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紅の章 第七十二話 紗伊那の騎士

「勝手に逃げるからだ」

 無表情で静かに言い放った男は再び飛んできた矢をすばやく切り落とし、地面を蹴った。

 姿など見えなかった。

 再び射ようとしていた黒服たちが騎士を見失った一瞬後、もうそこには赤いマントがあった。

「ぎゃああ!」

 悲鳴に美珠は顔を向けた。

 そこには見慣れた後姿。

 美珠はその男の姿を見つけると、嬉しそうに叫んだ。

「聖斗さん!」

 男が振り返ることはなかった。

(騎士がきてくれた!)

 油断した美珠の足元に小刀が振ってくる。

「きゃ」

 足元を狙われ美珠の姿勢が崩れる。

 顔を上げると大木の枝から数人の男が小刀を投げつけてきていた。

 すぐに祥伽の銃が木の上へと狙いをつける。

 けれどそんな祥伽のそばにも小刀が刺さった。

「っち」

 すると木が突然ぐらつき、二度目の衝撃で木は倒れ、数人の男が落ちてきた。

 そして木の葉の乱舞の向こうから姿を見せたのは、

「暗守さん!」

 美珠にはちゃんとその兜の中にある青い瞳が見えていた。

「ご無事で」

「はい!」

 他にも騎士が数人駆けつけていた。

 騎士達は黒尽くめの男達をすぐに囲み倒してゆく。

 すぐに形勢が逆転した。

 美珠はその中で蕗伎を探していた。

 騎士と戦う黒服の姿、山の斜面。

 目を素早く走らせてその顔を捜す。

 そして一人戦線とは離れたところに立つ蕗伎を見つけた。

 目が合うといつものような笑顔を見せた。

「蕗伎!」

 駆け出した美珠を祥伽が慌てて止めようとする。

 けれど美珠はその手をすり抜けていってしまった。

 坂道を駆け上がり美珠が雷をまとった剣で相手に切りかかる。

 美珠の剣を受け止めた蕗伎だったが、剣という金属を通して美珠の雷の魔法剣が伝わり、本当に嫌そうに顔をしかめた。

「このビリビリ傷に響くよ。魔法剣まで使えるんだ。すごいねえ」

 それでも利き腕以外の左腕で戦っている蕗伎の力は思いのほか強かった。

 どれだけ打ち込んでも一太刀たりとも有効な攻撃を与えられなかった。

「戦えないんじゃなかったの?」

「そうだったっけ?」

 笑みを絶やさない蕗伎は美珠に力で押し勝つと、美珠を転がした。

 安定しない場所で戦っていた美珠の足がすべり、斜面を体が転がってゆく。

 そして木の株に手を打ち、そのはずみで剣が飛んでいった。

(痛い!)

 美珠はそれでもすぐに体を起こそうとした。

 けれど首に当たる白刃。

「美珠!」

 叫んだ祥伽の銃の弾は尽きていた。

 すぐに補充しようとして腰の袋に手を伸ばした瞬間、襲ってきた敵に引き倒された。

「くっそ! 美珠!」

 美珠の首にあった白刃がゆっくりと移動し、目の前までやってきた。

「ねえ、蕗伎、本気?」

「本気だよ~」

 蕗伎の笑みを浮かべた見慣れたはずの表情が気持ち悪く見えた。

(死にたくない! 死にたくない!)

 背中が一気に冷たくなる。

(こんなところで死にたくない! まだ死ねない!)

 蕗伎の剣が振り下ろされる瞬間叫んでいた。

 大好きで、大好きで、夢にまで見ていた愛しい人の名前を。

「嫌! 珠以! 助けて!」

 振り下ろした剣の手ごたえに蕗伎は顔をしかめた。

 それは人をさす手ごたえではない。

 固い金属、それは鋼。

「美珠様、ご無事ですか?」

 美珠の顔のすぐ上で鋼の剣が、蕗伎の剣を受け止めていた。

 美珠から広い背中が見えた。


やっと美珠に救いの手が。

紗伊那の騎士、続々登場です!

この背中の正体は?



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