紅の章 第四十二話 今一番の解決法
暫くして、美珠が水を飲もうと川へ寄ってゆくと祥伽が目を向け様子を窺った。
美珠はあえて何を言うこともなく水をすくうと口をつけた。
泥臭い味がした。
「まずい」
鼻で笑われた。その仕草に腹が立った。
けれどぐっと堪え、もう一度水に手を浸してみる。
夜の川は冷たくて黒光りして得体の知れない気持ち悪さがあった。 まるで光る鱗を持った巨大な蛇が動いているようにも見えた。
そしてそれを見ているとえもいわれぬ不安だけが募ってゆく。
(今頃捜索されてるんでしょうか。でも確かに今回は見つけてもらったほうが良いかもしれません。この祥伽って奴を捕まえてもらって色んなことを吐かせれば国明さんだって珠利だって帰ってこられるかもしれない。だいたいこんな人がこの国に入ってくるから)
不安に呼び覚まされるように、黒い川の流れのような憎しみばかりが心の中にこみ上げ渦を巻いてゆく。
「珠以のイジワルは愛情があるけど、この人のイジワルは悪意ばかりなんです」
(国明さんのイジワルは私の為で……)
思い返すとどうしても会いたくなった。
広い背中に抱きつきたかった。
(怒っていても、それも私の為で……)
でも最後にはやさしい顔をしてくれて、
手を握ってくれて、一緒に歩いてくれる。
憎しみはじきに寂しさへと変わっていった。
「戻ってきて、珠以」
(お願い、抱きしめて)
「何だ?あんたの男の名前か?あんた手元から男が去ったのか?」
「ええ。誰かさんのせいで」
「何だ、その言い方。ああ、さっき、お前に吹っ飛ばされてた男か?あんななよっちい男があんたの好みか」
(ん?それって相馬ちゃんのこと?相馬ちゃんだって、こんな人より、)
「貴方よりいい人だから。」
すると祥伽は眉間に皺を寄せた。
「いちいち勘に触る女だな」
「何といわれようが結構です」
再び二人が顔をつき合わせてにらみ合う。
すると誰かが間に割り込んだ。
「はいはい。もう良いから。二人とも」
蕗伎は結局眠ることができなかったのか、眠そうな目を開けて二人のことを見ていた。
「あ、ごめんなさい。起こしてしまって」
「いいよ」
蕗伎は一つ欠伸をすると、体を伸ばした。
「ってかさあ、二人って知り合い?何か、初対面じゃないみたいな遠慮のなさじゃない?」
(あ。そういえば、前、私この人に心の救済をされたんでした)
柵の前で、自分への重圧に飲み込まれそうになっていたときに助けてくれたのは目の前の彼だった。
けれど今思い返せばただ辛口の批評を頂いただけにも思えてきた。
きっと彼はそういう人間なのだ。
(きっと根性が心の底から曲がってるんだわ)
しかし祥伽は表情を変えることもなく、鼻で笑った。
「初対面だ。生きていれば気の合わない人間なんて居るもんだ」
「いちいち勘に触る人ですね」
再び嫌味の応酬が始まったのに気がつくと蕗伎は両手を突き出して二人を止めた。
「はいはい!分かった。分かった。もう分かったから!」
結局美珠も祥伽と背中合わせに座った。顔をあわせない、口を聞かないそれが今一番の解決法だった。