紅の章 第六十二話 見放さないで
美珠は眉間に皺を寄せ吐き捨てた。
「これ嫌い」
嫌いな相手は夕食に出された魚の内臓だった。
焼き魚の腹部分を噛んだ時に感じるあの苦味をどうにか避けようと指でいじくっていた。
「貸せよ」
祥伽はそんな美珠のチマチマした姿に苛ついたのか魚を奪うと内臓の部分をかじった。
「あ、ありがとう、いい奴ね。貴方って」
「別に、礼を言われるほどのことでもない」
「こんなものも食べられないなんて子供ね。これが食べられてこそ大人なのよ。大人になりたかったら食べなさいよ」
項慶は美珠の様子を鼻で笑うと内臓を口にした。
夜の森の中ではふくろうの鳴き声が始終聞こえている。
「俺ちょっと用足してくる」
ふと、先に食べ終えていた蕗伎が眠そうに立ち上がり体を伸ばして歩いていった。
美珠も二串食べ終えると満腹で幸せになりながらすぐに寝転がろうとした。けれど枕にしていた手を一度嗅ぐと、飛び起きた。
「どうした?」
「手が魚臭いの! こんなの気持ち悪いから、ちょっと、洗ってきます。」
「じゃあ、俺もついていく。項慶、火の番よろしくな」
「はいはい」
項慶は焚き火をいじりながら二人に返事をした。
二人きりになると祥伽は呟いた。
「項慶みたいな女は苦手だ」
「そう? まあ、見下されてる気はするけれど。でも、あんな人そばにいてくれたらいいかもしれません」
「そうか? ガミガミババアだろう」
「言いつけてやろうかしら」
けれど美珠は項慶には好意を持っていた。
確かに端々に嫌味はあるけれど知的な女性はどこか憧れた。
「それに項慶は遠慮なく何でも教えてくれる。市井の様子とかにも精通してそうだし、民の声を反映してくれそう」
「確かに、正論かざして襲ってきそうだな。で、言い負かされてあいつのしたり顔の前で頭をさげることになるんだ」
「ええ。そうね」
あまりにもそんな自分の姿が想像できて、美珠が笑うと祥伽も口元に笑みを浮かべた。
それから暫く遠くに目をやってだまった。
「こんな風に、あいつと話をしたことがなかったな」
「え? あいつって?」
「自分の妻になる人間なのに、笑って話したことなかった」
「どうして? 愛してたんじゃ……」
「別に愛がなくても結婚なんてできるしな。子供を作れば、仲が良かろうが悪かろうが、世の中からは認められる」
それは知ってる。
自分の両親が最近までそうだったのだ。
確かにとても仲の悪い夫婦でありはしたが、二人はこの国の為政者として充分認められた存在だった。
祥伽も貴族であるならば何処かの貴族と政略結婚をさせられるところだったのだろう。
どこか実感のこもった言葉だった。
「でも、愛しているから追いかけてるんでしょう?」
すると祥伽はその場に座り込んだ。
月の光が優しく二人を照らしていた。
もうフクロウの声は止み、静寂が森を支配していた。
「違う。負けたくなかったからだ。あいつを連れて行ったあの馬鹿男に」
「負ける?」
「いや、違う逃げたかったのかもしれない。背負うものの重さに怖気づいて。きっとそれだ。だから国を出た。残された者のことなんて考えもせずに」
「祥伽?」
すると祥伽は顔を両手で覆った。
「俺は馬鹿だ。今、西の国境と北の国境で俺を守ろうとして敵を食い止めてくれている奴らの気持ちなんて考えたことなかった。あいつら今どんなこと考えて国境にいるんだろう」
まるで家出をして途方に暮れている子どものようで美珠はその隣に座って遠慮がちに頭を撫でてみた。
いつもは偉そうにしている祥伽だったが、素直に頭を撫でられていた。
「もし、婚約者の方に会えたら、お話をちゃんとして、それから国でこっぴどく怒られましょうよ。怒ってくれる人は祥伽を愛してくれているから怒ってくれてるんだもの。きっと皆支えてくれるわ」
すると祥伽は小さく呟いた。
「口きいてくれるといいんだけど。嫌いにならないで欲しい」
美珠も同じことをただ思った。
きっと祥伽も自分が大切だと思う人たちに囲まれている幸せな環境を飛び出してきたのだろう。そして今になって罪悪感と寂しさに襲われている。
彼も自分と同じなのだ。
自分だって城にいる時にはどうやって出ようかと考えていた。けれど出てしまえば、あの王城の柵は、自分の周りにいる様々の人の思いを絡めるように自分を守ってくれていた。
あれは自分を閉じ込めるただの金属の塊ではなかったのだ。
今になって分かった。
美珠は夜空を見上げて自分の周りにいる色々な人を思い浮かべた。 たくさんの顔が思い浮かんだ。
「怒られるのは仕方ありませんが、それで、見放さないで欲しいです」
「そうだな。仕方なく怒られるとして。見放さないでほしいなあ」
「あの女はどうする?」
黒服の男達は静かに、そして冷たい目で森に座っている二人を見ていた。
人為的なフクロウの声真似を合図に、森にいた黒服が集まり、そして最後に合流した人間は口元に笑みを浮かべていた。
「殺しちゃっていいんじゃない? ってか、時間かかりすぎでしょう。本当は盗賊にでも襲われて祥伽を殺すはずだったのに、秦奈国の武官どもどころか、もう騎士まで動いてる。そのせいでで北晋国のこと気づかれたんだ。お前ら、できない奴らだね」
男は舌なめずりすると美珠と祥伽を見た。
「祥伽は紗伊那国で知り合った女の子とともに盗賊に襲われて死んだ。それに祥侘はならず者として騎士に殺される。そうすれば秦奈国は紗伊那と手を結ぶことも出来ず、孤立する。もうこっちのものだ。今ならそうできる。あとで火の番をしている巨乳眼鏡も殺して金目のものは全て奪うんだ」
「了解」
黒い男達は散っていった。
「さてと、二人は生き残れるかな~。天命はどうだろう?」
男は黒い手袋をはめるとまた闇に隠れた。
魔希は森の中を進みながら一人夜風を受けていた。
「何か嫌な気配がする」
それは妙に肌を刺す何かだった。張り詰めそして攻撃的な気配。
「まだ犯人が近くにいるのか?」
何かを掬うように掌を上へ向けると掌には魔法の砂がたまってゆく。
それを両手であたりにまくとその根源を探し始めた。