紅の章 第三十七話 取り返しのつかない外出
「え?工事責任者?病院の?」
「うん、そうみたい。どうしても美珠様に会いたいらしくて。」
「わかった。」
美珠は放心状態で転がっていたが、顔を上げると、相馬の後ろを歩き出した。突然工事責任者と名乗る男が美珠を訪ねてきたという。
「何かな、計画変更で何かあったのかな。」
「計画変更、何それ美珠様?」
「前、国明さんと出かけて、息子さんにお願いしたの。」
「国明と?へえ、なんだろう工期の遅れでも出たのかな。」
部屋に入ると責任者は深々と頭を下げた。その目には救いを求めていた。
「申し訳ありません。突然、押しかけてきてしまって!」
「いいえ、かまいませんよ。どうなさいました?」
美珠が声をかけると責任者は項垂れた。
「美珠様がおっしゃっていた図案を犀競殿が父上に見せられたそうですが、犀帽どのご理解が得られないらしく作業が進まぬのです。こっちはもう石細工の職人を手配し待機させているのですが…。」
「ん?美珠様、どういうこと?何の変更をしたの?」
美珠は顛末を相馬に話すと相馬は息をついた。
「なるほど、そうか、美珠様、犀帽殿の想いを全部否定しちゃったわけだ。」
「否定なんて!ただ、私が思っているのと違って!」
相馬は暫く頭をかいていた。
「で、その爺さんは自分の案が通らなければなんだって?損害賠償でも?」
「いいえ、腹を切ると。」
「そんな!」
工事責任者もまた息を吐いた。
「嘘かもしれません。けれど息子の犀競殿も譲られぬのです。美珠様からじかにお声を賜り、今まで父の陰に隠れてきた自分が陽を見るときが来たと、意思を曲げられず。」
「まあ、いいよ。とにかく二人を呼んで、美珠様の前で意見を述べさせよう。」
「そうしていただけると助かります。」
けれどまってもまっても犀帽がくることはなかった。
「いくら特級建築士だからって、相手はこの国の跡継ぎだぞ。」
相馬は平静を装う下で相当な苛立ちを抑えているのだろう。髪の毛をいじりツンツン度合いを高めてゆく。待つことに腹が立っているわけではない。自分の大切な姫の意思を無碍にされているのに腹が立ってきたのだ。
「ねえ、行ってみようか。確かに私が犀帽殿に話をしなかったのが悪いんだもの。」
「そんな必要ないよ。ここまで来るとただの我侭な爺なだけだから。」
「でも今、こんなことで躓いてる場合じゃないもの。」
美珠は数日前に出て行った国明を思い浮かべて寂しそうな顔をし た。
この国の緊張が高まっている時に他の憂いなど必要なかった。
相馬はそのことに気がつくと少し考えて笑いかけた。
「わかった、じゃ行こう。ついでに初音にでも会いに行っちゃう?で、そこで、国明の喜びそうな何か、買おうよ。ついでにあのガサツ女にもさ。帰ってきたら喜ぶよ。」
「うん。そうだね。」
「じゃ、支度して!ああ、でも今日騎士団長たち皆予定詰まってたな。」
「歩いていこうよ。」
「そういうわけにはいかないよ。」
「大丈夫、ただでさえ今は人が足りないんだから。」
美珠は服を適当に選ぶと、机の上に無造作に剣を置いた。相馬はそれを見てさすがに狼狽した。
「ちょ、ちょっと!まさか、護衛なしで行く気?さすがにそれはなしだよ!何かあったらどうするのさ!国は一応警戒態勢を取ってるんだよ!」
「だって、相手は腹を切るって言ってるんでしょ?早く行かないと!」
「そんなのでまかせだよ。襲われたらどうするの!」
美珠は相馬の言葉を聞かず、奥で着替えると姿を見せた。
伸縮自在な生地で作られた割とゆったりめのグレーのトップスに黒い細身のパンツ。この姿であればだれも姫とは思わないだろう。
「嘘でもいやでしょ?自分のせいで死ぬって言う人がいたら。」
「まあ、そりゃあ、そうだけど、あ!ちょっと待って!」
言葉も聞かず美珠は部屋から出て見つからぬように庭を突っ切って行く。
慌てて相馬も燕尾服の上着を脱ぐと白いシャツとズボンだけになって部屋から出て来た。
「相馬ちゃんは外に慣れてるんでしょ?だったら大丈夫。」
「何が?どういう理由で?俺は本気で弱いよ?」
歩き続ける美珠の後ろを歩いていた相馬だったが、柵を警護していた騎士たちを見るとため息をついた。
「分かったよ。うまくやってよ?」
「相馬ちゃんもね!」
相馬が騎士たちの気をひきつける間に美珠はかなり高さのある柵を飛び越えた。
すぐに門からまわってきた相馬が美珠の下へとよってゆく。
「さてと、行こうか。」