紅の章 第九十話 十六歳少女たちの想い
用意された豪奢な部屋で女は膝を抱え小さくなって泣いていた。
「お茶、しませんか?」
美珠は盆に茶器を載せて部屋へと入ると机にお茶を置いた。
女は顔を上げ首を振る。
「家に帰りたいんです。使用人でいいんです」
「え?」
「使用人でいいから、若旦那様のそばにいたいんです」
「それって」
「使用人ということはわきまえているつもりです。でも、私は絵を描くよりも若旦那様のそばにいたい。絵を描くために外へ出るよりも若旦那様のご飯を作っていられればいいんです」
再び泣きじゃくるメイドの少女に美珠はどうしていいのか分からず暫く黙っていた。
けれど声にした。
声に出したかった。
自分の思いを。
「あの……犀帽殿のモチーフには私は違和感を感じたんです。自分の中であの絵が重くて仕方なかった。私はこの国の跡継ぎですが、神ではない。でもまだ十六の何もできない私が神だと思われて失望させたらどうなるんだろうって。自信も何もないのに」
すると女は顔を上げた。
「そんな時、犀競殿が持っておられたモチーフを見て嬉しくなったんです。私は皆に囲まれていてる。助けてくれる人はたくさんいるんだって」
「あれは…勝手に考えて書いたんです。私も同じ十六です。でも私には何もない。家族も何も。だから勝手にもし私だったらどんな世界がいいのかって思って。神でもない、王族でもない私の勝手な妄想なんです。落書きなんです。それに大旦那様がお叱りになられる竜騎士だっている。でも、竜騎士が好きだったんです。空を飛んでゆく竜騎士が」
「おんなじですよ。私も。いつか飛竜の背中にのって青い空を飛んでみたいんです」
美珠が笑うと女はこわばっていた顔を緩めた。
そして暫くして美珠に口を開いた。
「若旦那様があのモチーフを美珠様が褒めて下さったと持って帰ってらっしゃったとき、本当は嬉しかった。でも、その日からお二人は絶縁状態になられて。大旦那様は私を追い出すようにおっしゃって」
「そうでしたか。ごめんなさい」
「いえ。私も……すっきりしました。若旦那様と一緒にいたいなんてこと今まで誰にも言ったことなくて。それを口にした相手が美珠様だったなん。」
「好きな人と一緒にいたいって気持ちは私もちゃんと分ります」
すると使用人は微笑みお茶を飲み干した。
「帰って、若旦那様と大旦那様にもう一度お話をしてみます」
「ええ、お願いします。私が否定したことで犀帽殿を傷つけてしまいました」
「それほど大旦那様は姫様に希望を持っておられるんです」
女は立ち上がると美珠に頭を下げて出て行った。
「希望かあ」
美珠は部屋で息を吐いた。
「でも、さっきの感じじゃあ、教皇の貫禄でてきたんじゃないの?」
「相馬ちゃん、いいよ。そんな気休め。ねえ、私が間違ってたのかな。私は神様じゃないとダメなのかな。あの頑固そうな職人さんが自分の信念を曲げて弟子の絵に近いものを自分で書くとか、私の言うとおりにするなんて、まさかそんなこと言うなんて思わなくて」
また頭の中で重い何かがうごめき始めていた。
自分が言うことが間違いないと人に思われると怖くなった。
「でも」
(え? 国明さんの声?)
気がつくと抱き上げられていた。
美珠の潤んでいた瞳と切れ長の二重の瞳が絡み合う。
「貴方は俺の女神様であることには間違いありませんがね」
目の前で優しく微笑む国明を見ると美珠はその胸に顔を押し付けた。
「神様になんてなりたくない。私はただの女の子だもん」
「ええ。俺のたった一人の愛しい人だ」