紅の章 第五十一話 小銭の女
美珠はそんなことを知る由もなく畑の前に居た。
ひもじい腹をなんとかするために。
逃げ出した慶伯の街で何の支度をすることもなく飛び出たせいで、三人は飢えかけていた。
美珠はブラブラと一人食料調達に出かけ目の前にあった緑の葉に見覚えがあり、それなら食べられると判断したのだ。
「ほら、私だって無能ではないんです。これなら食べれるでしょう」
踏み入って生えていた菜を抜こうとすると誰かにきつく手を掴まれた。
「それは人のものです」
凛とした女の声だった。
慌てて隣を見ると美珠より、背の高い眼鏡をかけた女が立っていた。
ひっつめた髪をお団子にし、眼鏡の奥の瞳は美珠を責める様な瞳をしていた。
「え?これ、人のものなんですか?」
「ごらんなさい。ここは人の手を加えた跡があるでしょう」
美珠は畑の畝を眺めて肩を落とした。
言われて見るとこんなもの自然に出来るわけがなかった。
「勝手に生えてるんじゃないんですね。ごめんなさい。お腹すいてて。」
「人のものを手にしようとするならば対価が必要です。貴方は何を払いますか?」
二人の姿を見つけたのか、奥の小屋から腰の曲がった老人が歩いてきて、美珠にはそれがまるで魔界の門の住人にすら思えた。
「それとも支払うものがないのなら、貴方は盗人ということでよろしいですか?」
「そ、それは困ります!」
美珠は叫び声を上げて何かないかと探した。そして剣の飾りに目を留めた。
「こ、これで!」
それは翡翠。
「ふん、なかなかいい翡翠ですね」
女は眼鏡を光らせる。
「どうかしたんかね?」
老人は女二人に警戒することもなかった。ただ畑の訪問者に興味が沸いたようだった。
「あの、お腹がすいてて、よければこの翡翠でこの菜を分けてもらえると」
美珠の掌に乗る大きな翡翠に老人は驚き目を開いた。
「なんていうのは冗談で、これで、分けていただけますか?」
女は銅貨三枚を老人に握らせた。老人は笑みを浮かべてまた小屋へと戻っていった。
「そんな高価なもの、渡されたほうが気持ちわるいでしょうに。対価というのはそれなりの均衡が必要だと私は思いますが。」
どこまでも事務的な対応に美珠はどうしてよいのか分らず、ただ相手を見上げていた。
「兎に角、この翡翠は私がお預かりします。その代わり。これを。」
そう言って渡されたのは紅い木綿の巾着袋だった。
受け取るとジャラリという金属音と、重みがあった。
「あの、」
「私は今、貴方の宝石を預かり、それに見合う額をお貸ししました。私と貴方が離れるときを返済期限とします。それまでに耳をそろえて返してくださらなければこの翡翠は売りに出します。それが質です。」
(どういうことでしょうか。あまり意味が。)
美珠がキョトンとしていると女は翡翠を胸元に入れて、菜っ葉に手をかけた。
「兎に角、参りましょう。」
「え?あの、この袋はどうすれば。」
「中を確認して数えてくださいね。私は百枚お貸ししたのですから、あと九十七枚あるはずです。」
「あ、はい。」
中には銅貨がたくさん入っていた。
チマチマと指で数えていたが、結局はどれを数えたかわからなくなり顔を上げた。
「確認をしないのは貴方の責任です。私は貴方に百枚の銅貨を貸しました。必ず百枚の銅貨を返してください。」
「わかりましたよ。」
「さて、参りましょう。」
「え?どこですか?」
「貴方にお金をお貸ししているのです。返してもらえるあてができるまでついてゆくことにいたしましょう。」
「あ、はい。こっちになります。」
美珠は意味が分らぬまま女を祥伽と蕗伎の待つ、森の奥へと連れて行った。