紅の章 第三十八話 すれ違う
「は?帰った?」
美珠と会った後、現場で駆け回っていた責任者は美珠に土下座した。
相馬は頭をかきむしった。
相当頭にきているようだった。
「申し訳ございません!」
「信じられない。美珠様を何だと思ってんだ。」
「小娘でしょうね。」
美珠は逆にさほど怒りを感じることもなかった。
「あの方は私を神だと感じてくださってたんでしょうし、それが怒りに変わったのかもしれませんね。今日は帰って父と母に報告して、どちらが良いか判断してもらいましょう。私があの方に声をかけなかったことが原因なのでしょう。あなたに苦労をおかけしますが。」
すると工事責任者は静かに頭を下げた。
「模範解答だね。まあ、あそこで美珠様が怒ったら、犀帽の立場も悪くなるから。」
美珠は怒りの収まらない相馬と帰り道を並んで歩いていた。
「本当なら死刑だよ。その前に特級って位も剥奪してやりたいところだ。嫌だね頑固爺って!」
「まあ、まあ。」
美珠は相馬をなだめながら目の前から来る黒い外套の男を見つけると足を止めた。
黒い外套から見える赤い目には覚えがあった。
(この人は。)
前に自分に期待をしていないといっていた人だ。
「どうしたの美珠様。」
美珠の視線を追って、その先にいるものに気がついた相馬は美珠の間に立った。
「ん?」
「何で王都にまで。」
「え?」
「今の…秦奈国の住民だ。」
(あの人が?)
美珠が振り返ると相手もまた美珠の視線に気がついたのか振り返った。
けれどそのまま赤い瞳を動かして四方を見る。
美珠もつられて周りを見た。
「!」
「どうしたの?美珠様。」
相馬は気がついてはいなかった。
刺すような殺気。それは自分と赤い目の男を囲んでいた。
「相馬ちゃん、ちょっとまずいかも。」
「え?」
美珠の手はすでに剣の柄にかかっていた。
そして赤い目の男の手もまた懐にあった。
物陰にあった影が揺れるのが美珠の視界に入った。
(来る!)
美珠の前に銀色の刃物が迫っていた。すぐさま抜刀すると受け止め払った。けれど黒尽くめの相手はもう一度切りかかってくる。
「ちょっと!美珠様!」
「相馬ちゃん下がって!」
「そういうわけには!」
乾いた破裂音がした。そのすぐ後、自分の目の前にいた男が倒れた。
思わず美珠は振り返った。
赤い目の男の手には銃が握られ、銃口から煙が一筋立ち昇っていた。
それが合図になった、四方から黒尽くめのものが現れてくる。視界に入っているので十、敵を見て美珠はすぐさま相馬を隅にあった物置へと押し飛ばした。
相馬は小屋の扉に激しくぶつかりその扉もろとも小屋の中へと転げていった。
黒い影が動く。
美珠は繰り出される攻撃を受け止めると、それを的確に銃が打ち抜く。幾度もそんな攻撃が続いた。けれどそんな男にも敵が迫っていた。
「しゃがんで!」
美珠の声と供に男が屈む、美珠は体を反転させると男の後ろに迫っていた相手を切り捨てた。
けれど相手もそう簡単ではなかった。むしろ相手のほうが自分達よりも隙が無かった。向こうはあらかじめ作戦を立てているのかもしれない。
退路が絶たれてゆく。
(まずい!)
取り囲まれる瞬間だった。
赤い目の男の手が美珠の体へと伸び腰に手を回したかと思うと美珠の体を隣に流れる川へ引きずり込んだのだ。
開いた口に水が流れ込み、むせると再び水が気道を塞いだ。
無意識に美珠は水の中で必死にもがいていた。
地上へと戻れるように。
(泳いだことありませんよ!)
服が水を吸って重くなってゆく。
(苦しい!)
思いと裏腹にどんどん自分が水の中へと沈んで行くのが分かった。
(国明さん・・・・助けて。)
もがいても、もがいても手は水を掻いた。
(珠以!珠以!助けて!)
美珠は空気を失いそのまま気を失った。