紅の章 第三十五話 別れのとき
「まだ、起きてらしたんですか。」
「眠れなくて。」
真夜中だった。
皆が寝静まった頃、国明は仕事が一段落し美珠の部屋の前を歩いていた。
そんな時、美珠は灯りのない部屋から笑みを伴って現れた。
少し周りを窺ってから国明の方へと走り寄ると手を引いた。
「入ってお茶でも?」
「いいえ、それはあらぬ噂をたてられてしまうでしょうから。」
「そう?夜に二人歩いていれば噂は立つでしょ?」
「それでも!夜二人で部屋に籠もってるって言うのよりもましですから。」
「じゃあ、少し待っていて。」
美珠は部屋に一度戻ると、白い羽織物をして外へとでてきた。
「お話しましょう?」
「ええ。」
国明は思わず二人になれて幸せそうに美珠と手をつないだ。
「冷たいですね。国明さんの手。」
「国明さんですか?二人きりなのに。」
すると美珠は国明の体に自分の体を寄せた。
「珠以の手、すごく冷たい。」
「あなたに暖めてもらうために冷たくしておいたんです。」
「またそんなこと言って。」
美珠は国明を見上げて微笑むと両手でその手を温めた。
「あのね。」
「はい?」
「今まで…ごめんなさい。」
国明は突然の謝罪に意味が分からず首をかしげた。
「珠以が国を守ってくれている時、私、応援も祈ってもあげられなかった。むしろ、そんなことさえ知らなかった。あんなに大好きで、夢で何度も見た珠以が危険にさらされるかもしれないのに、宮の中できっと呑気にお茶飲んでいた。」
「そのほうが良かったかもしれませんね。」
「え?」
「だって、忘れられているほうがあなたに無用な心配をかけずにすんだんです。こんなに悲しげな顔を見なくてもすんだんです。笑ってください。美珠様。」
美珠は笑えなくて国明の胸の中に顔を置いた。
「やだ。無理。珠以と離れるのに、笑ってられないよ。」
すると国明の手が美珠の体と頭を抱きしめた。
「なら、暫くこうやって抱きしめさせてください。」
「うん。」
美珠も愛しくて国明の体を抱きしめ返した。
広くて大きな背中だった。
彼がこの国を守ってくれる。
自分が治めることになるこの国を、体を張って。
それが彼の選んだ仕事なのだ、寂しくても止めることなど出来なかった。
「三日後赴きます。」
「うん。」
「明日から騎士たちと今後の方針を協議するためここへは来れません。きっと、お会いできるのは旅立つ直前になります。」
「だから、今日来てくれたんでしょ?」
「ええ。会えるとは思いませんでした。あなたの部屋をただ眺めてるだけでよかったんです。」
すると美珠は首を振った。
「そんなことしたら許さないんだから。勝手に一人だけ満足しちゃうなんて。それにもし、帰ってきてくれなかったら、私から迎えに行くから。」
「いりませんよ。必ずあなたの元へ帰る。どんな場所にいようとあなたのいる場所に俺は行きますから。それが例え騎士団長の行いでないといわれても。」
「そんなの私が嫌。私のところへ来ることであなたが悪く言われるなんて私には耐えられません。だから、国明さんであるときはちゃんと国のことを考えてください。私はこうやって珠以になってくれるだけで充分だから。」
美珠は強がったが、国明は強く抱き寄せた。
そして美珠の耳元で囁いた。
「あなたに本当にたくさんの我慢をさせてしまっているようですね。これで、充分なんていわせて。俺は全然足りない。ずっと隣にいたいし、あなたのことずっと考えていたい。」
国明の吐息を感じて美珠の顔は発熱しそうだった。
その上、国明が自分をこれほどまでに思ってくれているなんて嬉しくて、その言葉をずっと聞いていたかった。
国明はそんな美珠を包んでいた腕を解くと両肩を両手で優しく掴んだ。
「愛してます。」
美珠はそういわれて瞳を潤ませた。
「ダメだよ。そんな風にされたら、逆に我慢できなくなっちゃうよ。」
「美珠様も言ってください。俺のこと愛してるって。言っていただけたらその言葉胸に刻んで生きる糧に出来ます。」
「珠以。」
「言っては下さらないんですか?」
美珠は言葉にするのが恥ずかしくてその一言を待つ国明の顔を見つめると自分の唇を寄せた。
けれど国明は触れそうな唇を止めた。
「言って下さい。」
「好き。大好き。それじゃ…ダメ?」
「充分です。」
すると国明は嬉しそうに顔を緩め美珠の唇に口付けた。
珠利は木の陰から二人の姿を見ていた。
「あ〜あ。今で出てったらさすがにお邪魔だよね。私は明日にでも挨拶に行くか。」
珠利はもう一度二人の姿を見ると幸せそうな笑みを浮かべた。