紅の章 第八十話 国境
「あれ? 何々? 二人で体鍛えてるの?」
珠利が国友と安緒のそばを通りかかると葉の生い茂った木を利用して懸垂をしていた。
「勝負です」
国友は汗を落としながら腕で体を持ち上げ声を搾り出した。
「何? 二人ともつるむようになったの? 気の合う二人だと思ったんだよね」
「違う! うるさい黙ってろ」
安緒もまた嫌そうにそして辛そうに声を上げた。
「はあ~、生意気な新人達だねえ」
頭の後ろに両手を持っていって暇そうに目を動かす珠利に検問を止められている馬車が入った。
御者の男の隣に座る後ろで髪を縛った男には見覚えがあった。
「ちょっと、どっちでもいいから団長よんどいで」
「え?」
二人は珠利の視線を追って、気がつくとどちらが先ということもなく地面に飛び降りて目で会話をしてから安緒が走っていった。
「あの人」
「やっと、到着だね」
心配そうな国友の隣で珠利は暢気な声を出した。
御者の隣にいたのは美珠を探すときに供にした秦奈国の赤い瞳を持った屈強な男だった。
結局名前も何も知ることがなかった、秦奈国のお守り。
そして荷馬車の荷台には人が乗っていた。
負傷した数人の男達。
明らかに不振な馬車、止められて当然な馬車だった。
「それで行く気? 怪しさ満開」
検問の兵士を押しのけ、珠利が声をかけると男は御者席から降りてきて困ったように珠利に声をかけた。
初めて会ったときの緊張感はすでになく、少し気さくな話し方だった。
「事情を知っている君がここにいるとは。通してくれるとありがたい。北と西に散っていた武官達だ。けが人も大勢いるのだが」
すると後ろから凛とした声がかかる。
「通ればいい。逆にこの国から出てくれたほうが安心だ」
碧の甲冑に身を包んだ国明を始めは分かっていなかったようだが、目が合うと男は目じりを下げた。
「ありがたい。礼は必ず」
「お互いお守りも大変だな」
「誠に。ぬしもその顔では助けられたようだな」
「ああ。本来いるべき場所に送り返した」
「そうか、良かった。では、絶対に絶対に礼は必ず」
男は律儀な性格なのかもしれない。
二人に深々と頭を下げ、再び御者席に戻ると更にもう一度頭を下げ馬を走らせ国境を過ぎた。
秦奈国側では多くの軍人が国境線ぎりぎりで馬車を待っていった。
馬車が国境をこえた途端、歓声が沸き起こった。
午前中から国境付近で多くの軍人を見たときに戦闘が始まるのかという議論が国明の周りで起こったが、彼らが武器を持っていないのを見て警戒は通常と同じでよいと国明が通達を出していた。
紗伊那の者達が視線を送る国境の向こう側では祭りかというほど歓声が起こり、暫くして野太い国歌が聞こえた。
「向こうもほっと一安心って感じなんだろうね」
「だな。気持ちが痛いほど分る」
珠利は国明の言葉に笑うと、飛んできた鳥を見上げた。
国明も顔を上げると鳥の行く先を見つめた。
「帰還命令だといいんだが。」
「どうする? また美珠様が逃げたって連絡だったら」
「そうだな。見つけたら鳥かごに入れてもう二度とださない、かな」
「何か、エロイよ。その表現」
「なんとでも言えよ。俺は男だからな」
そう幼馴染と軽口を叩き合って振り向いた時にはもう団長の顔に戻っていた。
そして鳥が飛んでゆく先、数馬の天幕へと足を向けた。
中で数馬はもう連絡を読み終えていた。
「ここに兵を残しては行くが、騎士は帰還だそうだ。珠利の所属のことで私にも話があるらしい」
「珠利の?」
「あの子も優秀だからな。やっとあの子の念願叶うときがきたか」
「念願?」
国明が尋ね返すと数馬は意地の悪い笑みを浮かべた。
「美珠様のためだけに戦える兵士だ」
国明はその言葉に一瞬面食らったが、すぐに笑みを浮かべた。
「それは私にとっても夢のような仕事かもしれませんね」
数馬は手紙を折りたたむと将校達を集めた。