紅の章 七十八話 捨てるつもりなんてないわ
美珠が項慶の言葉に深く頷かせられる後ろから嬉しそうな声が掛かった。
「団長!」
国明はその声の主に馬を近づけた。
「安緒、ご苦労だったな。良くやってくれた」
「いえ」
上司からの褒め言葉に顔を緩めると、すぐに国友をにらみつけた。
「ちゃんと、お役に立ったんだろうな」
控えめな国友は何も言わないでいた。
自分が胸を張れる働きをしたとは到底思えなかったからだ。
そんな国友の肩を珠利が掴んだ。
「もちろんだよね。私、国友に命助けてもらったんだから」
「珠利さん。命助けただなんて、大げさですよ」
「何言ってんの? あんなの刺さってたら私、今ここにいないもん。ありがとうね、国友」
国友は照れたように顔を赤らめ珠利の言葉に頷いた。
「なら、いい」
安緒は素直に引き下がると国明の顔を純粋な瞳で見つめた。
「団長、俺、今まで、変な意地を張ってました。俺は誰よりも強い。だから国を変えるんだって思って。でも、騎士の中に入ると俺は普通で。苛苛して国友いじめたり、それに……教会騎士の方に謝らなければいけないことをしました」
国明は頷き、後ろにいた聖斗に目をやった。
後ろで聞いていた聖斗はそんな安緒の剣に目をつけると、慶伯の街に入って休憩を取っていた教会騎士を呼び集めた。
安緒は多くの騎士達の注目を集め、一度唾を飲み込んだ。
そしてやっと出した声も震えていた。
「先日、新人の教会騎士の方を襲撃したのは俺です。ただ肩がぶつかったというだけで因縁をつけて数人で殴りました。すいませんでした」
頭を深々と下げていた安緒の隣で国友が頭を下げた。
「俺、知ってて止めませんでした。すいませんでした!」
ともに謝ってくれる国友に安緒は一度驚いたが、もう一度深々と頭を下げた。
すると聖斗は怪我をした若い騎士を前に出してきた。
突然のことに驚いた顔をしていた教会騎士は、困ったように頭を掻いて二人に顔を上げるように諭した。
「この二人には国王騎士としてそれなりの処罰を下すつもりだ。それで許してはもらえないだろうか」
最後に止めをさしたのは国明だった。
新人の教会騎士は団長に声をかけられ目を回してしまっていた。
「騎士っていうのはもっと固いものだと思っていたけど」
そんな様子を眺めていた項慶の言葉に美珠は返した。
「やるときはやるんだよ。格好良いんだから」
そんな自慢げな美珠の言葉に暗守はフッと笑うと空を見上げた。
そこには今回共に移動した飛竜が飛んでいた。
飛竜が舞い降りると珠利は美珠を抱きしめた。
「はあ、じゃあ、西に帰るね。美珠様と離れたくないけど、すぐ帰ってくるから」
「ありがとう、珠利。待ってるね」
国明も部下二人の背中を押すと美珠と目を合わせた。
「すぐ戻ります、それまでおとなしくしておいてください」
「はい。ちゃんと貴方達が帰ってくるの、お城で待ってますから」
美珠は寂しさを堪えながら国明を見送った。
本当は触れたかった。
けれど多くの目がある。
突然聖斗が金糸入りの赤いいマントを翻し、同時に暗守も黒いマントを翻した。
(え?)
視界を黒と赤のマントで遮られた美珠が驚いた次の瞬間には唇に何か触れていた。
それは本当に一瞬。
そしてその一瞬の間に国明は美珠の唇に自分の唇を重ねて微笑んだ。
「いい子で待っていてください」
返事をする前に国明は飛竜に乗って空へと舞い上がった。
「やるねえ」
相馬は後ろでいやらしい笑みを浮かべた。
「見た?」
「見えたよ。ま、見えたのはきっと俺だけだよ。さてと、帰ろう美珠様。今度は、俺たちが城で国明たちを迎えてあげようよ」
「ええ」
美珠は手を差し伸べた暗守の竜に乗せてもらい、相馬は例のごとく教会騎士副団長の後ろに乗せられた。
「項慶!」
美珠は自分を見送る女に声をかけた。
「私、頑張るから、貴方も夢を捨てないで」
項慶はそんな言葉に眼鏡を上げて微笑んだ。
「捨てるつもりなんてないわ」
負けず嫌いなそんな項慶の言葉を聞いて美珠は満足そうに頷くと項慶も微笑んでくれた。
そして城へと向かって竜が舞い上がった。