり意識して見ていなかったが肌はすべすべなんだな。唇も小さいがほんのり赤くて可愛らしい。この小さな口があんなにもたくさんのものを食べているのだから不思議なものだ)
ヴィオラの頬に優しく触れ、そのまま唇に少し触れると柔らかさに思わずどきりとする。化粧のせいなのかお酒のせいなのか唇が薄く色づいていて魅力的だ。じっとヴィオラの顔を眺めながらいつの間にかキールはヴィオラに顔を近づけていく。そのままキールの唇がヴィオラの唇に触れそうになって、キールは我にかえった。すぐに顔を離すが心臓の鼓動が異常に速くなっていてうるさい。
(俺は今、一体何を……)
自分の行動に混乱しながらキールは片手で口元を覆い、高鳴る鼓動が落ち着くことを願うばかりだった。
朝目が覚めるとヴォラはふかふかのベッドの中にいた。
(あ、れ?いつの間に帰ってきたんだっけ?)
起き上がりぼんやりと部屋を見渡しながらふと昨夜のことを思い出す。確か社交パーティーに出てキール様と飲み物を飲んで……。ハッ!としながらベッドから飛び降り、慌てて寝室を飛び出し屋敷内を急いで歩き回っていると、ちょうど支度を済ませて出かける寸前のキールに出くわした。
「キール様!」
「お、起きたのか、おはよう。体調はどうだ?」
「大丈夫です、昨日は申し訳ありませんでした!」
なんてことない顔でキールに挨拶をされるが、ヴィオラは体が折れるんじゃないかと思うくらいの勢いでお辞儀をしたまま謝罪した。
「わ、私、あの後きっと寝てしまったんですよね?飲み物を飲んでからの記憶が全くなくて……」
「あぁ、まさか一杯飲んだだけで潰れるとは思わなかった。酒は強くないんだな。知らずに飲ませてしまって悪かった」
「いえ、私が知りもせずにジュースみたいだからと一気に飲んでしまったのが悪いんです。パーティーの最中なのに本当に申し訳ありませんでした」
オロオロと震えながら謝るヴィオラは小さく震えるリスのようだ。そんな姿にキールは思わずクスリと笑い、気にするなと優しく言う。
「いいんだ、主催者に挨拶さえできれば後は適当なところで帰ろうと思っていたからな。帰る口実ができてありがたかったよ。そんなことよりヴィオラ、俺以外の前では酒は飲まないように。あんな風になってしまうのは心配だからな」
「はい、申し訳ありません……」
小さい体をさらに小さくしてしゅんとするヴィオラを見てキールはついに笑い出してしまう。そしてどうして笑われているのかわからないヴィオラはキョトンとしてしまった。
「あぁ、悪い悪い。あまりにも可愛くてつい」
(か、可愛い!?何が!?)
「そんなに気にしなくていいんだ。それよりもドレスのまま寝せてしまったから窮屈なんじゃないか?早く湯浴みでもして今日はゆっくり休むといい。昨日はたくさんの人に会ったし慣れない場所で疲れただろう」
そう言ってキールは優しくヴィオラの頭を撫でると、それじゃ仕事へ行って来ると屋敷を出ていった。
(キール様、どうしてこんなにもお優しいんだろう。普通なら社交パーティーで酔い潰れた婚約者だなんてありえないのに。きっと今までの元婚約者様たちなら私のことなど見捨てて先に帰っただろうし、すぐに婚約破棄なさってるわ)
ほうっとその場で立ち尽くし、キールのことを考えてヴィオラは胸が高鳴る。ホワホワと暖かな気持ちになる胸を抑えていると、後ろからメイドの声がする。
「さあさあヴィオラ様、早くドレスを脱いで湯浴みなさってください。その間に朝食の支度とベッドのメイキングをしておきますから!今日はヴィオラ様の好きな野菜とお肉の煮込みスープですよ」
「煮込みスープ……!」
メイドの言葉にヴィオラは目を輝かせ、それを見たメイドたちは嬉しそうにニコニコと微笑んでいた。




